物差し

「ロカメンコ」の路上ライブで 足を止めてくれる人は 30才半ば以上の人達だと まえに書きました。
多分 80年代後半に はやった 「ジプシー・キングス」を 思い出したからかもしれません。
私が長いこと音楽の仕事をしていて、密かに考えていたことは、感受性の強い時期である20才迄の少年少女達に、いい音楽をできるだけ沢山体験してもらうことでした。
感性豊かな人間になるには、20才迄の時間は、とても大事で、その間に体験する音楽、バレエ、小説、哲学、絵画、彫刻、芝居、落語、映画、ゲーム、スポーツなどなどにどれぐらい 多く触れて、感動したり、考えたりすることに時間を使ったかで、その人の一生が豊かなものになるか、貧しいもので終わってしまうかが 決まってしまうと思っています。
20才迄に 人は 自分の価値判断の「物差し」を あらかた 自分で つくってしまうようです。
「何が正しいのか」 「何が美しいのか」 「何が意味があるのか」といったことを判断するのは それぞれの人がもつ「物差し」を 使って 個人が判断するわけですから、自分の持っている「物差し」が あやふやだと 判断がいつもぶれてしまうし、自分で自分を信用できなくなります。

私は そんな風に考えていますから、自分の「物差し」が 狂わないように 毎日 手入れをしているのですが、「物差しのそもそもの基本」は 20才ぐらいまでに出来上がってしまったような気がします。

しっかりした「物差し」を 一度手に入れてしまえば、月日がたっても 道を歩いていても、いいものを見付けたら たちどころに反応します。

「ロカメンコ」の路上ライブに 足を止めてくれた人は きっと そんな人だったのでしょう。