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『歎異抄』を読む 第九条 その一 (寺澤真琴師)

2020年8月8日(土) 19:30-21:15

寺澤真琴師 (本願寺派 清徳寺住職)

 真宗ねこねこ法話会 

『歎異抄』を読むー第九条 その一ー

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 「踊躍歓喜」することがないという唯円の告白に始まる第九条。『踊躍歓喜』するということとはどういうことか。自らの経験から、「私たちにも躍り上がるほど喜ぶことは起こる。でもそれは、必ず覚めるものである」と話される。

 

言葉の力。わたしたちの日常に垂直につっこんでくるような言葉の力でもって届く南無阿弥陀仏。法蔵菩薩の願いにより充満していく南無阿弥陀仏。どっちを向いても阿弥陀さまがいらっしゃる。わたしが忘れていても、わたしの耳から入ってきた南無阿弥陀仏はわたしをつかんで離さない。浄土の世界のはたらきがつっこんできて気づかせる。呼びかけてくる南無阿弥陀仏。

無限の自由を教えてくれる。

自分の人生を縛っている自分。本当はもっと自由なことのはずなのに。それをお浄土は教えてくれる。

自分が縛ってつかんでいる紐を見つめる。これを緩めるのも自分の力なのか。このつかんだ手を開く力はどこからくるのだろうか。

 

今を生きるわたしたちに届く南無阿弥陀仏の話をお聞かせいただきました。

 

◆歎異抄 序文

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 ◆歎異抄 第三条 

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 ◆歎異抄 第六条

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