【テニス・・・107位の錦織圭が香港OP(250)に出場。1回戦で56位(元10位)のシャポバロフ(カナダ)に6-2、6-3と、わずか58分でストレート勝ち。2回戦では、19位(元8位)のハチャノフ(ロ)に4-6、6-3、7-5で逆転勝ちして、ベスト8に進出。約2年7ヵ月ぶりに世界ランキングでトップ100に復帰することが決まった。(^^) <ちなみに錦織は年男。>~~~>
昨年終盤から好調で、ジャパンOP(500)でベスト8、チャレンジャーにも優勝し、TOP50以上の力は出せるぐらいまで復帰していたのだが。<部分的にはTOP10近くのプレーも。>今季初戦で、それがしっかり出せているようだ。"^_^"
ただ、問題が・・・。これまでWOWOWが四大大会もATPツアー戦(250~1000)も中継してくれたのに。今季から5年間は、UーNEXTがツアー戦の放映権を手に入れたとのこと。知らなかった~。(ノ_-。) <どうせなら四大大会も一緒にとればいいのに。> でも、錦織を応援するのが一番の楽しみだからな~。
ほかの競技もそうだけど。TVで中継しないどころか、異なるネット局でアレコレ放送するので、容易には見られなくなって、何だかな~とぼやいてしまう。_(。。)_
尚、69位の西岡良仁も今季初戦のブリスベン国際に予選から本選入りし、1回戦でリンデルクネシュ(仏)に6-3,6-2で勝利。2回戦は28位のレヘツカ(チェコ)に2-6,7-6,4-6で惜敗したものの、こちらもいいスタートを切れたようだ。(^^)】
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石破首相は、昨年末、国民党などと連立政権を組む可能性を否定していたのだが。今年1月1日放送のラジオで立民党との大連立も選択肢の一つだと語ったという。(@@)
『石破茂首相は1日に放送された文化放送の番組で、第2党の立憲民主党を含む大連立について問われ、「大連立をする選択肢はあるだろう」と述べた。一方で、「何のためにというのがない大連立というのは、一歩間違うと大政翼賛会になってしまうので、そこは気をつけなければいけない」とも述べた。番組は先月24日に収録された。
首相は先月29日のTBS番組で、政策協議を続ける国民民主党など野党と連立を組む可能性については「その都度どれだけ多くの党に賛同いただけるかということで、連立を視野に入れながらやっていくことではない」と否定的な考えを示していた。【園部仁史】(毎日新聞25年1月1日)』
公明党の斎藤代表もこんなことを言っていたという。
『「(野党との)大連立の障害となるのは今の選挙制度だ。大きな合意のくくりができるような制度を考える時期に来ているのではないか」と語った。
斉藤氏は24日召集予定の通常国会を念頭に、「合意形成の要となり、頑張りたい。結果的に大連立につながるような合意形成が図られる役割の先頭に立つ」と述べた。番組は事前に収録された。(時事通信25年1月1日)』
自公は、本当にその気があるのだろうか。(~_~;)
大連立と言えば・・・。07年、自民党が福田政権だった頃、民主党の小沢一郎代表(当時)が急に「自民党と大連立をする」と言い出して、大騒ぎになったことがあった。(゚Д゚)
この大連立の仲介を行なったのは、昨年12月に、亡くなったナベツネこと渡辺恒雄氏(読売G)だったのだが。当ブログも当時、この話にはビックリして、大反対したものだった。^^;
民主党の議員たちにとっても、寝耳に水の話。小沢代表は勝手に話を決めて、ゴリ押ししようとしたのだが。幹部を含め、大部分の議員が強く反対したため、実現せずに終わった。<小沢代表の責任論を問う声も出たが、政権交代を目指している大事な時期だったので、引き留めた。^^;>
昨年、渡辺恒雄氏が亡くなった時に、小沢氏がその時のことを語っていた。
『小沢氏は民主党代表だった2007年、自民党総裁の福田康夫首相(当時)から連立政権樹立に向けた協議を打診され、2人の党首会談を仲介したのが渡辺氏だった。
当時、参院は野党が多数を占める「ねじれ国会」で福田氏の政権運営は行き詰まっていた。小沢氏は連立に乗り気だったが、民主党内で反対論が噴出し、連立は実現しなかった。
小沢氏は「あの時、大連立をやっていれば、(民主党は)政党らしい政党に成長できたんじゃないかな」と回想。渡辺氏については「自民党が彼の言うことを信頼する、政治感覚の鋭い持ち主だった。まだまだ100歳以上生きると思っていたのに、驚いて残念に思う」と悼んだ。【遠藤修平】(毎日新聞24年12月19日)』
『小沢氏は「(政権奪取前に)連立した方が民主党の政治家にとって良い勉強になるし、政権を担うにも早道だとボクは判断したので、それ(大連立構想)に乗ろうとした。党内はみんな反対だったけれどね」と振り返った。(朝日新聞24年12月19日)』
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いや~、mewは今でも、あの時には大連立をしなくてよかったと思っている。(・・)
小沢氏が言うように、あの時に大連立をしていれば、閣僚+αも含め、政権運営を政府、与党の一員として様々な経験を得ることができたので、後の政権運営に役立つ部分があったかも知れないが。
あの時に、自民党とくっついて。1~2年後には離れて、衆院選で「政権交代を」と呼びかけても、国民が民主党に期待を寄せてくれたとは思えない。(**)
小沢氏は、ナベツネ氏をバックにつけて、自分が自民党内で実権を握る早道を探していただけなのではないだろうか。(-"-)
衆院過半数割れの今、大連立をすると、当時とはまた違った効果はあるかも知れないのだけど。<自民党の分裂を誘うことができるかも知れないので。>
その辺りは追々考えてみたい。(・・)
ところで、渡辺恒雄氏が亡くなった時に、チョット記事を書きかけたのだけど。アップせずに終わってしまった。^^;
正直なところ、mewは渡辺氏のようなタイプは苦手だ。<めっちゃエラそ~にしているイバリッチだし~。>
渡辺氏は、亡くなった98歳まで読売新聞グループ本社代表取締役主筆だった。本人は、「生涯ジャーナリスト」だったと思いたかったようだ。
しかし、上の大連立介入もそうだが、自民党の実力者と懇意の関係になり、政治に介入するケースが多々あったことでも知られている。mew個人は、ナマの政治に介入する人はもはやジャーナリストとは呼べないように思う。
<このブログでも何回かナベツネ氏の話が出て来るが。中曽根政権、またそれ以前には、もっとどっぷりと関わっていた時があった。^^;>
プロ野球で読売巨人軍のオーナーをしていたことでも、知られている。mewはアンチ巨人でもないし、巨人にも好きな選手は少なからずいるのだが。ただ、ナベツネ氏のせいで巨人に悪印象を抱いてしまった部分も大きい。(-_-;)
同氏は「巨人あってのプロ野球」だと。そして、巨人さえ勝って、優勝していればそれでいいという感じのことしか言っていないからだ。<また巨人の監督も、選手のナベツネ氏には異常なほどへ~こらしてたりして。>
それこそ04年の「たかが選手」発言は、同氏のプロ野球機構や選手への考えをあらわしていrのではないかと思う。(-"-)
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ただ、渡辺氏は大学時代に、自ら兵隊として戦地に赴いた経験がある。戦地や空爆で、たくさんの仲間や大学の友人も失っている。
それゆえ、戦争には強く反対する平和主義者だった。(++)
『渡辺恒雄氏は非戦・反戦を訴え続け、時の首相の靖国神社参拝も強く批判してきた。そのルーツは自身の戦争体験。19歳の時に敗戦が確実視される中で徴兵され、理由もなく顔を殴られる日々が続いた。戦争を拡大し、特攻や玉砕といった作戦で多くの命を奪った軍幹部を「加害者」と強く批判した。
戦後は天皇制や軍隊に反対する立場から日本共産党に入党。特に靖国神社が、東京裁判でA級戦犯とされた東条英機元首相らを合祀(ごうし)したことを批判した。
反戦キャンペーンは読売新聞でも展開。社長・主筆になると、国際情勢に合わせて憲法を見直すべきだとして憲法問題調査会を設置した。前文や9条など憲法全体に検討を加えた「憲法改正試案」が94年に公表されると大きな反響を集めた。05年には社内に戦争責任検証委員会を設置。日本政府や軍指導者の責任の有無など、戦争の原因を検証するために指揮を執った。
過去の戦争を美化する主張が目立ってきたことを嘆き、戦争体験者がいなくなることへの危機感をにじませていた。(スポニチ24年12月20日)』
このように自らの体験をもとに、強く戦争に反対してくれる発言力ある重鎮がいなくなることは残念でならないと思うmewなのだった。(@_@。
THANKS