浜岡原発 全面停止

浜岡原発 全面停止
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5月6日 菅直人首相が緊急の記者会見をして 浜岡原子力発電所にある
全ての原子炉の運転を停止するように中部電力に要請したと発表しました。
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福島の原発が 東日本大震災による津波で壊滅し その事態の収拾が
2ヵ月たった現在にいたっても目途すら立っていません。
日本のエネルギー政策とそのなかに占める原発の位置付けを
どうするのかを早急に検討すると言っていながら 目の前の福島原発
の処理に忙殺されて なにも手が付けられていません。
一方で 東海地震の起こる確率は高いと警告されているのですから
何もしないで 福島原発のような事態が発生することを懸念して
政府、国会での論議を経ずに 菅直人首相は中部電力に運転停止を
要請したのでしょう。
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5月7日の主だった新聞の反応は それぞれの新聞社の性格というか
社風どおりでした。
今の日本で 政治は何を最優先にすべきかを考えたときに
浜岡原発が事故を起こすことを何としても予防しなければいけないと考えるのか、 
菅政権の退陣こそが喫緊の大事だと考えるのかの差のようです。 
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一度 原発の安全性が損なわれてしまったのですから もう二度と原発推進を
試みることは出来なくなったと考えるのが普通です。
つまり 浜岡原発の再稼働は津波防護壁が完成したとしても 可能性はとても少なく
なりました。
とはいっても 代替エネルギーが原発に代わる段階に来てはいませんから
日本のエネルギー不足すなわち電力不足は深刻で 経済成長なんかとんでもなくて
経済は マイナスの方向にまっしぐらに進むはずです。
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「この世に いい事ばかりはない。」は真実で いい事の反対側には 悪いことが
必ず隠れています。
戦後66年間 技術の目覚ましい発達とともに経済発展のみを国全体で志向し
それに成功しましたが ここにきて反対側の悪いことが噴出しています。
しかし、この「いい事も 悪いことも」 たったひとつの価値観 イデオロギーである
「資本主義」それも極端に変質した「アメリカ資本主義」を価値の基準とした場合
ですから、この際少し「アメリカ資本主義」から距離を置いて、
つまり 経済成長をゆるやかにするのもやむを得ないと覚悟することも選択肢
の中に入れれば 今のように 国中がヒステリーにならないですむのだとおもいますが。






 

厳しい人生に耐える覚悟


厳しい人生に耐える覚悟
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少し前になりますが (3月16日)曽野綾子さんが 産経新聞のコラムに
「厳しい人生に耐える覚悟」というタイトルで 今回の東日本大震災について
書かれていました。
大意は
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私たちは常に人生からも、今回は地震からも何かを学ばねばならない。
それが人間の分際というものだ。
いかなる運命からも学ばない時だけ、人はその非運に負けたことになる。
さしあたり、私たちは、「安心して暮らせる」などという現世には決してない言葉に
甘えることの愚をはっきりと悟るべきだろう。
長い年月、政治家が選挙の度に私たちに「安心して暮らせる生活」などという
詐欺に等しいものを約束し、国民もまた、いい年をした老人までが
「安心して暮らせる生活」を信じて要求した。
もうこの辺で、その錯覚をはっきりと見定めて生きるべきだろう。
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というものでした。
これを読んで「いい年をした老人までが」というフレーズに 老人の私は
頭を叩かれた気がしました。
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もうひとつ(3月31日) 瀬戸内寂聴さんが 朝日新聞に
「無常 どん底は続かない、どんな不幸の中でも 希望の見える世を信じて」
という文章を寄稿されています。
こちらもそのなかの一部をご紹介します。
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人間の知識や進歩のはかなさと、自然の脅威の底知れなさに震えあがった。
人間はいつの間にか思い上がり、自然の力を見くびりつづけてきたように
思われる。
宇宙を見極めたつもりで、無制限な大自然の一端も覗き得ていなかったのでは
ないか。
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私たち誰もがいま 瀬戸内寂聴さんと同じ思いを持っていると思います。
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3月11日、14時46分に起こった東日本大震災から 一月になろうと
しています。
多くの識者がこの大災害に関して 意見を述べておられますが
曽野綾子さん、瀬戸内寂聴さん、お二方の様な「この危機の本質は何なのか」
を「ざっくり」と示されたのを わたしは目にしていません。
多くの識者が 起こったことの大きさに仰天し、うろたえてしまったのは
やむを得ない事ですが 政府の対応の拙さや 東京電力に対する責任の
追及やらがもっぱら 今の時点でもされています。
今回の様な危機的状況が現出した時、うろたえずに対処し、本質を語るのが
いかに難しいのかがわかります。
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しかし この世の中の有り様の本質とは別に、今のような状況に
放り込まれたたら、どうしたらいいのかという場面に私たちは
毎日直面しています。
私は更に 次のお二人の書かれている意見に同意していますので、ご紹介します。
最初は 池澤夏樹さんが 4月5日朝日新聞夕刊の「終わりと始まり」という
コラムの中で書かれている文章です。
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正直に言えば、ぼくは今の事態にたいして言うべき言葉を持たない。
被災地の惨状について、避難所で暮らす人たちの苦労について、暴れる
原子力発電所を鎮めようと(文字どおり)懸命に働いている人々の努力
について、いったい何が言えるだろう。
自分の中に色々な言葉が去来するけれど、その大半は敢えて発語するに
及ばないものだ。
それは最初の段階でわかった。
ぼくは「なじらない」と「あおらない」を当面の方針とした。
政府や東電に対してみんな言いたいことはたくさんあるだろう。
しかし現場にいるのは彼らであるし、不器用で混乱しているように見えても
今は彼らに任せておくしかない。
事前に彼らを選んでおいたのは我々だから。
今の日本にはこの事態への責任の外にいる者はいない。
我々は選挙で議員を選び、原発の電気を使ってきた。(沖縄県と離島を除く)
反原発と言っても自家発電だけで暮らすことを実行した者はいなかった。
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次は伊集院 静さんが 毎週週刊文春に書かれている「悩むが花」という
人生相談風 エッセーの4月7日号掲載の文です。
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Q(読者からの質問という形になっています)
  福島原発の事故について、海外メディアとの報道の温度差にとまどっています。
アメリカなどは80キロ圏内の避難勧告出しており、日本から退避する動きも
広がっています。
この問題をどう受け止めたらいいのでしょうか?
A(伊集院 静さんの答え)
  福島原発の事故の受け止め方かね? 真相かね?
  そりゃ今の時点じゃ、なにひとつわからんでしょう。
  東京電力が何かを隠しとると言う人がいるが、隠したってあとでわかる
  ことだろう。
  アメリカが80キロ圏内の避難勧告をしたって?
  それがこういう事故の時の普通の対応なんだろう。
  「それじゃ、日本は普通じゃないんですか?」
  そんなに驚くなよ。そりゃはっきり言って普通じゃないだろう。
  けど君、どこに逃げるの?
  こんな狭い国で?
  「最悪の事態になったら日本中が汚染されてしまうんですか?
私たち皆 被曝してしまうんですか?」
  そりゃそうだろう。
  原子力発電は危険が伴うとわかっていて、日本人は皆がこれを
  承知したんだから、仕方ないんじゃないか。
  「それで平気なんですか?」
  わしは平気だよ。
  けど将来のある女性や子供は危険になったら避難させてやらにゃ
  いかんだろう。
  「その危険状態になってるんじゃないんですか?」
  そうかもしれんけど、わしら男はジタバタしてもしょうがないぜ。
  「このまま死ねというんですか?」
  だから死にたくなきゃ逃げろって。
  誰も文句は言わんし、頑張って生きろ。
*
マスコミや ジャーナリストや 識者と言われる人たちの発言が いまだに
冷静さを欠いているように思えるので 曽野綾子さん 瀬戸内寂聴さん 池澤夏樹
さん 伊集院 静さんの冷静な文をご紹介しました。
この4名の方々はみな文学者です。
*
大津波の被災地の復興は まさか旧来の形に戻すというわけにいかないでしょうから
復興のマスタープランを作るのに時間がかかるでしょう。
福島原発は 願望どおりに鎮まってくれるのでしょうか。
仮に鎮まってくれるとしても 長い時間がかかります。
全てを失ってしまわれた被災地の皆さん、退避勧告を受けて避難なさっている
皆さん、生産活動ができなくなってしまわれた農・漁業の皆さん、
退避勧告を次に受けるかもしれない地域に住まわれている人たちだけでなく 
更にその周りの 日本の全ての人たちが 緊張しっきって推移を見守っています。
私たちはこの緊張をこれから先も続けることができるのでしょうか。
*
多分 緊張に耐えられなくて 今より更にヒステリックになるのは
マスコミやジャーナリストだと思います。
それは 彼らの仕事が現在の状況を出発点にするからです。
状況が改善されなければ 彼らはこれから先もヒステリックに危機を
煽り続けるでしょう。
それに対して 文学者や哲学者は現在の状況はともかくとして、
日常から離れたところから 思考をスタートさせますから
今回のような 過去に経験したことがない 天災と人災の複合災害を
冷静に見ているのだと思います。 
*
経験したことがない事態に直面している私たちへの指針は間違いなく
文学者 哲学者がだしてくれそうです。
この危機に際して 文学者 哲学者の発信を期待します。









  

【ブログ引越しのお知らせ】丸山ワクチンのブログを引越します

ブログを再開するに当たって 私の病気のことを公開し これからは 音楽のことを書くだけでなく 丸山ワクチンのことも書こうと 欲張ったのですが 「音楽予報」に がん治療のことを書くのは いささか場違いな気がしてきました。
私個人はがん患者で 音楽やゲームが好きですから がんと 音楽と ゲームが同じブログに取り上げられていても なんの違和感もないと思ったのですが、 音楽やゲームに興味のないがんの方が丸山ワクチンの情報を取りたいと思ってこのブログをのぞくと 音楽の話や ゲームの話が続いていると、しまいに 怒り出すのではないかと心配になったのです。
それで がんの話は「丸山茂雄の丸山ワクチンでがん治療・がん予防」というタイトルのブログに引っ越しすることにしました。
ですから この「丸山茂雄の音楽予報」は以前の様に 私の駄文を書き連ねます。
丸山ワクチンのことでしたら どうぞ「丸山茂雄の丸山ワクチンでがん治療・がん予防」のほうをのぞいてください。
よろしく お願いします。  


日本のがん治療を本で学ぶ

丸山ワクチンを使った治療を試みようとすると どんな問題が発生するのか それをどのように解決すればいいのかを 前回お話ししました。

皆さんからの質問は 「丸山ワクチンを手にいれるには どうすればいいのか?」というのですから 前回書いた回答で間違ってはいないと思うのですが、なにかもう一つ 肝心なことが 抜けているような気がして すっきりしません。

そこで いろいろ考えたのですが 「日本のがん治療の現在の実態」を判っていないと 私の話は 理解できないのだ、ということに気づきました。 
丸山ワクチンを使う治療を選ぶのはいいのですが 丸山ワクチンを使う治療は がん治療の 応用編ですから まずは がん治療の基礎編、「日本のがん治療の常識」を学ばなければなりません。
「日本のがん治療の常識」は 本、インターネット、などで学ぶことができますから まず 本を 五、六冊読んでください。

「本」 は大きく分けて 三種類の著者によって書かれています。

第一は 専門のお医者さんによって書かれた本です。

これはまた二つに分かれ 抗がん剤の専門家によって書かれたものと 放射線の専門家によって書かれたものがあります。
抗がん剤の専門家(内科医)と 放射線の専門医は 外科のがん手術医がいかに無意味な手術をしているのかを 告発しています。
勿論 大部分の手術は 必要があるのでしょうが 不必要な手術もかなりあるようなのです。
「いい加減にしろ、そんな手術はするな。このがんだったら 手術より 抗がん剤治療か
放射線治療のほうが 有効だから こちらに任せろ。」と 抗がん剤の専門医と放射線の門医が 病院のなかで 外科のお医者さんに文句を言っても 外科のお医者さんのほうが 病院内では パワーがあるから 気にもしないで 相変わらず どんどん手術をしているようなのです。
抗がん剤の専門家(内科)や放射線の専門家は 病院内では人数も少ないし パワーがないので 自分たちの主張が通らないから 頭にきて 外部に訴えるしかありません。
それで 本を書きます。 
そんなわけで 抗がん剤の専門家と 放射線の専門家が 書いた本を読むことは出来るのですが 外科の専門家の 本を見ることはありません。
外科の専門家は 本など書かなくても 手術の患者はたくさんいるのです。 
 
それだけなら 判りやすいのですが 抗がん剤専門医(内科医)は放射線治療を 放射線専門医は 抗がん剤治療の問題点を それぞれに厳しく非難していますから 読んでいる私たちは 何がなにやらわからなくなります。

がんの治療は とても長い年月 外科手術が 唯一の確実な治療法として認められていて 抗がん剤や放射線治療などは 外科手術の補助を担う程度の治療だという考え方が 病院や お医者さんにありました。
しかし外科手術の限界が明らかになり 抗がん剤や放射線治療のほうが成績のよいケースのあることもはっきりし始めて来ているのに まだ外科手術中心主義がどの病院にもあるのは問題だというのは そのとおりだとおもいます。
しかし 抗がん剤治療にも 放射線治療にも それぞれに大きな問題点があることも 判りますから まずは読んでください。
がん治療には これが王道といったものはないのです。
それぞれのお医者さんが 自分の貧しい経験をベースにして 治療計画を立ててくれているので それが最善だとは とても言えないのですが 今は ほかに方法はないのです。
したがって 治療計画をお医者さんに任せてしまうのは 極めて危険だと 思うべきでしょう。
それだから セカンドオピニオンを求めることが 許容されているのです。
ということは 「結果の責任は 患者側にありますよ。」と病院や医者に言われているのです。 
「素人に 責任を押し付けるなんて ずいぶんじゃないか?」とは思うのですが 自分で勉強して 病院やお医者さんのがん治療計画を 承認するのか しないのかを 決めなければなりません。
ですから 「日本のがん治療の常識」を患者が知っておかなければならないのです。
さあー、それでは本を読んで 勉強を始めましょう。

専門のお医者さんの書いた本で 私のお勧めを ここにあげます。

患者よ、がんと闘うな (文春文庫)

患者よ、がんと闘うな (文春文庫)

なぜ、ぼくはがん治療医になったのか

なぜ、ぼくはがん治療医になったのか

がんになったらすぐ読む本 (朝日文庫)

がんになったらすぐ読む本 (朝日文庫)

最良のがん治療 道案内 より適正な判断を導くためのヒント集

最良のがん治療 道案内 より適正な判断を導くためのヒント集

抗癌剤―知らずに亡くなる年間30万人 (祥伝社新書 (001))

抗癌剤―知らずに亡くなる年間30万人 (祥伝社新書 (001))

がんをどう考えるか―放射線治療医からの提言 (新潮新書)

がんをどう考えるか―放射線治療医からの提言 (新潮新書)


第二は 医療ジャーナリストによって書かれた本です。
 
取材をした専門医の影響を受けていますが ジャーナリストが書いているので 比較的公平な立場で問題点を指摘していますから 参考になります。

希望のがん治療 (集英社新書)

希望のがん治療 (集英社新書)


第三は 患者が書いた本です。

普通の人の書いた本だと がん患者になって気付いた 家族への愛とか 感謝とか 生きる意味とかという話になります。
それはそれで 意味のある本ですが がん治療の勉強という目的にはあいませんから そういう本はパスします。
しかし がんになったお医者さん、 がんになったジャーナリストが書いた本は がん治療の実態を報告するドキュメンタリーですから 参考になります。

百万回の永訣―がん再発日記

百万回の永訣―がん再発日記

がん六回 人生全快 (講談社文庫)

がん六回 人生全快 (講談社文庫)

医者が癌にかかったとき (文春文庫)

医者が癌にかかったとき (文春文庫)

臨床瑣談

臨床瑣談


ニュートリノ観測で ノーベル賞を確実視されていた物理学者が最期の11ヵ月に綴った観察の記録は 医者ではないけれど 科学者の記録として 参考になります

がんと闘った科学者の記録

がんと闘った科学者の記録


最後に がん治療を 別の角度から考えているお医者さんの本もご紹介しておきます。

ガン医療のスキマ30の可能性―大病院はなぜか教えてくれない

ガン医療のスキマ30の可能性―大病院はなぜか教えてくれない


本屋に行けば がんに関する本は他にも たくさん出ていますから 私がここにあげた本でなくても 良い本があります。
何冊かの本を読んで 「日本のがん治療の常識、実態」を頭に入れて がん治療の基礎編を マスターしてください。 
そうすれば 応用編の「丸山ワクチンによるがん治療」の理解が 容易にできるようになります。

丸山ワクチンの入手方法

丸山ワクチンに関する問い合わせを たくさんいただいているので 順番におこたえします。

インターネットの時代ですから 検索すれば 丸山ワクチンのオフィシャル・サイトに簡単にアクセス出来ます。
そこに 必要な情報は載っています。 
にもかかわらず 私のところに問い合わせをしてくるのは オフィシャル・サイトの情報のほかにも 有益な情報があるのではないかと思われているのだと思います。
オフィシャル情報というのは 一般に良くできていて 注意深く読むと 必要なことは全部説明し尽くしているのですが やや素っ気ないものです。
読むほうは 先を急いで 読み飛ばしますから 必要なことが 頭に入らないことがあります。
説明側と 読者側のこの意識の差を埋めるには 適当な解説が必要なのかもしれません。
そんなわけで 出来るだけ わかりやすく 質問にお答えしようとおもいます。

一番多い質問は 「丸山ワクチンを手に入れるには どうすればいいのか?」という質問です。これにお答えします。

まず 丸山ワクチン・オフィシャルサイトにアクセスしてください。
そして 「目次 一般の方」をご覧ください。

最初に 「丸山ワクチンとは」という項目が表示されています。
この項目は じっくり読んでいただきたいのですが 今すぐ 丸山ワクチンを手にいれたいあなたにとって こんなものを読んでいる心の余裕がなければ 後で必ず読んでいただくことにして 飛ばして 次に進みましょう。

で、「治療をうけるには」の項目に進みます。
ここが 「丸山ワクチンを手に入れるには どうすればいいのか」の一番大事なところです。
「丸山ワクチンの治療を受けるまでの流れ」という項目のタイトルがついていて 
「(1)治験を引き受けていただける医師をみつける。」と書いてあります。

「治験」という単語が出てきました。
この単語のことは前に説明しましたが、 丸山ワクチンは 厚労省から 有償治験薬という地位を与えられています。
つまり 「費用を患者負担で 実験治療をする薬」ということですから 実験治療の「注射」をしてくださるお医者さんを 見つけなければ ならないのです。
え・え・え・・・・・・丸山ワクチンは 飲み薬じゃないの?と言う人がいますが、残念なことに 注射薬なのです。
ですから 実験治療(冶験)を引き受けていただける医師を見つけ 丸山ワクチンを
「注射」してもらわなければなりません。
そんなわけで 丸山ワクチン・オフィシャルサイトの説明文の「治験を引き受けていただける医師を見つける」という表現になります。

こういう表現をしているということは 「勘」のいいあなたなら ピンと来ると思うのですが 「治験を引き受けていただける医師を見つける」のが 大変難しいことを意味します。
とくに あなたが大きな病院に入院していたり これから入院しようとしていて その病院で丸山ワクチンを使ってほしいとお願いしても その希望がかなえられる可能性は とても低いのが現状だとおもいます。

病院が丸山ワクチンを使わないのは 厚労省が認可してない薬なので 保険医療の適用外ということになり 病院の収入にならないからです。
病院の収入にならない医療を患者に施すことは あり得ないわけで 病院から見れば 丸山ワクチンを使ってほしいと 患者に言われるのはとても迷惑なことです。  

大病院のお医者さんが 丸山ワクチンを使わないもう一つの理由は 丸山ワクチンを積極的に評価すると そのお医者さんは 医学界の主流から外されてしまうということが 1981年から現在まで30年続いているので 誰もそのような危険な薬を扱おうとしません。

1981年から かれこれ30年経っていますから その当時の医学界の主流のボスは 皆さん鬼籍に入っておられる筈ですから もう主流から干されるといった心配をする必要は無いと思うのですが 相変わらずお医者さんは 丸山ワクチンに係るのを怖がっています。

怖がる権威がすでに死んでいるのに 相変わらずその影におびえて 影響を受けてしまうという構造は それはそれで面白いので別の機会に論じてみたいと思いますが 今問題にしている 丸山ワクチンを使った治療をあなたが受けようとしたときに そう簡単に事が進まないことは おわかり頂けるとおもいます。

と言って あなたが 丸山ワクチンの治療を受けたくても 「治療を引き受けていただける医師を見つける」ことが不可能かといえば そんなことはありません。
簡単ではないけれど 方法はいくつもあります。
まず第一に 困難ではあるけれど 最もオーソドックスな方法を試してみましょう。

どんな大病院であっても 丸山ワクチンを使ってほしいと主治医に頼むと 「いいですよ」と言ってくれる医師がまれにはいます。
あなたが患者で その病院の治療メニューを受けていて さらに丸山ワクチンを使うのであれば その病院の収入になんら悪影響を与えませんから 「いいですよ。」と言ってもらえる可能性は あるのです。
ですから 思い切って 頼むのが 丸山ワクチンを使って治療を受ける 第一歩です。

もし断られたら 「なぜなのか?」と理由を聞いたほうがいいと思います。
病院経営の問題なのか、学会で睨まれるのが怖いからなのか、単に丸山ワクチンのことを 勉強してないだけなのか、などなどが 判りますからそれはそれで勉強になります。
今は どんな業界でも ユーザーの声を聞いて 自分たちのやり方を修正したり 反省したりすることが ごく当たり前になっているのに、 そういうことをしない業界が いくつか まだ残っています。
大病院の医師もそのうちのひとつですから 患者は まっとうな医師を育てるためにも しつこく 質問をしたほうがよいのです。(笑)
そうはいっても 患者と医者の関係は 圧倒的に医者のほうが強いのですから 医者の機嫌を損ねたくないという配慮が働くのは 自然なことで、 大病院で断られたら あきらめる他ありません。

それではどうすればいいのか という問題に移ります。

がんという病気は不思議な病気です。
がんには いろいろな種類があるのですが 多くのがんは ひとつの細胞が変化し始めてがんと診断されるまでに 10年以上 ときには 20年近くかかることも 稀ではありません。
言葉を換えて言えば 10年以上 20年近く がんという病気だったのに 気付かないだけだったともいえるのです。
検診やなにかのきっかけで がんが発見されて大騒ぎになりますが 気づかなければ まだしばらくは健康人として 普通の生活をおくっていたはずです。
発見されて そのまま ほっとく という大胆なひとも 稀にはいますが がんは進行しますから 普通は色々な治療を 試みます。
そうこうしているうちに 健康だと思っていた人も じょじょに がん患者らしくなります。(笑) 
がん患者が 自分は重篤ながん患者だと自覚できるのは 末期の更に末期になってということも めずらしくありません。 

がんの治療は そのがんの進行の程度によって それぞれに異なります。
一概には言えませんが  最近の治療は 入院の期間が とても短いのです。
がんが 早期の場合 手術は昔に比べて 普通は小手術になっています。
小さい手術は 患者の体に対するダメージが少ないので 入院期間は短くなります。 
がんが 末期の場合、 患者の延命の可能性が少ないのであれば むだな手術はしないという考え方になってきて 手術以外の 穏やかな方法を採用するようになってきています。
私の場合も 食道がん末期だったので 手術は無駄だという判断で 放射線化学療法という 手術に比べたらはるかに穏やかな方法を選び 成功しました。

抗がん剤の投与も昔は 大量に注入して 嘔吐したり 発熱したり 激しい悪寒があったりということもありましたから その副作用の後処置は 病院でなければ出来なかったので 入院は必須でしたが、 最近は 薬の使用法が かなり改善され 入院せずに 外来で対応してもらえる場合すらあります。

そんなわけで 以前は がんで入院すると 退院というのは 死亡退院を意味したのですが 今は 自宅で普通の生活をどれぐらい続けられるような治療ができるか という方向に 治療目的が変わってきているので 当面の治療がすめば 退院することができます。

とはいうものの がんの治療成績が急激に上昇しているということは 残念ながら ないようですが、今までの様な「無駄な治療」は お医者さんも 自粛するようになりました。
このことは がん患者にとっては 大朗報で、人生の終末期を 過激な治療を施され 苦しんで過ごすことは かなり 減ったようです。

それでは本題にもどります。

大病院で断られたら そのあと「丸山ワクチンの治験を引き受けていただける医師を見つける」のはどうすればいいのかを考えます。

最近のがん治療の変化に伴って がん患者の入院期間が短くなってきているという話をしました。
がんの疑いがあるとなると 近所のお医者さんは「大きな病院に行って 精密検査を受けてください。」と言います。
それで私たちは 大病院に行き そこでみてくれたお医者さんを 自分の主治医であると決め込んでしまい、近所のお医者さんの存在を 忘れてしまいます。

大病院のお医者さんだったら どのお医者さんでも わたし達のがん治療を すっかりお任せしても大丈夫かといえば そんなことはないわけで、 それだからこそ 最近では セカンドオピニオンをとることを 大病院が 嫌がらないどころか 勧めるようになってきているのです。
でも 今まで 私たちは なぜか がんという病気にかかると 大病院で面倒を見てくれているお医者さんを 「絶対に変えることのできない権威のある主治医である。」と決めてしまって その主治医に忠誠を誓い 他のお医者さんのところには行かない、浮気をしない、といった態度をそのお医者さんに示してしまいます。

でもセカンドオピニオンを求めるということは 私たちが 必ずしも今の主治医を唯一無二であるとは思わなくなってきていることの証拠です。
大病院に長期間入院していると そこの主治医に依存する気持ちが強くなるし 実際 頼らざるを得ないのですが、入院期間が短くなって 大病院の外で生活することがふえてくると 大病院の主治医に依存する気持ちは徐々に薄くなり 自宅の近所のお医者さんの存在を思いだします。
つまり 自宅の近所のお医者さんは あなたにとって大事な もう一人の主治医なのです。

もう お分かりですよね。
大病院の主治医が 丸山ワクチンの治験を引き受けてくれないのなら 近所のもう一人の主治医に 治験を引き受けてもらえばいいのです。
私たちは あまり自覚をしていませんが 何人もの主治医をもっています。
かぜをひいたな と思えば内科のお医者さん、皮膚に問題があれば皮膚科のお医者さん といった具合にそのつど専門の主治医に見てもらっています。
主治医は何人いてもよいのです。
丸山ワクチンを使ってみたいのなら 大病院で断られたとしても 自宅の近所の医院をこまめに調べて 丸山ワクチンの治験を引き受けてくれる医師を見つけ 主治医になってもらいましょう。

検診でがんが発見されると パニックになり 大病院に駆け込んで そこのお医者さんの言いなりになってしまいがちですが どのような治療を受けたいのかを 決めるのは患者本人のあなたです。
丸山ワクチンで治療をしたいのであれば 丸山ワクチンの治験を引き受けてくれる医師に主治医になってもらってください。

さて ここまでで いったん 復習をしましょう。
まず 「丸山ワクチン・オフィシャルサイト」を見てください。
次に 「目次一般の方」に進んでください。
次に 「治療を受けるには」を見てください。

「治療を引き受けていただける医師を見つける」 というタイトルの項目を改めてよんでください。

「第一に、丸山ワクチンによる「治験」を引き受けていただける医師(担当医師)をみつけてください。患者さんの病状を最もよく把握している主治医におねがいするのがよいでしょう。ただし、週3回注射に通わなければなりませんので、近所にかかりつけの医師(ホームドクター)がいればその医師に相談するほうが便利な場合もあります。」
と あります。
この文章をよく読んで頂ければ 大病院の医師に断られた後 どうすれば良いのかを 示唆していますから 判る人は判るでしょうが 判らない方のために 長い解説をつけました。
解説が下手で かえってわからなくなったといわれるのを 恐れます。

ブログ再開のご挨拶

ちょうど 今から3年ほどまえ 2007年は 春から秋にかけて  何やら最悪の気分が体内に充満し、 毎日不機嫌に過ごしていました。

原因は いろいろあったのですが まず第1に そのころの音楽が面白くなくて 新曲をきいても 楽しめなかったのです。
新しい曲を聴いても 面白く感じないということは 私が年をとって 感性が 現在(いま) についていけなくなったからです。
私のような仕事をしている者にとって このことは 由々しき問題です。
そろそろ 引退を考えなければいけなくなった と自覚せざるを得ない状況が 不機嫌を引き起こします。 

第2に 2005年の夏に スタートした 音楽プロモーション&配信サイト mF247が 当初もくろんでいたようには 順調に立ち上がらなかったことです。
インターネットの世界は ドッグ イヤーなのだという この世界の動きの速さは わかっていました。
それにしても 先行企業の逃げ足が速くて 後発組(mF247のことです)が ちょっとした コンセプトの違いを武器に 戦いを挑んでも とても追いつかないことが はっきりしました。
そこそこに面白いサイトになっていると思っていたのですが 世間から大注目されるというところまでには 到達できなかったので 不機嫌になっていました。

第3に 沖縄の音楽を紹介したいという試みも 沖縄音楽が 「旬」 となってしまい メジャーが扱うジャンルになってしまいました。  
インディーズが手作りで ミュージシャンとかかわっていくという時期は 過ぎ去っていました。
私が 「いいな!」 とおもうバンドを あろうことか 私の後輩が さっさと 契約してしまう という状況になっていましたから もう私の出る幕は 沖縄で なくなっていました。
ですから これも当然 不機嫌の原因になります。

第4に もっと大きな問題も 気になっていました。
産業革命以降の 約300年間、 ものすごいスピードで 技術が進歩し その技術を基に 資本主義は発達してきました。
今も、 物理学や 生命科学といった 基礎的な学問は 発展を続けています。  
しかし 目新しい商品やサービスを作り出す技術が 前ほど数多くは提案されません。
その結果 経済が 活性化されなくて、資本主義そのものにも 行き詰まり感が出始めています。
街に出ても 買いたい商品がありません。
街に出ても 試してみたいサービスがありません。
内需拡大が 叫ばれていますが 難しそうです。
まいったな。 世の中 明るくないよな。 暗いよな。・・・・・・
毎日があまり楽しくなかったこともあります。

このブログを休むまえの 2007年の春から初夏にかけて そんなことばかりを ブログに 書いていました。
私は 本来 毎日の生活を深刻に考えたりしないで 明るく 楽しく 前向きに すご
してきた人なので こんな不機嫌な気分が続くのは はじめてのことです。

これは 何かの病気に違いない! 
そして この病状から判断すると 「老人性鬱病」に違いないと 自分で 診断しました。
以前は 朝起きると 瞬時に電源が入って 機嫌良く 動き始めることができたのに、 朝起きても すぐには動きだせなくて 外出準備に 2時間もかかるようになっていました。
とはいうものの「老人性鬱病」が何なのか なんてことは 実は まったく知らないのです。
しかし 若い時から 現在に至るまで 能天気に明るい性格だった自分が 急に不機嫌になってしまうというのも 不自然です。
「病気だから不機嫌なのだ」ということが 自分にとって 理解しやすかったのです。
そんな状態だったものですから ブログを休んでしまいました。

体調が戻ればすぐにでも 再開するつもりだったのですが 夏が過ぎ 秋に入っても機嫌は直らず、体調もよくなかったのです。
そうこうしているうちに 不機嫌の原因が解りました。  
「老人性鬱病」とは別の病気を抱えていることがわかったのです。 
そんなわけで ブログへの復帰ができませんでした。

2007年11月14日に 友人と食事をしていたところ  肉片がのどにひっかかりました。 
ただ事ではないと思い 週末に、 親しくしている医者に相談をしました。
「多分 癌だろうから 大至急 専門の医師に診てもらいなさい。」 とあっさりいわれ、 耳鼻咽喉科の医師を紹介してくれました。 
診察の結果は 「喉周辺には 問題がない」ということがわかり それならば 問題個所は「食道」だろう ということになり 次に そちらの専門家を紹介されました。
事態はそのあたりから 急展開を見せます 

その日の夕方には蕎麦が食べられなくなりました。
呑み下せないのです。
夜になると こんどは 水が飲めなくなりました。
「水が飲めない」 ということは 干からびてしまうわけですから 深刻です。 
水と栄養を点滴で体に補給するとなると 24時間点滴をしなければなりません。
ということは 「即入院」 をしなければなりません。
周囲の親しくしている複数の医者が 状況を判断しながら 病院の選択と手続きを手伝ってくれたので 11月22日 に入院できました。
私の癌は「食道癌」だろう ということで 「食道外科」にお世話になることになりました。

このブログを読んでくださっている大部分の方は 音楽や ゲーム関係者だと思うので 私のがん闘病記などを 読みたくないだろうなと おもいます。
しかし 病気の説明を若干、しておかないと、 これからのブログの内容が 解りにくいかもしれませんので  付き合ってください。(笑)

「食道外科」に入院し 点滴によって水分と栄養が補給されることになったので まずは 一安心しました。
私の性格が 実によく出たのですが 「先のことより とりあえず 目の前のことが大事」という私の原則が ここで 直ちに適用され 水分と栄養を確保できたので もうすっかり上機嫌です。(笑)
病院は 21時が消灯時間です。
それまで 深夜1時や2時まで街をうろついていて 就寝は2時や3時だったのに 21時というとんでもなく早い時間なのに 枕もとの電気を消すとなぜか 眠れてしまうのです。
さすがに朝は 5時ごろには 目が覚めるのですが それでも8時間は寝ていますから 睡眠は十分にとれています。
昼間は 検査がちょこちょこありますが 入院しているので 時間に合わせて 検査の部屋に行けばいいのですから 時間は たっぷりあります。 

突然の入院でしたから 息子達にも 会社のスタッフにも 何の説明もしてなかったので、 病院に来てもらい 息子達には 家のことを、  会社のスタッフには 会社の これからの方針を つたえました。
このころの 私は ものすごく テンションがあがっていました。
癌だということは はっきりしているのですが どの程度の段階なのかは まだわかっていません。
きちんとした検査をして データを見てからでないと お医者さんは何も言ってくれません。
しかし 食べ物が 喉をとおらない、水がのどを通らないというのは けっこうインパクトが強くて 最悪の状態であると思わざるをえません。
そうなると 病気が病気だけに 対応する選択肢が ほとんど無いということになります。死というものが目の前に 迫っていると思ったほうがよいのですから 生きている間にかたづけて置かなければならないことを処理することに、 関心のすべては 向かいました。
限定された時間内で 処理しなければならない案件をリストアップし 優先順位を付けて 片づけるのは 好きなので、 その段取りを考えていると 死ぬことを前提にしているのに 死のことを すっかり忘れて テンションがあがるのです。(笑)

入院して4日目に なぜか 水が少し喉を通るようになりました。
(このことは 私にとって 大事件なので その説明はあとでします。)

食道が詰まる直前は 小さな隙間を通って 食べ物が不自由なく通っていたのですから ちょっとした隙間さえあけば 水くらい通るかもしれないと その時は思いました。
水がのどを通らない、という最悪の状況が改善されたのですから 「先のことより 目の前のことが大事」の原則に従って 更に上機嫌になりました。(笑)

4日間 水分と 栄養補給のために 点滴をしていたわけですが 水が飲めるとなると 栄養も 経腸栄養剤というアイスクリームを溶かしたようなドリンク剤を飲めば 良いことになります。
そうなると点滴は中止になりますから、スタンドに縛られることなく 自由に動き回れるので 更に 更に 上機嫌になりました。(笑)  

12月 8日 検査結果をもとに これからの方針の説明会が開かれました。
出席者は 病院側から 食道外科の主治医 内科の先生 記録係の看護師の3名 丸山側から 妻 長男 次男と 私の姉 義兄の医者 もちろん患者本人の私 の6名 計9名が 説明室に入ります。
説明会の冒頭に 主治医の食道外科の先生から 「これから説明する内容は 前日までに 関連のお医者さんが集まったカンファレンスで データを検討した結果です。」 というまえふりがあってスタートしました。
説明は 非常に簡単で 「6cmの扁平上皮癌が食道にあり さらに右頸部リンパ節と胃の右側リンパ節に転移しているので 癌の段階は4Aです。 この段階では もう手術という選択肢は ありません。  食道癌4Aの標準治療としては 化学放射線治療しか選択肢は残されていません。」とのことでした。
主治医は 食道外科の先生ですから 最善手は手術だったのに リンパ節に転移しているのであれば この先 体内のあちこちに転移が予想されるから 手術をする意味がないということのようでありました。

ここで 主治医は 食道外科の先生から 内科の先生にバトンタッチされ 抗がん剤治療の説明と 放射線治療の説明をうけました。
癌の段階が 4Aということで それがどういう意味なのかはわからなかったのですが 手術ができないほど 癌が進行している という事実は はっきり理解できました。
と いうことは 終末までに もうそんなに時間は残されてはいないわけです。  
と なれば 残っている時間は どれぐらいだろうか を先生から聞き出さなければなりません。
そんなことを先生は さすがに 本人には言わないのです。
やむを得ず 先生の顔を見ながら 来年の夏? それとも 春? 5月?4月?3月?と範囲を狭めながら 様子をうかがいつつ 顔色から判断すると 3月 4月あたりということがなんとなくわかりました。

癌という病気は なんとも不思議な病気で 4Aという末期の段階に至っているのに 体温は上がってないし 体のどこかに痛みがあるわけでもありませんから 食物が順調に 喉をとおっていれば  多分、間違いなく 普通に生活を続けていたと思うのです。
つまり 私は この期に及んでも 自分が重大な病気を抱えているとは思えなくて 先生の説明を聞いていても やや 他人ごとの様な感じがありました。

新しく主治医になった内科の先生の説明では 最初の抗がん剤治療は 5-FU と シスプラチンの2剤を同時に入れるということと 放射線を食道と 右頸部のリンパ節と 胃の右側のリンパ節に 1回 2グレイずつ30回 計60グレイを照射するという説明をうけました。
私は  抗がん剤 5-FU とシスプラチン の治療と 放射線を 食道と 右頸部リンパ節への照射だけを希望しました。
つまり 胃の右側のリンパ節への 放射線照射は 断ったのです。
この返答に 主治医の内科の先生はびっくりした顔をしていましたが 同席していた義兄の医者も 複雑な顔をしていました。
標準治療の範囲の中の治療ですから 普通 は 提案を 断るなどということは ないのでしょう。
主治医の内科の先生は 「義兄のお医者さんと 後で ゆっくり相談して 結論を出してください。」ということにして その場は おわりました。

胃の右側のリンパ節に 放射線を照射したくないという私の判断に 医学的な裏付けがあるわけではありません。(ご存じのように 私は医者ではありません。)
しかし 4Aという段階にきているのならば 最後にうまいものを ガシガシ 食べて 死にたいなと思い 食道が一時的にでも完全開通したあと 胃が放射線照射によって 不調になってしまうのを避けたいというのが 瞬間的に思ったことなのです。(笑)

こんなやりとりがあって 説明会が終わり、妻、息子2人と姉を帰宅させ、 私と義兄の医者は 私の病室にもどりました。

食道癌 4Aの段階まで来ているとなると 治療行為をあれこれ考えるよりも どのように終末を迎えるかを 考えるほうが 自分にとって リアルだったのです。
ですから 最後まで頑張って 癌と闘う などという気は まったく起きなかったのです。

11月14日に 肉がのどにひっかかった時から それまでの自分の人生を振り返って 
収支決算を何度もしました。
毎回 答えは プラスと出ました。
つまり 「ラッキーな人生だった。」との思いが強くて 更にこれ以上長生きして 「ラッキー 2」を 求めるのは 欲深すぎるとの思いもありました。
まさに 「潮時なのかもしれない。」と 思えたのです。

まあ こんなことを 義兄の医者にぼそぼそ話したら 義兄はえらく納得した顔つきになり 胃の右側に対する 放射線照射をしないことに 積極的に賛成してくれました。

化学放射線療法の主治医は 内科の先生になるのですが 放射線治療はもちろん 放射線専門医が担当します。
放射線専門医に 内科の先生から 私の希望を伝えてもらってはいましたが 胃の右横のリンパ節には 放射線を当てないでほしいと 改めて お願いしなければなりません。
「化学放射線療法で もしかしたら運よく 食道が 一時的にでも 完全開通するかもしれません。
で、 その時に 焼肉を食べようとしたら 胃に障害が起こって 食べられなくなるのは 避けたいので 胃の横には 放射線を照射しないでください。」と お願いしました。
先生は 「あきれた」 という顔をして 何度も 「胃の横のリンパ節に照射しなくてもいいのですね 。」と念を押してくれました。
私は確信犯ですから 「それでけっこうです。」 と答えました。 

義兄の医者を説得した時の理由と 放射線専門医のお医者さんへの説明とは まったく違うのですが 両方とも本心です。 共通していることは 快適な終末を迎えたいということです。  
繰り返しますが 頑張って 癌と闘う という気がまったくなかったのです。 

このあと 本格的な治療に入る前に 心臓の検査とか ほかにも 色々な検査をし、
準備をしたあと ようやく 12月25日から治療が始まりました。
シスプラチンは 2時間ほどの点滴で終わりますが、 5-FUは 連続4日間 24時間注入し続けます。
シスプラチンは 多分猛毒なのでしょう。 一旦体の中に注入後 今度は 水分を大量に注入し 強制的に体外に排出させます。 速やかにこの処置をしないと 腎臓を損傷してしまいます。体外に順調に排出されたかどうかをチェックするには 排出された尿を 正確に計量する必要があります。排出量が 少しでも不足しているとなると 今度は利尿剤を処方されます。

第1回目の シスプラチンと5-FUの注入と 並行して実施された放射線照射治療は 12月28日に 無事に終わりました。懸念していた副作用もほとんどでませんでした。

12月29日から1月3日までは 病院も年末 年始の休みに入り 治療も一時中断ということになります。
病院のお医者さん 看護師さん スタッフの皆さんは 年末・年始の休暇に入りますから  なるべく入院患者の数を減らしたいわけで 私にも 自宅で正月を過ごしたらどうですか という打診がありました。
実は 12月 25日の治療開始の前から 食事を かなり自由にとれるようになっていたので、 自宅に戻っても 生活できる状態になっていましたから、 正月を 自宅で過ごすこととしました。
11月の20日に 水が飲めなくなり 22日に入院してから およそ40日ぶりの12月31日に 自宅に戻りました。

さて 話は 11月26日に戻ります。「入院して4日目に なぜか 水が少し喉を通るようになりました。このことは 私にとって 大事件なのですが その説明はあとでします。」と記しました。ここで 私はその説明をしようとおもいます。

私は 11月の14日の会食中に 肉片が喉につかえて 通らなくなり 異変に気づいて帰宅したその夜から  丸山ワクチンを注射していました。
丸山ワクチンを開発した丸山千里は 私の父です。
ですから 私の家に丸山ワクチンが常備されていても 不思議ではありません。
11月14日の食事中に 食物が喉にひっかかり 異常を感じて がんだろうと思うのは ごく当たり前のことで そうなれば 家にある 丸山ワクチンを注射し始めるということになります。

丸山ワクチンが 社会的に注目されたのは 1981年 (昭和56年)のことです。
がんの薬として ゼリア新薬工業という製薬会社が 厚生省に認可を求めていましたが 1981年8月14日に 試験・研究の継続を求める付帯意見を付けた上で、「現段階で承認することは 適当ではない。」という中央薬事審議会の答申が出て 認可されませんでした。
ところが その時点で 丸山ワクチンを使っている患者の数が 3万人を超えていましたから 不認可で 供給が止まってしまうと その時点で 丸山ワクチンを使っている患者が騒ぎます。
それを避けるために 厚生省は メーカーのゼリア新薬工業に対し 丸山ワクチンを 有償治験薬という位置づけで 供給を続けさせ 現在に至っています。

薬は 研究薬、治験薬、治療薬に分類されます。
大学や 研究所等で 開発する薬は 最初は研究薬として 試験、実験を重ねます。

その薬が 有望だということになると 治験薬として 全国の病院で臨床試験をします。
「この薬は 自分たちの研究では 問題がないのですが 第三者の立場で検証をしていただきたい。」と全国の病院に依頼します。
お願いするのですから その費用はメーカーが負担します。

メーカーは 臨床試験がうまくいって認可されれば 治療薬として発売できるようになり 
それまでかかった開発経費を回収し 利益を得ることができるから 多額の費用の負担をするわけです。 
ところが「許可できない。不認可だ。」と言われたそのあとで 「しかし 丸山ワクチンを希望している患者がいるのだから 認可はしないが 今までどおりに供給しろ。」という指導が 厚生省からでました。

メーカーのゼリア新薬工業は 多分 茫然とし 厚生省の言っていることが 理解できなかったのではないかと思います。
「現段階で承認することは 適当ではない。」と メーカーに対して 最も厳しい結論を出しておきながら 「今までどおりに供給しろ。」ということを オフィシャルに命じるという論理の立て方が 私には 全く理解できません。
しかし 事実はそのようになり、 ただし メーカーは費用の負担が重荷だろうから 臨床試験中の治験薬という位置づけのままで 患者から費用を徴収してもよい、ということになりました。
こんなわけで 丸山ワクチンは 1981年から およそ30年も経った 2010年の今も 有償治験薬という ポジションのままで存在しています。
認可されてない薬ですから 病院に在庫はありません。
ですから 病院のお医者さんが使う 癌患者に対する治療薬のなかに 丸山ワクチンが入ることはないのです。

私たち一般人は 体の不調を感じた時 お医者さんにかかり 診断してもらって 病名が確定し それに対応した治療を受けます。 
まれに 診断してもらい病名が確定しても 適切な治療法のない病気があり そういう病気は 難病と言われるわけですが がんはその中で最も患者数の多い病気です。
外科手術 抗がん剤治療 放射線治療が 癌治療の柱ですが 30年前と比べて それぞれが 少しずつ進歩してはいるらしいのですが 解決までの道は まだ遠いというのが 実情でしょう。
「あなたは がんです。」とお医者さんから 告知を受けた人は 例外なく 頭の中が真っ白になったと言っています。 
つまり 普通の病気であれば お医者さんにまかしておけば 病気を治してもらえると私たちは 思っているわけですが 「がん」はお医者さんにまかしても 「治る」保証はないということを みんなが知っています。
だから 頭の中が 真っ白になるのです。
そんなわけで 昔は 患者に 「あなたは がんです。」と病名を告知することは 絶対なかったのですが、最近は 告知するように なりました。
病名を患者に告知しても その病気の治療方法が確立したというのであれば そして 治癒するようになったというのであれば 告知するようになったことは 理解できるのですが 「がん」が 相変わらず 完治することの難しい病気であることは 30年前と変わりませんから お医者さんが単に乱暴になっただけなのか 患者が 30年まえより 精神的にタフになり 「あなたは がんです。」と告知しても問題ない、という社会的な合意ができたかの どちらかなのでしょう。 
どちらにしても 告知を受けた患者は「頭の中が 真っ白」になってしまいます。

患者は 「頭の中が 真っ白」になった後 「がん治療」に関する情報を集めます。
お医者さんにまかしただけでは 通り一遍の治療しかしてもらえない可能性が あるからです。
インターネットを使ったり 本を買ったり 図書館で借りたり 癌患者の体験談を聞いたりして 日本の「がん治療」の現状を的確に把握します。

インターネットで調べればすぐにわかりますが がんに関する本は 数百冊が刊行されていて 更に 毎日 新しい本が 刊行されています。
それらの著者の大部分は がんの専門家です。
ところが がん治療に関して 専門家の意見がバラバラなのです。
つまり がん治療に関しては 一般的な「解」が いまだにない事を 物語っています。
がん治療に携わっている多くのお医者さんや医療関係者は 懸命な努力を続けていますが 個々の医療関係者の努力では 解決しない問題があまりに多くあることが 情報をとる患者に露呈しています。
不安にかられた患者は 納得できる治療を求めて病院を転々としますから 「がん難民」という言葉すらできています。

多くの「がん難民」は勉強の途中で 丸山ワクチンにたどりつきます。
丸山ワクチンが 1981年に 不認可になりながら 有償治験薬として 今でも 確固とした地位をがん患者の間で占めているのは 有効ながん治療のないことが その理由であることは はっきりしています。

2009年の年末に NHK TVで 立花隆さんが がん治療の特集番組を作っていました。 
インタビューのなかで がん問題の解決に後どれぐらい時間がかかるとおもいますか? との質問に対し アメリカのがん学者が  「50年? 100年? わからないよ。」と言って 苦笑していた映像が とても印象的でした。
研究が進めば進むほど ゴールは どんどん逆に遠ざかっていくという感じをうけました。

1981年の夏 厚生省(当時)と がん学会の主流派が 丸山ワクチンを不認可にし 抹殺したのは すぐに 丸山ワクチンを全く必要としない完璧な治療法を がん学会主流派から提案することができるという確信があったからなのでしょうが 30年たった2010年にそんなものはまだ影すら見えていません。

私立医大の皮膚科という がん学会から見たら 「丸山って誰?」という存在の医者が開発した 丸山ワクチン などというものを認可したら 自分たち学会主流派の面子がつぶれてしまうというただそれだけの理由で 不認可にしたのでしょうが 当時の関係者の多くは もう鬼籍に入られています。
となれば 面子を気にしていたかたがたがいなくなり がん学会主流派も代替わりをしていますから 1981年の夏に不認可にした 丸山ワクチンのデータを再評価してもいい時期なのではないでしょうか。

とにかく 各種検査があって 病院の治療が始まったのは 入院してから一月経っていたのですが 私は その間 丸山ワクチンを注射し続けていましたから がんの進行が止まり 食べ物がのどを通るようになったのは 丸山ワクチンの効果かもしれません。

食事ができるようになっていましたから 正月に 帰宅が許され、3が日 おせち料理を 食べ続けました。
お餅はさすがに 喉に詰まったらたいへんなことになると思い 自粛しました。
正月3日には 病院に戻り 再び放射線照射を 週5日の ペースで続けました。
1月 22日は 放射線照射の 17回目で その日から 第2クールの化学療法、 5-FUとシスプラチンの注入が始まりました。 前回は全4日間だったのですが 今回は全5日間ということで やや暗い気分になります。
と いうのは 薬を体内に入れるとなると 患者は点滴スタンドに縛り付けられますから、散歩ができなくなります。
私の入院した病院は 前方に駿河湾が広がっていて 左に箱根から伊豆の山々 背後は富士山を見ることができるという 入院環境としては これ以上の場所を求めることができないほどの場所にあります。
入院患者の私の楽しみは そんな素晴らしい景色を楽しみながら 散歩することですから 散歩ができなくなると ストレスがあがります。
しかし リゾート ホテルで 静養しているわけではなく 病院に治療をしにきているのですから 我慢しなければならないのです。
化学療法の第2クールになると  むかつき感、 吐き気といった 軽い副作用が出てきます。
それでも 5日間の注入が終われば その副作用も消えてしまいましたから 私の場合
副作用は 軽くて済んだと言えるでしょう。

2月の8日に 放射線照射30回が終了しました。
放射線照射による 各種副作用は 全く出なかったし 白血球減少という副作用もなかったので とりあえずは 順調な経過ということです。
放射線照射は 限度いっぱいまでしてしまいましたから もう、この後は 様子を見ながら 化学療法をするしか 治療法はのこされていません。
当面 やることもなくなったので 退院しました。

自宅に戻った私は なんだかとても中途半端な存在です。
3月 あるいは 4月に終末を迎える筈の 重篤な癌患者なのに そんなに差し迫っているようには思えません。
食事も水も 順調に喉を通過しますから 日常生活に 不自由はありませんから 本人ものんびりしたものです。
ところが 患者の私が持っているオフィシャルな医学情報は 12月12日に説明を受けた 「食道癌 4A 、遠隔リンパ節転移をしているから 手術はできない。」というものですから 重篤な患者のはずです。
重篤な患者は みな同じように考えてしまうとおもうのですが 病気は 刻一刻と進行し続けているのではないか という疑いから逃れることはできません。
呑気な私ですらそういう気持ちになりかけたのは 終末が3月か4月あたりということですから 当然のことです。


入院した時に癌は6cmのおおきさになっていて食道をふさいでいましたが 入院4日目にわずかな隙間があいて 食べ物や水がとおるようになりました。
これは たまたま とか 偶然 といった現象だとその時は解釈していました。
まだ なんの治療もしていないのですから 癌は順調に着実に成長していたはずです。     
しかし 病院の治療は スタートしていませんが 丸山ワクチンの注射は1日おきに 続けていましたから もしかしたら 丸山ワクチンが 効き始めているかもしれないという感じがあったことは事実です。



3月の4日と5日に 放射線化学療法がどの程度の効果があったかを調べようということで CTと内視鏡の検査がありました。
最初の治療が どの程度の効果があったのかを知ることは 今後にわずかでも希望が残るのかどうかを決めることになるのですから さすがにドキドキします。
しかし あんまりうまくいかなかった入試の 期待できない合格発表を見に行く感じでもあります。
ところが 結果は 予想とは全く違って 食道の腫瘍は消失しており 右頸部のリンパ節と 胃の右横のリンパ節は 消えてはいないが 明らかに 縮小していました。
組織検査でも 食道の周辺で がんの組織は見当たらないということでありました。
ということは 考えうる最良の結果がでたわけです。

そんなわけで 3月、4月ごろに「終末」というスケジュールは取り消されました。
このような結果が出たのは めでたいのですが なにが理由なのだろうか というのがとても 気になります。
端的に言へば 丸山ワクチンが この結果にどのように寄与しているのかを しりたいのです。
しかし この時点で それを明らかにすることは もうできません。
放射線と 5-FUと シスプラチンと 丸山ワクチンを使ったのですから どれが最も貢献したのかは 解らないのです。
しかし 標準治療の 放射線、5-FU、シスプラチンの 通常治療成績と 丸山ワクチンを加えたわたしの例との比較をしてみたいのですが 多分無理でしょう。
この結果を見て 主治医の内科の先生は 5-FU と シスプラチン の治療は有効であるのだから もう一度(3回目)を実施しましょうという提案をしてきました。
私も異存がなかったので 2週間後に 入院をし 第3回目の治療をしました。
私も 5−FUとシスプラチンと丸山ワクチンの組み合わせは悪くないと感じていました。 
その後 この治療の4回目を5月にもやったのですが 副作用が強く出るようになり とてもつらくなったので 5回目は断りました。
主治医の内科の先生は 違う薬に変えたらどうかという提案をしてくれましたが 私は化学薬品を 体内に入れると 他の重い病気になりそうな気がして これもお断りしました。 (がん患者が病気になるのを恐れるというのは 変なのですが 抗がん剤を 継続的に使用すると  副作用で 体力や 免疫力が極端に落ちてしまいますから 他の重い病気にかかりやすいような気がしたのです。)

内視鏡検査や CTの画像診断では その後も 問題は出ていません。

6月には 食道癌の原発部位を 深く広く 採ろうということになりました。
もしもまだそこに 癌細胞が残っているのなら 採ってしまったほうがよいし 採った部位を病理検査をし 癌細胞のある なしが 判れば そのあと なにをすればいいのかがはっきりします。
結果は 癌細胞は見つからなかったので 当面は問題なしということで 「終末」は 更に先送りということになりました。

2008年(平成20年)の6月のこの治療を最後にして その後 病院ではなんの治療もしていません。
定期的に 検査をしてもらうために 病院に通っていますが 幸いなことに 再発の兆候はみえていません。
現在も 再発予防のために 丸山ワクチンのAとBを マニュアルどおりに 隔日に注射することを きちんと守っています。

2010年5月10日号の 日経ビジネス のコラム「決断の時」に 私が取り上げられました。 

2度目の命
2つの決意
かつてソニーの娯楽部門で、佐野元春氏やゲーム機を世に送り出した。
ガンを患ったが、父が開発した「丸山ワクチン」で、死の渕から生還。
娯楽産業の新しいビジネスモデル追求と、ワクチンの啓蒙に人生をかける。

という見出しで 堂々3ページにわたる記事です。(笑)

この記事を見た 多くの友人 知人から「丸山ワクチン」に関する問い合わせがはいりました。
「娯楽産業の新しいビジネスモデル」というのは 何なのか? という質問も勿論あります。
どちらの問い合わせと 質問にも できるだけ丁寧にお答えしているのですが 「丸山ワクチン」には なかなか複雑な歴史的背景があるし、「新しいビジネスモデル」をお話しするには そこに至るプロセスを説明しないとならないのでとても時間がかかります。
おなじ説明を何度もしていると だんだん雑になってくることも自覚して反省をするのですが 年をとってくると どこまで話をしたのかも曖昧になってしまいます。
そこで しばらく中断していたこのブログを再開することにしました。
ここにいろいろ書き込めば  問い合わせに関する答えにもなるし、効率も良くなると考えました。

ここで 丸山ワクチンに関する 私の立ち位置を説明しておきます。
私は 食道がん ⅣA期だった患者で 標準治療の 放射線化学治療を受け 同時に 丸山ワクチンを注射したことが 効を奏し、 とりあえず現在は 画像診断でも 病理検査においても 癌細胞はみあたらないという 状況が 2年3カ月になります。
がんという病気の患者ですから 治ったという自覚は勿論なく 再発におびえています。
末期がんから とりあえず一時的に生還したのですが その理由の一部に 丸山ワクチンによる治療(注射)があった という確信があります。
 
そんなわけで 私と同じように がんにかかり なにかのきっかけで 丸山ワクチンを知り 丸山ワクチンの治療 (注射)を試みたい方の参考になることを 発信したいと思っています。 
しかし ここでお断りしておきますが、
私は 丸山ワクチンの研究者の息子ですが 研究者ではありません(当たり前ですが)。
私は 丸山ワクチンを 製造販売しようとしている製薬会社ではありません。
私は 丸山ワクチンを使って 効果があったと自覚している 単なる患者の一人です。 

この ブログで私が書くことは この範囲内のことですから 私の手に余ることには お答えのしようがないことを あらかじめ お断りしておきます。(笑)
 
どうぞよろしくお願い致します。

逝きし世の面影 その3

「逝きし世の面影」は14章から成立しています。
第一章は勿論 この本の全体のテーマを大きく呈示しています。
『文化は滅びないし、ある民族の特性も滅びはしない。 それはただ変容するだけだ。 滅びるのは文明である。 つまり歴史的個性としての生活総体のありようが 滅びるのである。』
つまり この本は江戸時代の後半から幕末のころの 「江戸文明」 を欧米人の見聞録を再構成して、 「滅びてしまった江戸文明の頃の日本人が どんな生活をしていたのか」 を再現しようという試みなのです。
で、第二章に入ります。 タイトルは 「陽気な人びと」 です。 つまり 「日本人は陽気だった。」 と外人は観察の結果 結論付けています。
初代駐日公使オールコックは 「日本人はいろいろな欠点をもっているとはいえ、幸福で気さくな、不満のない国民であるように思われる。」
黒船のペリーは 「人びとは幸福で満足そう。」
日英修好通商条約使節団のオズボーンは 「幸せで煩いから解放されているように見える。」
横浜・東京の水道設計技師ヘンリー・S・パーマは 「日本人は何か物珍しいものを見つけて じっと感心して眺めている時以外は 絶えず喋り続け、笑いこけている。」
フランス伯爵ボーヴォワルは 「この民族は笑い上戸で 心の底まで陽気である。」
スイス通商調査団団長リンダウは 「日本人ほど愉快になり易い人種は殆どあるまい。 良いにせよ悪いにせよ、どんな冗談でも笑いこける。 そして子供のように、笑い始めたとなると、理由もなく笑い続ける。」
ボーヴォワル 「日本人はいささか子供っぽいかも知れないが、親切と純粋、信頼にみちた民族だ。」
福井藩校や東京大学両校の教師グリフィスは 「日本人のように遊び好きといってよいような国民の間では、子供特有の娯楽と大人になってからの娯楽の間に、境界線を引くのは必ずしも容易ではない」
私達の先祖様達は どうも やたら陽気で明るかったようなのです。
この本を 読んでいると  「江戸時代は 専制幕府によって 庶民は苦しめられていた。」 ということでは なかったんじゃないかという気がします。
この本が あんまり面白いので もっとご紹介したくなるのですが このへんでやめときます。
是非お読み下さい。

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)