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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

萩尾望都-竹宮惠子氏の関係に、石ノ森章太郎-手塚治虫を思い出す、との指摘(『一度きりの大泉の話』)


このツイート、途中で拙ブログの過去記事にリンクを貼っていただいた。その縁で遡って、読むことができた。
その記事とはこれだったが、これはドラマ放送に絡めての再紹介で、
m-dojo.hatenadiary.com

メインの内容はそこから飛んでいるこちらになる。

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作品内容は、その記事を読んでもらうとして…この、「石ノ森先生から見た手塚治虫」を描いた短編が、石ノ森生誕80年を記念して最近、新しい本に収録された、ということをあらためてお伝えする。

213… 風のように……背を走り過ぎた虫 『 ビッグコミックスピリッツ 』 小学館 1989年 8月 14日号・8月 21日号
(略)

石ノ森章太郎は1954年のデビューから1998年60歳までの44年間に及ぶ作家生活の中で770もの作品を描いている。
石ノ森章太郎が巨匠と言われるのは「仮面ライダー」「サイボーグ009」などのヒーローものから「佐武と市捕物控」といった時代劇、「HOTEL」のような現代劇などあらゆるジャンルを手掛け、どの分野でもヒット作を持っているから。

そんな石ノ森章太の膨大な作品群の中から、著者自身が登場した作品をセレクトしたのが本書『石ノ森章太郎の物語」。
トキワ荘での生活を描いた「トキワ荘のチャルメラ」や姉、由恵との思い出を描いた「青いマン華鏡」、息子たちとの夏休みを綴った「小川のメダカ」、手塚治虫とのエピソードなど、各作品を386ページにわたり紹介しています。

石ノ森章太郎のファンだけでなく、新しく石ノ森章太郎作品を知った読者にぜひ手にとってもらいたい永久保存版の1冊となります。

【追記】その前の、@kieteki氏の竹宮・萩尾論

あ、そうそう、冒頭に紹介したスレッドだが、最初のツイートに「追記」とあることに気づいた。そのひとつ前にも、同書を論じたツイート群があったのだ。

銀の三角 (白泉社文庫)

銀の三角 (白泉社文庫)

6年に一度の朝を迎える惑星『銀の三角』。そこに住む民人は長い金虹彩の瞳を持ち、近未来を予言する音楽を奏でることができた。だが、彼等は特殊な能力を持つがゆえに、星系の惑星戦争に巻き込まれ、星系の消滅と共に絶滅したと伝えられていた。しかし、それから3万年後、絶滅したはずの銀の三角人がなぜか再び姿を現す——。過去から未来へと時間移動の能力を持つ時空人・マーリーの遙かなる時空をめぐる謎解きの旅が始まる。




一度きりの大泉の話

一度きりの大泉の話

352ページ、12万字書き下ろし。未発表スケッチ多数収録。
出会いと別れの“大泉時代"を、現在の心境もこめて綴った70年代回想録。

「ちょっと暗めの部分もあるお話 ―― 日記というか記録です。
人生にはいろんな出会いがあります。
これは私の出会った方との交友が失われた人間関係失敗談です」


――私は一切を忘れて考えないようにしてきました。考えると苦しいし、眠れず食べられず目が見えず、体調不良になるからです。忘れれば呼吸ができました。体を動かし仕事もできました。前に進めました。
これはプライベートなことなので、いろいろ聞かれたくなくて、私は田舎に引っ越した本当の理由については、編集者に対しても、友人に対しても、誰に対しても、ずっと沈黙をしてきました。ただ忘れてコツコツと仕事を続けました。そして年月が過ぎました。静かに過ぎるはずでした。
しかし今回は、その当時の大泉のこと、ずっと沈黙していた理由や、お別れした経緯などを初めてお話しようと思います。
(「前書き」より)

――お話をずっと考えていると、深い海の底から、または宇宙の星々の向こうからこういうものが突然落ちてくることがある。落ちてこない時はただ苦しいだけだけど、でも、それがふっと目の前に現れる時、宝物を発見した、という気持ちになります。自分が見つけたというより、エーリクが見つけてくれた、そういう気分になります。
そしてこの言葉を見つけたことで、『トーマの心臓』を描いて本当に良かったと思いました。
(「17『ポーの一族』第1巻 1974年」より)

――今回、この筆記を書くに当たって、封印していた冷凍庫の鍵を探し出して、開けて、記憶を解氷いたしましたが、その間は睡眠がうまく取れず、体調が思わしくありませんでした。
なので、執筆が終わりましたら、もう一度この記憶は永久凍土に封じ込めるつもりです。
埋めた過去を掘り起こすことが、もう、ありませんように。
(「29 お付き合いがありません」より)

【目次】(※一部)
●前書き
●出会いのこと ― 1969年~1970年
●大泉の始まり ― 1970年10月
●1972年『ポーの一族』
●下井草の話 1972年末~1973年4月末頃
●『小鳥の巣』を描く 1973年2月~3月
●緑深い田舎
●引っ越し当日 1973年5月末頃
●田舎と英国 1973年
●帰国 1974年
●『トーマの心臓』連載 1974年
●『ポーの一族』第1巻 1974年
●オリジナルであろうと、原作ものであろうと
●排他的独占愛
●鐘を鳴らす人
●BLの時代
●それから時が過ぎる 1974年~2017年
●お付き合いがありません
●あとがき(静かに暮らすために)

【特別掲載1】「萩尾望都が萩尾望都であるために」(文・マネージャー 城章子)
【特別掲載2】 萩尾望都が1970年代に描き溜めた未発表スケッチ
【特別掲載3】 マンガ『ハワードさんの新聞広告』31ページ

ご注意】
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竹宮惠子の大ヒット自伝が、ついに文庫化!

★文中に多々登場する竹宮作品、書籍執筆時に著者が本当は入れたかった作品の中身(コミック立ち読みファイル)を、主だった12作品・計130頁の参考画像集として電子版だけに収録。


石ノ森章太郎先生に憧れた郷里・徳島での少女時代。
高校時代にマンガ家デビューし、
上京した時に待っていた、出版社からの「缶詰」という極限状況。

のちに「大泉サロン」と呼ばれる東京都練馬区大泉のアパートで
「少女マンガで革命を起こす!」と仲間と語り合った日々。

当時、まだタブー視されていた少年同士の恋愛を見事に描ききり、
現在のBL(ボーイズ・ラブ)の礎を築く大ヒット作品『風と木の詩』執筆秘話。

そして現在、教育者として、
学生たちに教えている、クリエイターが大切にすべきこととは。

1970年代に『ファラオの墓』『地球(テラ)へ…』など
ベストセラーを連発して、
少女マンガの黎明期を第一線のマンガ家として駆け抜けた竹宮惠子が、
「創作するということ」を余すことなく語った必読自伝。

漫画ファンはもちろん、そうではない読者からも
感動の声が続々と寄せられ、
朝日、読売、毎日など各紙書評や
各種SNSで大反響だった単行本が、ついに文庫化。

カラーイラスト増ページ、「文庫刊行によせて」を収録。