『ガッチャマン クラウズ』を観終わったっス!

 というわけで、二ヶ月前に推しに推していた『ガッチャマン クラウズ』が最終回を迎えたので感想を書くっス!
 当然ネタバレっス!(CV:矢島晶子)

 …………いや、うん、まあさ、最終回の一話前のAパートが総集編の時点で嫌な予感がプンプンしてたっていうか、「あっ、これ多分まとまんねえな」って感じたわけですよ。それを考えると色んな要素をかっ飛ばしても、しっかり物語を〆たから偉いよね…………いや、けどさあ…………。
 大体、ゲーム要素一切無しの先週のタイトルが「Gamification」なのにゲーム要素一切なしで、今週になってゲームやったりしたら、「あっ、これ本当は先週やるはずだった展開だ」って気づいちゃうし、最終回放送前の関係者tweetで、監督の土下座姿がアップされるし、もう色々あかんじゃないですか…………。

 これがつまんない作品だったら、「まっ、所詮こんなもんだろう」で済むけど元が面白かった作品だけにね……。
 しかし、そんなミルクを盆に返したいみたいな話ばかりしてもしょうがない。予算も人員も時間も有限なんじゃよ…………しかたがないんじゃ。
 つーわけで、作品の話に入ろう。
 ベルク・カッツェが主人公のはじめちゃんに出したクイズの答え。
 『他人の不幸は蜜の味』。
 他人の不幸が大好きな人間たちが引き起こす混乱にどう対処すれば良いかというのが、最終回のテーマだったわけですが、その答えとして「他人の不幸が楽しいならば、もっと別の楽しいことを用意すれば良い」ってのは凄く納得いく結論だったと思うんですよ。
 他人の不幸もなかなかに楽しいわけですが、他にもっと楽しいことがあれば人間そっちの方向に流れるわけです。
 ネットでキャリア官僚がblogで暴言を吐こうが、担当者から話を聞いたとかいう胡散臭い広告をでっちあげようが、そんなことよりソフマップで買ってきた『モーレツ☆にゃん×2 クリニック 〜女医とナースがマンモスギザエロE→〜』をやることの方が重要なわけですよ。千本桜が嵐の曲かどうかなんてどうでもいいわけですよ。他人の不幸よりも一発抜くことの方が優先されるわけです。だってこっちは一緒にエムズで新しいホールも買って来てるんですよ!
 小人閑居して不善を為す。つまり閑居させなければ不善は為されない。
 善意に期待するのではなく、皆で楽しめるゲームを提示することで、悪意を逸らす。
 現実でも無限にクッキーを焼き続けるなんてゲームに簡単にドハマりしちゃうぐらいだから、おにぎりをたくさん握った奴が勝ちなんてゲームを提示されたら、そらみんな夢中になりますよ。
 けど、普通に考えたらあの短時間であれだけのアプリをあんなにたくさん作れないよね…………アニメの作画もあんな風にお手軽にできたならばちゃんと終わったのにね…………いや、その話はもう終わったんだ…………俺が望んだクラウズ最終回はテレビでは見られなかったんだ…………。
 とにかく、あのやり方は作品の中で出した答えとしては充分納得がいく。
 そしてゲームやアニメや漫画、小説、音楽。エンターテインメントには、このように悪意を退ける力があるのだ。
 かの有名なアーティストはこのようなことを言っていた。
「オレは音楽に感謝している。ミュージシャンにならなければ猟奇的殺人者になっていたから……」
 さすがに、そこまで極端にいくことはないけど、劇的に人生を変えることはなくとも、一人で塞ぎこんでろくでもないことばかり考える憂鬱な時間を紛らわしてくれるかもしれない。
 そういうのって結構大切だと思うし、『ガッチャマン クラウズ』はそうした時間を与えてくれた上に、毎週次週の展開にワクワクさせてくれた時点で、充分素敵なアニメだった。
 Gメンバーがついに全員集合して、「すげえ、ついに全員そろったよ! こりゃあ次回は見逃せないな!」とテンション爆上げさせといて、次週で総集編始まったときは、流石に色んな物を諦めそうになったけど、それでも素敵なアニメだった。
 けど、やっぱ最終回で話の焦点をクラウズ中心にしてしまったばかりに、はじめちゃんが最後の方で歌っていた「ヒーローとは何か」というテーマがスルーされてしまったこととか、ようやくカッツェを見つけたはじめちゃんが「カッツェさん、そこにいたッスかー」とニコニコ笑いながらハサミを突き立てる場面がなかったのは、やはり残念なのでDVDがバカ売れしてその利益で新規カットを追加した劇場版作ったりしてくれたら凄く嬉しいし、それが実写版の興行収入を超えたりしたら色々美しいのではないだろうか。
 あと、カッツェが最後に何も見えなくなるという演出は、実写版の名台詞「俺が見えるか悪党ども……」とリンクさせているのかなと思ったけど、多分違う。
 おしまい。