人間関係が築けない話を聞いていて、自分もそうだなと思った。
僕は長く続いている友達とかいないし、なんだろ、その場限りで仲良い人はいてもそこ止まりで、学生時代の友達といっても何かきっかけがあればやりとりがあったり話したり会ったりする程度で、基本的には繋がりがない。希薄であり、とても人間関係が続いているとか友達関係が続いているとは言えない。お互いがその他大勢でしかなく、気のおけない友人と呼べるほど特別な人はいない。社会人になってからも、その場その場で話したり関わったりはするものの、その場が過ぎると途切れる。維持しようとか繋ぎ止めようとならない。お互いがそう。
恋愛関係もそうだった。結婚した奥さんに唯一コミットし続けているけど、それまではまず付き合っても長続きしなかった。ずっと自分は自分、人は人で、交わろうとしてこなかった。やろうとしてもうまくできなかったんだと思う。今はすごく、お互いが相手のことを見ようとしているのを感じる。自分がそれをできている自信はないけど、少なくともそういう意志の元で試行錯誤している。自分ではなく、相手を見ること。
親との関係は、歳を重ねるに連れてめんどくさいことになっている。もともとそんなにうまくできた関係ではなかったんだろう。それが大人になったことでよりクリアになったというか。さらにそこに親の老化が加わって、衰えのせいもあり余計に改善のしようがなくどうしようもなくなっている。
夫婦は、お互いをパートナーと決めた以上向き合っていかなければならない。生活を共にするし、なんなら人生の多くの部分を共有することになるから、人間関係の比重は大きい。
でも親は、自分が子供のうちは家族という運命共同体だけど、大人になってからはどちらかというと独り立ちしないといけない。親と向き合って、お互い確かな人間関係を維持する必要性は薄れていく。
友人も、いたらいいというだけで、必要ではない。それもほどほどの友人がいれば、日々を楽しく過ごすには支障がない。その場限りの友人、今付き合いのある友人と仲良くやっていれば、若かりし頃の友人とずっと同じ親しさで繋がっている必要なんてない。友人という人間関係の優先順位は低いだろう。
確固たる人間関係を築いてこなくても、どうとでもなるんじゃないか。誰かとお互いの信頼関係を築くことなんて、難しくて時間のかかることで、なかなか無いもんだと思う。築いた信頼は一瞬で壊れるとかよく言うけれど、一瞬で壊れるような信頼なんて元からあって無いようなもので。そういう薄っぺらいものではなく、お互いの命を預けられるような親友だったりパートナーだったり親子のような関係は、実際にそうあるもんでもないのかもしれない。
だからそれを求めたりするのは、覚悟がいることなんじゃないか。お互いにとって大変なことで、本当にそのことを冷静に自覚している人は案外少ないんじゃないかと思った。人の話を聞いていると、どうしても相手に求めてばかり、自分のことばかりで、相手のことを見えてないどころか見ようともしていないように感じる。
自分はどちらかというとそういう関係を相手に求めてこなかったから、築くこともなかったのだろう。