【テニス・・・106位の錦織圭は香港OP(250)準々決勝で、49位のノリ―(英)と対戦。6-3,3-6,6-2で勝利し、米シティOP以来、ツアーで約3年5ヵ月ぶりにベスト4進出を果たした。(^^)v
ノリーは22年には全英ベスト4、TOP10にはいったこともある実力者ゆえ、そう簡単に勝てる相手ではないのだが。錦織は全体的にサーブが安定。(エースも4つ?)ショットだけでなく、ネット際のボールタッチもよくなっているし。そして、よくこのコーナーでも書いているように、調子に乗れない時は、ここぞというショットを次々とミスってしまうのだが。<本人は昨年末、ここぞという時に体が固くなるイップスみたいな症状に陥っていたと話していた。>昨日も、第3セットで錦織はここぞをとり、ノリーはミスるというパターンになり、しっかり押し切ることができた。
何か1~4シードが全員敗退したので、優勝のチャンスが高まって来たのだけど。準決勝で対戦する50位のジュンチェン(中)は、19歳で超伸びざかりの選手。昨年9月には負けているのだが、ここでビシッと勝てるといいな~と期待している。o(^-^)o】
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今日から仕事がはいってる~~~。(ノ_-。)
まあ、大晦日も三が日も働いている人はいるのだけど・・・。<おつかれさまです。>
みんな、今年もからだに気を付けて、頑張って行きましょう!o(^-^)o
2日の記事でも触れたのだが。立民党の小沢一郎氏が今年も自宅で新年会を開いていたとのこと。<かつては200人以上が顔を出したので、2部制にしていたことも。^^;今年は維新など他党も含めて、50人集まったとのことだが。重徳Gや野田Gも参加したかな?(・・)>
小沢氏は昨年の立民党代表選で野田佳彦氏を支援。野田氏が当選したことから、選挙に関する要職に就任するなど、党内でやや発言力が強くなっているだけに、mewの警戒心が強まっている。(@@)
小沢氏は、維新や国民党などと連携して、政権交代を実現すべきだという立場だ。
93年に小沢氏が主導する形で野党8党をまとめて細川護熙政権を誕生させ、自民党から政権を奪ったことが、いまだに忘れられず。衆院選で自公過半数割れしたのを受けて、今も野党が結集すれば政権交代ができるのにと、忸怩たる思いをしている様子。
<特に国民党が「103万円の壁」で、自公与党との協議にこだわっており、野党結集に関心を示さないことに、かなりイラ立っている感じが。(~_~;)>
また、小沢氏は90年代の細川政権、自社さ政権の話を持ち出して政権奪取に意欲を示していたのだが。当時、ある意味では、節操なく政治理念などを軽視して「政権をとるためなら、何でもあり」の風潮を作ってしまったことは(しかも、強引に小選挙区制を導入したことは)、日本の国政や国民にとっていいことだったのかどうか、クビをかしげたくなるところがある。(-_-)
『立憲民主党の小沢一郎衆院議員(82)は1日、東京都内の私邸に同僚議員らを招いて新年のあいさつを行った。
昨年の衆院選で与党を過半数割れに追い込みながら、野党政権が実現しなかったことに「山は動かなかった。非常に残念でならない」とくやしさをにじませ、野党の結束の必要性をあらためて訴えた。
小沢氏は、昨年の衆院選の結果について「国民の自公政権への不信任の投票だったろうと思います」と指摘。「私は、これで3度目の野党政権ができるという思いを強くした。それなりに、私の呼び掛けが伝わったつもりでしたが、残念ながら山は動かず、自民党政権が続くということになった」と述べた。
「非常に残念でならないと同時に、現状を変えることを嫌う日本人がここまで意を決して野党に投票してくれたのに、野党の政権をつくり得なかった責任は、非常に大きいと思っている」と、自省の念を口にした。(日刊スポーツ1月1日)』
『また、野党の現状について「戦後長く続いた自社(自民党・社会党)体制の中の野党の姿を思い出す」と指摘。
「自民党に何か自分たちが要求をして受け入れられると、勝ち取ったと喜んでいたが、自民党があめ玉をくれたにすぎない」と切り捨てた。
そして小沢氏は、名指しは避けたものの、自民党と税制協議を続ける国民民主党を念頭に、「税の全面的な改正をしない限り、本当に『手取りが増える』という状況にはならない」と述べた。
さらに、「一つ一つ枝葉末節のお土産をもらって喜んでいればそれで良いというのでは、到底、議会制民主主義の機能を発揮したとは言えない」と厳しく指摘した。
その上で、「野党の諸君がしっかりと国民にどういう使命を託されたのか、どういう責任を負ったのかということを自覚してほしい」と呼びかけた。
一方、2025年が「乙巳(いっし/きのとみ)」にあたることから、小沢氏は「60年に一度の大変革の年だそうだ。大いなる希望を持っている」と語った。(FNN25年1月1日)』
また、小沢氏は挨拶の中で、90年代の政細川政権、自社さ政権なども振り返っていた。
『かつて自身も関わった1993年衆院選後に発足した非自民の細川護熙政権を引き合いに、「その時の野党第1党は社会党だ。社会党は半分近い議席を失ったけれど、私どもや日本新党などの議席を合わせて、細川政権をつくった。なぜ今回はできなかったのか」と述べ、「国民の意思は間違いなく自公政権を否定し、不信任したわけでありますが、その国民の意思に応えきれない野党の姿とは、一体何なのか。そう思われてなりません」と語った。
一方で、細川政権発足で野党に転落した自民党が、その後、社会党の村山富市委員長を首班とした自社さ連立政権を発足したことにも言及。「自民党は、野党第1党の社会党代表を内閣総理大臣に指名するという、信じられないようなことをあえてやって野党政権をつぶした。人によって評価はいろいろあるだろうが、そこまでやっても政権を取るという執念が、まさに自民党の長期政権を支えているものだろうと思う」と述べ、政権に対する自民党と野党の執念との差に言及。「それほど、政権というものは重い。同時に、国民にとって直接的な大きな影響を持つのが政治権力。このことを我々は軽視してはならない」とも述べた。「少なくとも昨年の選挙で、政権交代への大いなる1歩は踏み出した、あとは、野党の議員の自覚を待つのみだと思っている」と述べ、今後の野党の奮起を促した。
会には立民だけでなく、日本維新の会などの議員も参加。衆院選の東京15区で次点だった無所属の須藤元気元参院議員の姿もあった。また会に先立ち、昨年の元日に起きた能登半島地震の犠牲者に哀悼の意を示すため、出席者全員で黙とうをささげた。(日刊スポーツ25年1月2日)』
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最初の方にも書いたが、小沢氏ら数十人は1993年に自民党を離党。同氏が主導する形で、当時、国民から人気があったいた細川護熙氏を首相に担ぎ、非自民、非共産の野党8党をまとめて、自民党から政権を奪取し細川政権を作った。
55年に保守合同によって自民党が誕生してから、同党はずっと政権を掌握し続けていたのだが。(いわゆる55年体制。「自民党vs.社民党」)ちょうど世界では東西冷戦が終焉を迎えたこともあり、日本でも新しい流れの国政が行われるようになるのではないかと期待したものだ。(・・)
<小沢氏はその後も、国民の人気を得そうな人を担いで政権をとることを考えて来たのだが。もしかしたら、今回、玉木氏を担ぐことも考えていたかも知れない。^^;>
ただ、やはり旧自民党勢力と社会党では、政治理念が違い過ぎるし。小沢氏が豪腕を発揮して自分のペースで政権運営を行なおうとしたことに、反発を覚える議員も少なからずいたため、連立にほころびが出ることに。細川氏に収賄疑惑が出たこともあり(自民党のリークだろうけど)、細川政権は崩壊した。
で、もっと驚いたのは、何と自民党が政権奪還をするために、長年のライバルだった社会党と、同党の村山富市代表を首相に連立政権を作ったことだ。(゚Д゚)<さきがけも参加し、自社さ政権に。>
小沢氏が言うように、自民党の政権への執着を実感させられた出来事でもあった。^^;
自民党は社会党とうまく行かなくなった後も、政権安定を考えて、99年には自民党の保守勢力と敵対していた公明党と連立政権を組むことに。<一時は小沢自由党も連立に参加。>
ただ、本来は平和と福祉を掲げたリベラル政党であrはずの公明党が、イラクへの自衛隊派遣や集団的自衛権を認める安保法制、郵政民営化やアベノミクスなどの新自由主義的政策に賛成し、国情悪化に力を貸していたことは、国民にもわかりにくいと思うし。ある意味で滑稽にさえ感じる部分がある。(-"-)
それもあって、これからは「政権ありき」の政党連携ではなく、「政治理念ありき」の政党連携や政界再編が必要だと、強く思うmewなのである。(@_@。
THANKS