「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

ESSAY〜「キノコのスープ」(岸本佐知子)(「ベスト・エッセイ2021」)

またまた来ました、岸本佐知子さんのエッセイ。中毒になるので、未読のエッセイを探していたらこのシリーズにありましたー!♪ その全文を紹介しよう。

 

【キノコのスープ】
 
秋になった。秋といえばキノコだ。 キノコはうまい。いろんな種類があって味もいろいろなのに、どのキノコも全部おいしいのがすごい。
 
マイタケ。マイタケはうまい。色は地味だし形もグロいし、知らずに道に落ちていた ら大回りして避ける風貌なのに、実力者であるところがえらい。マイタケは手で裂くのが楽しいが、あるとき何かで「手で裂くよりも包丁で切るほうがうま味が出る」と書いてあるのを読み、いらい包丁で切りはじめるものの、途中でこらえきれなくなって包丁を打ち捨て、手で裂くというプロセスを繰り返してしまうところも好きだ。
 
エノキダケ。エノキダケはうまい。まずあの色と造形だけで優勝だ。石づきの近くのところを「しゃくっ」と切るときの、あのえも言われぬ快感。それをさらに手でこまかく裂くときの喜び。噛むときの、あのたくさんの鈴が同時に鳴るみたいな歯ごたえ。しゃ ぶしゃぶなどで、エノキはおそらく肉をしのぐ影の主役で、食卓では他の人間がエノキ ばかり取っていないか監視しあっているようなところがあるのも面白い 。
 
ナメコがうまい。なぜぬめろうと思ったのか。その斬新な思いつきはどこから出てき たのか。もはや天才だ。
 
秋になると、いろんな種類のキノコを鍋に投入して酸辣味にしたスープを一度は作る。 そのたびに買いこんできたキノコを一種類ずつ手に持って天にかざしては、その姿形を 鑑賞る。見よ、シイタケの、この完璧な造形。ぼそぼそと毛羽立つ軸、そこから肉厚に広がる傘、傘表面のピリピリとした逆むけ、その裏の細密画のようなひだひだ。まるで一個の建築だ。
 
しかも、これがすべて同一の菌の無数の集合体だというのだから驚きだ。キノコが生える様子を高速カメラで写したものを見ると、まるで一つの植物のように軸が伸び傘が 生まれそれが花のように開いていく。
 
だが考えているうちにだんだん不安になってくる。つまり菌たちは、誰に命令される
までもなく、「あ、おれは軸ね」「じゃ、そろそろ傘かな」と自然におのれの役割をわき まえて、その形になっているということだ。この一個のシイタケは何十億という菌たちの、 そうした阿吽の呼吸の集大成であるわけだ。
 
無理だ。もし私が菌だったら、その阿吽の呼吸が少しもつかめず、軸の途中なのに傘になろうとしたり、傘の表側でひだひだを作ってしまったりするにちがいない。そしてキノコは不格好になり、周囲の菌たちから激しく舌打ちおよび糾弾をされるのだ。
 
小学校の運動会の鼓笛隊を思い出す。各クラスから一人、その他大勢の縦笛軍団の先頭に立って指揮棒を振る役目の子が選ばれる。運動会の練習が始まると、その指揮者たちはもうあの独特な指揮棒(持ち手のところが銀の球になっていて、先細りの先端に房飾りがついている)をかまえて、くいっくいっと独特のやり方で上下させながら行進している。鉄琴の係の子も、通常とはちがう縦型の鉄琴を腰のところで支えて、平然と叩きながら行進している。
 
このときも私はうっすら不安になった。どちらも生まれてから一度もしたことのない、 独特の動きだ。なのに、昨日までふつうにしていたクラスメートが、任命されればすんなりとその役割になじみ、次の日からもうその動きをしている。あの人たちは社会生活を送るのに必要な何らかの機能を生まれつき持っている。そしその機能は私にはない。
 
 あえて言語化すれば、それはそのような不安だった。
 
来世ではキノコの菌にだけは生まれ変わりませんように。そう神に祈りながら、私は キノコの酸っぱ辛いスープをすすった。
 
 
きしもと・さちこ(翻訳家) 「ちくま」12月号 |
 

いいなあ。岸本節、炸裂。サイコー。この文章だけでもこの本を買う価値がある。超オススメです。(=^・^=)

 

 

ESSAY〜「藤圭子 流しは稼げた」藤三郎(兄 演歌歌手)(文藝春秋2025年1月号)

「『流し』は稼げた」!というインパクのある記事っ!!!友人から紹介いただきました!文藝春秋2025年1月号の「昭和100年の100人――高度成長とバブル編」。しかも宇多田ヒカル母、藤圭子じゃないかー!!!その流し時代のエピソードが実兄が語ってくれている。これは貴重だっ!ということでそのエッセンスを紹介しよう。
 
歌手の藤圭子(一九五一〜二〇一三)は、ハスキーボイスで女の情念を歌い上げ、一躍スターダムを駆け上がった。兄・藤三郎氏が見た知られざる下積み時代とは――。
 
よく藤圭子は「赤貧のなかで育ったと語られます。ただ、妹は昭和二六(一九五一)年生まれです。私たちの一家だけが貧しかったのではなく、そのころの日本人はみんな貧しかった。
 
浪曲師のおやじと目の不自由な三味線弾きのおふくろは、東北・北海道を巡業する生活をしていました。 妹は三歳ごろから巡業に連れていかれ、音楽にあわせてテンテコ、テンテコ踊らされていた。可愛い彼女が踊るとお花(投げ銭)がすごかったことを覚えています。

圭子には天才的な音楽のセンスとリズム感がありました。歌を唄わせたら上手いし、ギターも少し教えた ら、すぐ弾けるようになる。テレビの時代となり、巡業が廃れていくと、 私たち一家は北海道旭川市の神居に定住するようになりました。おやじが左官して建てた、小さな家で暮らしました。姉、私、圭子の三きょうだいのなかでも、特に私と圭子は仲が良く、河原でよく遊びました。
 
転機となったのが作曲家・八洲秀章氏が圭子の才能を見出し、「東京で歌手にならないか」と声をかけたことでした。おやじは妹に一攫千金 の夢を託し、家を売り払い一家五人で上京することになったのです。
 
ところが東京に来てもプロダクションが決まらず、待てど暮らせどデ ビューできない。私たちは錦糸町や浅草で唄や演奏をする「流し」で生計を立てることにしました。私は一人で、圭子はおやじとおふくろの三味線をバックにギターを弾きながら唄うスタイル。当時の流しは三曲二百円。一日七、八千円から最高で三万六千円稼げるような仕事でした。 サラリーマンの初任給が三万円くらいの時代です。流しは稼げたので、 私たち一家が貧しいという感覚はありませんでした。
 
何回か圭子と二人で流しをしたこともありますが、これが一人でやるのと全然違う(笑)。チップが五百円、千円、二千円とばんばん買える。一○代で美人、声もいいからそりゃ財布の紐が緩むのは当然ですよね。
 
圭子が浅草で流しをしていたときに出会ったのが、作詞家の故・石坂まさをさんです。一八歳のときに石坂さんの『新宿の女』という曲でデ ビュー。「演歌の星を背負った宿命の少女」というキャッチフレーズだったので、歳を一つごまかして一七歳ということにしたんですね。
 
最初のころは、客はガラガラ。さくらの客としてイベントの手伝いにも行きましたが、こんなので売れるのかなと半信半疑でした。ところが半年が経過したころ、新宿で流しを 何十人か集めて、圭子が二五時間唄い続けるキャンペーンをやったら火がついた。黒いベルベットのジャケットにパンタロン、白いギターという衣装、顔もいいし歌もいい。そのインパクトもあって売れた。
 
人気を決定付けたのが、石坂さんが作詞し、「♪十五、十六、十七と 私の人生暗かった」と唄った『圭子の夢は夜ひらく』でした。同曲が契機となって、圭子の唄う曲がベストテンに何曲も入るほどの売れっ子に なったのです。そのころはニューミュージックがトレンドで、演歌はあまり流行らなかった。そんななか、 圭子の少女の外見なのに掠れて低音が効いた歌声というギャップが、多くのファンを惹きつけた理由ではないかと思っています。
 
彼女は純粋で飾らない性格でした。でも驚いたのが、あるとき知人から圭子が「ゴーゴー喫茶に毎日のように行っている」と聞いたこと。 いまで言うディスコです。デビュー 前ですから一六、七のころ。圭子の人生が決して暗かったわけじゃない (笑)。彼女にあの曲を唄わせた、石坂さんのアイデア勝ちだった。
 
圭子が眩く輝けたのは一〇年たらずの短い期間でした。おやじは圭子が売れてすぐ世田谷にアパートを建て一攫千金の夢を叶えた。ところがおふくろとの仲が悪くなり離婚。圭子も人気絶頂の昭和四六年に前川清さんと結婚しますが、すぐに離婚します。やがて事務所とも折り合いが悪くなり、昭和五四年、二八歳で圭子は引退。所有していたマンションなどを売り払いニューヨークに行ってしまう。欲のない子だっただけ に、お金や思惑が渦巻く世界に嫌気がさしたのかもしれません・・・・・・。
 
妹が亡くなって一一年が経ちまし た。八月二三日、彼女の命日になると毎年ファンのかたが新宿の花園神社に集まります。「亡くなってから初めて聴きました。こんないい歌手なんだと驚きました」という方も多い。 藤圭子の歌には時代を超えて訴えかける「何か」があるのでしょう。

 

時代は違うとはいえ「流し」の一期一会は、他にはない経験だと思うわ。「令和の流し・てるてるソング」文藝春秋、取材に来てくれないかなー!学びになりました。ありがとうございます♪

 

「新耳袋 現代百物語 第一夜」(木原浩勝 中山市朗)

ホラーとか恐怖系のハナシは苦手なんだけど、この本はすーっと自然に読んじゃったなー!じわーっと背筋が寒くなる……。(・o・)短いのは3行、長くても3ページ。

 

「百話を完結させると怪しいことが起こると語り継がれる「百物語」。自ら蒐集した怪異現象の数々によって「百物語」のスタイルを現代によみがえらせ、一大怪談ブームの火付け役となった稀代の怪談実話集」そのエッセンスを紹介しよう。

 

・古来よりいちどきに百の怪奇な話をすると、怪異なことが起こるとされている。これが“百物語”である。
 
その昔、大奥の女たちの間で“百物語”がはやったが、あまりに血なまぐさい怪異が続いたため、やがて“百物語”は廃れたのだという。 
 
本書はそういった遠い昔の怪談ではなく、この現代に起こった“百”の怪異を収録したものである。基本的には一切の究明、解釈を求めず、ただ起こった現象を記しただけのものである。
 
そして、われわれの取材がなければ体験者自身もたんなる錯覚と片付け、記憶の 底に沈めてしまうような、唐突で意味不明の不思議な出来事も、あえて多く収録してある。
 
場所そのものがキーポイントにならない限り、地名も人物名も伏せてあるが、それは、その怪異があなたのすぐそばにある現象だからである。
 
この記録を一晩で完読すれば、あなたは『百物語』を体験することになる。 その時起きるかもしれない怪異現象を記憶に焼きつけて、あなただけの百物語を完結していただきたい。
 
【第二話 仏壇の間】
 
 
その先生はよく仏壇に手を合わす信心深い人であった。これは先生が子供だった太平洋戦争たけなわの頃の話である。
 
ある夜、誰に起こされたわけでもないのにふと目が覚めて、あっ、着替えて仏間に行かねば、 と思った。手早く寝間着を着替えて仏間に行くと、家族全員が集まっている。父さんも母さんも爺ちゃんも婆ちゃんも兄弟も。
 
もともと信心深い一家でみんなで仏壇に手を合わせること自体は別に不思議なことではない のだが、こんな夜中に家族全員が集まることは珍しい。
 
誰が呼んだわけでもないのに仏間に集まった家族たちは、わけがわからずぽかんとしている。 「なんや、おまえも来たのか、じゃあこっちおいで。一緒にお勤めしよう」
 
父に促されたので襖を閉めて仏壇の前に座り、家族全員が仏壇に手を合わせ、念仏を唱えはじめた。それが朝まで延々続いた。
 
「さあ、もう終わりにしよう」
 
念仏を終えて仏間から出ようと襖を開けると、隣の部屋がない。あたりは瓦礫と化し、煙がたちこめ、ぷすぷすと音をたてて燃えている。焼夷弾が落ちたのだ!しばし茫然と立ちつくす家族たち・・・・・・。
 
家族のものは誰ひとり焼夷弾の炸裂する音を聞いていないし、仏間の襖は爆撃の風圧さえ受 けていない。だがもし、空襲に気づいて指定の防空壕に避難するか、そのまま知らずにほかの 部屋にいたならば、絶対に助かっていなかっただろう。こんなことがあって以来、先生は前にもまして仏壇に向かうことが多くなったという。
 
その他、「白蛇の夢(地鎮祭をやらなかった)」「夜中の樵(きこり)」「学生寮の住人」「床を叩くもの」など。
 

いや〜読み始めるとやめられなくなるな……。やっぱり念仏は守ってくれるんだなあ……。オススメです。(=^・^=)

 

MUSIC〜「のくっちゃん」「トミフク食堂」DE  1月の「流し」その5(溝の口)

のくっちゃん
川崎市高津区溝口2-7-13

 

今月、集中して連日「流し」を開催している溝の口シリーズ。「昭和のギター猫てるニャン太」の新ユニフォームで向かいましたー!!!

 

相変わらず大人気です。立ち飲みを、立ちながら待つってすごいよねー!♪

女性のお一人様がいるのも、すごい。そしてみな、仲良くなってしまう!

お初のナポリタン。濃厚な味がワタシの好み。ハーフサイズがあるのがウレシイ!

◆一組目の女性。はじめて買ったレコードは、フィンガー5「恋のダイヤル6700」!♪ 好きだっったなあー!ワタシがイチバン最初にすきになったアイドルかも!そして相方の男性は「やっぱりグレープだよな!!!」ということで「無縁坂」!この曲は案外リクエストが少ないんです。「精霊流し」が多いからねー。

 

◆「『逢いたくて逢いたくて』」歌えます!?はい、もちろんっ!!!と歌うと目ん玉が飛び出るくらいビックリしていましたー!!!「大好きなんですー!!!この歌〜!!!」

 

◆尾崎豊の歌は、数々あれど。初めてのリクエスト、「路上のルール」!!!これはウレシイっ!!!!ワタシがいちばん感動してましたー!!♪

 

今日のリクエスト

 

「無縁坂」(グレープ)「恋のダイヤル6700」(フィンガー5)「逢いたくて逢いたくて」(園まり)「少年時代」(井上陽水)「路上のルール」(尾崎豊)「川の流れのように」(美空ひばり)「卒業」(斉藤由貴)「飾りじゃないのよ涙は」(中森明菜)「赤いスイートピー」(松田聖子)「秋桜」(山口百恵)「関白宣言」(さだまさし)などなど。

さあトミフク食堂さんに移動!こちらも満席っ!!!

 

 

 

トミフク食堂

 川崎市高津区溝口1-12-24 マイプラザビル 1F

 

ピーマン肉味噌、ピーマン肉詰めじゃなのがいい!( ・∀・)イイ!! コレ、いいなー!家で試してみよっ!!!

 

◆20代、30代の方でもけっこう昭和の曲を知っているヒトが多いなあ!♪ なんで「ガンダーラ」を知っているんだろう?憂歌団を知っているんだろう!?(笑)

 

今日のリクエスト

 

「ロビンソン」(スピッツ)「ガンダーラ」(ゴダイゴ)「異邦人」(久保田早紀)「15の夜」(尾崎豊)「シクラメンのかほり」(布施明)「おそうじオバチャン」(憂歌団)「TSUNAMI」「真夏の果実」(サザンオールスターズ)「春よ来い」(松任谷由実)「飾りじゃないのよ涙は」(中森明菜)「メロディー」(玉置浩二)などなど。

 

溝の口の夜は続く……。(=^・^=)

 

******************************************************************************

「てるてるソング」は、最高のココロのおつまみ。

全国どこでも出張「流し宅配便」。お店、施設、ご自宅などにお伺いして歌います♪

パーティー、宴会、周年記念、イベント、飲み会、余興があればお声がけください。

https://home.tsuku2.jp/f/teru2song/service

お問い合わせはLINEで

https://line.me/ti/p/FhZdQbmJVo

******************************************************************************

「72歳、今日が人生最高の日」(メイ・マスク)

スゴイなあ……あのイーロン・マスクのお母さまだよ。72歳だよ!表紙のいい笑顔!モデル体型っ!スゴイなあ!♪現役のモデルだもんね!♪

 

「31歳で夫のDVから逃れて離婚、シングルマザーとなって40年。メイ・マスクは3人の子どもを育てるために、必死で働いてきた。モデル歴50年以上。通販カタログや母親役など地味な仕事を淡々とこなしてきた。モデル事務所から干されて仕事がなかった時期に、髪を染めるのをやめて白髪のままでいたら、自然体で暮らしを楽しむ姿が、キャスティングディレクターの目にとまり大きな仕事を依頼され始めた。

南アフリカ共和国の大学で勉強した栄養学は、カナダ、アメリカと引っ越す度に現地での資格が必要で勉強をし直した。プロとして他人の食生活をカウンセリングする一方で、自身はストレスでジャンクフードを食べ続け、体重が90キロ以上になった。その後も30キロの増減を繰り返したが、40代にはいり、『お腹がすいたときに、体にいいものを適量食べる』という王道のルールを守り続けて、今の体型に落ち着いた。

長男のイーロン・マスクを含む3人の子どもたちは、子どものころに興味を持ったことを尊重し、口を出さず見守り続けた結果、3人とも自分で学び、会社を興し、夢を実現させた。現在、72歳のメイはSNSを活用して仕事の幅を広げて続け「今がいちばん楽しい」と断言する。「人生は何度でもやり直せる。あきらめずに挑戦し続ければ、必ず幸せになれる」そのエッセンスを紹介しよう。

 

・わたしは、探検するのが大好きな家庭で育った。わが家には自家用飛行機まであった。両親は、 キャンバス地で覆われた、GPSも無線機もついていない小さなプロペラ機で、カナダ、アメリカ、アフリカ、ヨーロッパ、アジア、オーストラリアを飛び回っていた。子どものころは両親に連れられて、「失われた都市」を探すためにカラハリ砂漠に向かうのが冬の恒例行事になっていた。方位磁針と3週間分の水と食糧を持って、5人の子どもを連れて砂漠を横断するのは危険な 旅だったと思う。それでも両親は、細かな点まで抜かりなく旅行の計画を立てていた。わが家のモットーは『人生は大胆かつ慎重に”。冒険好きで、いつも予想外のできごとに備えておく父を 見てきたので、わたしも好奇心旺盛で、探検するのが大好き。
 
子どものころから聞かされてきたアフリカのことわざがある――「農民は計画を立てる」。南 アフリカでは年じゅう、このことわざを耳にする。ささいな問題にしても、大きな問題にしても、 柔軟に問題を解決しなければならないときに使われる。そしてそれは、目の前にどんな障害があっても、その問題に取り組み、解決するために別の道を見つけなければならないということ。
 
最初のうちは、この本のタイトルを『生き残るために闘って』にしようと考えていた。でもそれは、すべての人に魅力的だとは思えなかった。わたしは、本を読んだ人に、わたしのように苦 労の多い人生を送ってもらいたくなかった。というのも、わたしの人生では、物事がしょっちゅう悪い方向に進み、そのたびに作戦を練り直すことになったからだ。
 
わたしは何度も人生をやり直し、大人になってからは3つの国と9つの都市で暮らした。何度もやり直すことなんて人にけっして勧められないけれど、それでもそうしなければならなくなったら、まずは計画を立ててみてほしい。そうすれば、わくわくする楽しい人生が送れる。わたし も最初は苦労したけれど、あきらめずに挑戦しつづけたおかげで、私生活でもビジネスでも成功できた。人生を変えるときに、細かいところまで計画を立てる必要はない。問題が起こったら、 そのたびに解決していけばいい。
 
・人生の曲がり角には、驚くようなことが待っている。自分や、家族や、友人について心配したり、途方もなく魅力的なものを見て感動したり、仕事で成功したり、波乱の毎日を送ったり…………。 考えなければならないことが一度にたくさん出てくるけれど、まずは一歩を踏み出し、そのあと 次の一歩を踏み出せば、前に進んでいける。
 
予想外の状況に陥ったときには、ロマンス小説や自己啓発本を読みあさり、本に希望をもらった。だから、わたしの経験を知って、あなたが希望を抱いてくれたらうれしい。何にでも一生懸命取り組み、計画を立てて、思い切ってやってみれば、火星にだって行けるかもしれない。
 
・わたしはいま、72歳になった自分をすばらしいと思っている。72年生きてきて、ふたつの仕事で成功し、3人の子どもを育て、1人の孫がいる。そして現在、食生活カウンセラーとしてあちこちで講演をし、モデルとしてもかつてないほどの人気を得ている。この本の執筆まで依頼された。だから、72歳は最高! いまも毎朝、目覚めたとたんにわくわくしている。

 

ワタシとは一回り違う。まだ60歳だっ!!!12年後にこういう本を書こう、書くぞっ!!!超オススメです。(=^・^=)

 

 

MUSIC〜「のくっちゃん」「トミフク食堂」DE 1月の「流し」その4(溝の口)

のくっちゃん
川崎市高津区溝口2-7-13

 

連日の溝の口「流し」、今日も行ってまいりました!いつも外で待っているお客さまがいる。すごい人気っ!!!

 

いつも、歌のかげにはいろいろな思い出と人間ドラマがあります♪

◆最初のお客様、60代男性。最初に買ったレコードは?「「グッド・ナイト・ベイビー」(ザ・キング・トーンズ)!!!はじめて。♪〜「きっと いーつかは〜 キミのパパも〜♪」歌い出したら「えっ!すげー!♪」。お相手の50代男性「およげ!たいやきくん」。♪〜「まーいにち まーいにち、ぼくらはてっぱんの〜♪」と歌い出すと、60代の男性もいっしょに口ずさむ。(笑)「子門真人って、いま、行方不明らしいですね〜!」とホッとな情報が。

 

◆一人のみの50代女性。長渕と中島みゆきが好きなんですよねー!と「巡恋歌」(長渕剛)「アザミ嬢のララバイ」(中島みゆき)のリクエスト。

 

◆「吾亦紅」(杉本真人)歌えます? はい、もちろんですよー!と歌ったら「ええっ!!!歌えるんですかー!!!すげー!!!これいいですよね〜!!!まさかここで聴けるとは思いせんでした!!!」

 

今日歌った歌

 

「グッド・ナイト・ベイビー」(ザ・キング・トーンズ)「およげ!たいやきくん」(子門真人)「巡恋歌」(長渕剛)「アザミ嬢のララバイ」(中島みゆき)「心のこり」(細川たかし)「吾亦紅」(杉本真人)「たどり着いたらいつも雨降り」(モップス)「いっそセレナーデ」(井上陽水)「夏休み」(吉田拓郎)「メロディー」(玉置浩二)「気絶するぼど悩ましい」(Char)「さくら」(森山直太朗)「歌うたいのバラッド」(斉藤和義)「飾りじゃないのよ涙は」「スローモーション」(中森明菜)「終わりなき旅」「水上バス」(Mr.Children)「シングルベッド」(シャ乱Q)などなど。

 

 

さあトミフク食堂さんに移動!こちらも満席っ!!!

 

 

トミフク食堂

川崎市高津区溝口1-12-24 マイプラザビル 1F

これ、美味い。うますぎ!!!セリってこういう食べ方があるんだー!シャキシャキっ!!

この組み合わせ、考えたヒト、えらいわー!♪

 

◆4人組のテーブル。めちゃ盛り上がり!!「東へ西へ」(井上陽水)のリクエストは、はじめて。ああ〜あの曲!!!とみな「♪〜頑張れ、みんな頑張れ〜♪」の大合唱。

 

「僕、イチバンすきな歌が 「かもめが翔んだ日」なんですよー!」歌うと「ええー!!!すげー!!!じゃあ「異邦人」は!?」と、次から次へと歌の連鎖。まさに「歌のロシアンルーレット」!何がくるかわからない。喜んで引き受けますよー!!!!

 

「スーダラ節」(植木等)「木綿のハンカチーフ」(太田裕美)「僕が僕であるために」「十七歳の地図」「I LOVE YOU」「OH MY LITTLE GIRL」「Forget-me-not」 「かもめが翔んだ日」(渡辺真知子)「東へ西へ」(井上陽水)「異邦人」(久保田早紀)「時の過ぎゆくままに」(沢田研二)「人生の空から」(松山千春)「世界中の誰よりきっと」(中山美穂)などなど。

 

溝の口の夜は、続く……。

あっ、この色紙の方ですよね!?と宣伝効果、バツグンっ!!!「昭和のギター猫・てるニャン太」が見守っています!(=^・^=)

******************************************************************************

「てるてるソング」は、最高のココロのおつまみ。

全国どこでも出張「流し宅配便」。お店、施設、ご自宅などにお伺いして歌います♪

パーティー、宴会、周年記念、イベント、飲み会、余興があればお声がけください。

https://home.tsuku2.jp/f/teru2song/service

お問い合わせはLINEで

https://line.me/ti/p/FhZdQbmJVo

******************************************************************************

ESSAY〜「塔」(岸本佐知子)(「ベスト・エッセイ2024」より)

 
昨日に引き続いて岸本佐知子さんの未読エッセイ、見つけちゃいました!♪
「日々の雑感、考察、失敗談から、亡くなられたあの方への追悼文まで…。読む愉しみ、知る悦び。珠玉の随筆の数々をあなたに。2023年に新聞・雑誌等の媒体に発表された中から選りすぐった、ベスト・アンソロジー」なかでも岸本佐知子さんの爆笑エッセイ「塔」の全文を紹介しよう。
 
 
「塔」  岸本佐知子
 
何年か前、下町の居酒屋で飲み会をした。戦前からあるような古い日本家屋で、二階の座敷には剣道の賞状や折り鶴やかぎ針編みの服を着せられたキューピー人形が戸棚に飾られており、そんな空間で飲んだり食べたりしゃべったりするのは、誰かのお祖母ちゃんの家にいるようで楽しかった。
 
すっかりいい心持ちになって外に出て、ふと夜空を見上げたら、目の前にそれがあった。 低い家並みを押しひしいでそびえる、巨大なスカイツリーが。背筋がぞわりとして、酔いが一気にさめた。明らかに縮尺が変だった。空気を読まなすぎだった。下界の下町情緒といっさい交流するつもりがなかった。魔の塔。そう、それはまさに魔の塔だった。
私はスカイツリーが怖い。
東京のあのどこまでも平らな地面に上から雑にぶっ刺したみたいな風情が怖い。棒状のそっけない胴体の上に、付け足しのように丸っこい頭をつけた形状が、一つ目の怪物のようで怖い。あまりに背が高すぎて頂上のあたりが凍ってしまい、その氷がバラバラ落ちてきて人間を直撃するのが怖い。
 
いつだったか、何かの拍子にたどり着いた誰かのブログで、スカイツリーがいかに魔界の建築物であるかについての論考が熱く語られていた。いわく、江戸幕府は風水に基づき要所要所に神社を配し、関東一円に江戸城を中心とした巨大な結界を張っていた。 ところがスカイツリーが建設されたことによりその結界が破れ、そこから水の妖怪が侵入してきたために、以後さまざまな水害がこの国にもたらされるようになった。あれが 魔界の入口である証拠には、見よ、かの塔の高さは地下の部分を入れると高さ666メー トル、聖書にも記された悪魔の数字ではないか。
 
今ではもう見つけることのできないこの電波系ブログになんとなしに説得力を感じる のは、あながち私がオカルト馬鹿一代だからというだけでもあるまい。
 
つい先日、太陽の塔を見た。
 
大阪万博の会場跡が公園になっていて、広大な芝生の広場の中央に、それはどんと立っていた。
 
遠くから姿が見えた瞬間、やっぱり背筋がぞわぞわした。これもまた巨大すぎた。縮尺が変だった。存在があまりに唐突すぎて、周囲の風景から完全に浮いていた。空気を読まなすぎだった。
 
けれどもそれは心おどるぞわぞわだった。太陽の塔は、塔というより人だった。だい いち顔がある。てっぺんと正面と背面と、三つもある。腕もある。今にもなにか話しだしそうに見える。夜中にあたりを歩き回ったりしていそうだ。
 
中にも入った。太陽の塔の内部は赤くて、曲がりくねった背骨があって、ますます人
体だった。背骨から何本も枝が伸び、その合間に三葉虫や恐竜やマンモスやネアンデルタール人が浮かんでいた。この塔には何十億年ぶんの記憶もあるのだ。
 
太陽の塔とスカイツリーが闘ったらどうなるだろう。
 
大阪から歩いてきた太陽の塔がスカイツリーと対峙する。 にらみあう両者。と、突如スカイツリーの頭部から青白い光線が発射される。浴びたものすべてを凍らせる氷のビームだ。
 
だがビームは太陽の塔に到達する直前にジュッと蒸発する。いまや塔の体温は太陽と 同じ数千度に達しているのだ。太陽の塔のてっぺんの金色の顔がにわかに輝きを増し、湾曲した中央に光が集まりだす。誰もが灼熱光線の発射を予期して手に汗をにぎる。スカイツリー絶体絶命。
 
と、太陽の塔は歩み寄り、両腕をいっぱいに伸ばしてスカイツリーをハグする。スカ イツリーの氷の心が溶け、両者は抱き合ったまま融合し、そうして新たな結界が誕生する。
 
きしもと・さちこ (翻訳家) 「ちくま」7月号

 

「おっぱい、足りてる?」(燃え殻)は、サイコーだね!さすが!「ベスト」というだけあって名文が揃っています。オススメです。(=^・^=)


 

Â