意志がよわ日記

栗饅頭のブログ

自分の人生を振り返ろう!

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今更ながら、原宿さんの年表クイズの動画を見てえらく感動してしまった。

私がこれまで送ってきた人生は大して面白味はないのだが、自分のルーツを改めて確認する目的で、あと将来大物になった時のために、覚えている限り残しておくことにする。

 

幼少期

・楽器経験があり音楽が好きな両親の元に産まれる。父親はイラストを描くのが得意で、その影響もあってか物心ついた時から絵を描いたり物語を考えたりしていた。

・都心在住のため、自然と触れ合える機会が増えるようにと野外でのイベントが多い幼稚園に入れさせたそうだが、どういうわけか幼稚園の時点で完全インドア人間に育つ。汚れるのが嫌で当時園内で流行っていた泥団子作りはほとんどやらなかったし、「泥パック」と称して顔に泥を塗りたくる級友を見てドン引きしていた。

・リカちゃんやシルバニア、プラレールなどのメジャーおもちゃは持っておらず、「こえだちゃんと木のおうち」派だった。

・祖父母の家へ向かう車中でRIP SLYMEのベスト盤「グッジョブ!」をひたすら聴く。MVが面白いので家でDVDを繰り返し見る。初恋の相手はPES。

 

小学校低学年

・既にマセていて、上の学年に兄がいたためイキり散らかす。

・「自分は異星人で、偵察のため地球にやってきて一般家庭に居候している」という設定を頭の中だけで妄想して生活していた。月ごとに主題歌を決めたりしていた。

・プリキュアやふしぎ星のふたご姫などを見ていたはずだが、内容を一切覚えていない。印象に残っているアニメは「ケロロ軍曹」「アニマル横町」「ヤッターマン」であり、ここでオタクとしての自我が芽生え始め、同時に立派なエロガキに成長する。

・母親が所有する「白鳥麗子でございます!」などをこっそり読んでいたが、女性向けエロは当時よく意味がわかっていなかった。

・うちの3姉妹のアニメにハマり、単行本を読み、授業で書く文章に顔文字を使い始める。

・母親の影響で嵐を知り、現在に至るまでの長いジャニオタルートが確立。

・キッザニアの順番待ちで知り合った女の子に教えてもらったゲーム「コスメちっく☆パラダイス メイクのキセキ」に激ハマりし、メイクに興味を持つ。それがそのまま真っ直ぐ発展していたら違う人生だったのだがなぜかその情熱は途絶え、かわりに本ゲームに登場する「シュウ」というキャラをめちゃくちゃ好きになり、クール系ツンデレ男キャラが大好きになる。

・ちゃおスララを買ってもらい、そこに付録でついてきた「まんが家養成講座ブック」に書いてあることを参考に絵を描く。多分いまだにこの本で得た情報が根底にある。

・PSPの「LocoRoco」をプレイして、BGMの一つである「zappudo geron(ブラックのテーマ)」があまりにもカッコよくて衝撃を受ける。おそらくここでファンク音楽に目覚める。

・たまごっちの派生ゲームは持っていたが本体は持っていない、ポケカは持っていたがゲームは一切やったことがないなど、なんか捻くれたコンテンツの通り方をする。

 

小学校高学年

・頭がよかった。テストで満点をとることはできるけど、それで目立つのが嫌なのでわざと一問だけ間違えたりしていた。嫌な子供すぎるだろ。

・進研ゼミをやっていたが、中身は真面目に手をつけずに付録の小冊子に載っている投稿コーナーだけを楽しみにしていた。コロコロコミックも投稿コーナーばっかり見ていた(今このコーナーをオモコロが担っていると思うと、感慨深い)。

・家にあったノートパソコンで死ぬほどインターネットに浸かる。最初の頃は「きっずgoo」「りぼんわくわくステーション」「ファンキーランド」などのFLASHゲームサイトで遊んでいたが、間も無く2chまとめサイトを見るようになる。「あじゃじゃしたー」とかずっと見てた。

・ニコニコ動画を見るようになり、真っ当に初音ミクや東方projectに行き着く。東方はゲームは難しすぎてできなかったがキャラクターが好きで、オタク友達とオリジナルの東方キャラを作って遊んでいた。その友人とは卒業文集の「仲良しランキング」に入賞するほど仲が良かったが、卒業して引っ越して以来音信不通。

・DSiウェア「うごくメモ帳」と出会う。作品投稿サービスの「うごメモシアター」というものがあり、そこに東方のイラストを上げたりしていたのだが、あるとき「創作キャラクター同士の交流文化」というものを知る。その様子にどうしようも無い憧れを抱き、自分でキャラや世界観の設定を作るようになる。

・うごメモシアターの運営元がはてなだったので、そこからの流れで「はてなダイアリー」でブログ書いてた。はてなダイアリー今は無くなってて本当によかった。ていうかこの文章もはてなブログで書いてるけど、あまりにもはてな人生だな。

・銀魂が好きで、沖神にハマる。二次創作を漁るようになり、男女カプ厨になる。

・オタク友達に「占いツクール」を教えてもらい、カゲプロの夢小説やオリジナル小説を執筆していた。

・家にあった「伝染るんです。」「クマのプー太郎」などの不条理系4コマ漫画を嗜む。「メイドイン俺」にサンプルとして入っていた4コマ漫画で、べつやくれいの存在を知る。

・兄が誕生日にペンタブを買ってもらっていたのだが、ほどなくして彼が挫折しペンタブをそのまま譲り受けることになったため、PCで絵を描き始める。

 

中学校

・ちょうどその前後の年に学区内に新しい学校ができたため、私が進学した古い中学は生徒数がべらぼうに少なかった。美術部に所属したが学年で部員が私1人しかおらず、強制的に部長もやることになったしひたすら孤独だった。自分より絵が上手いのに美術部に入らない同級生のことを許せないと思っていた。

・うごメモシアターはサービスを終えたが、3DSで形を変えて復活し、そこでも創作企画への参加に精を出す。このあたりから栗饅頭を名乗り始める。創作企画の交流の場として、Miiverseやミナコイチャットに入り浸り「なりチャ」をしていた。

・ゆっくり実況を見るようになり、それに憧れてSofTalkをダウンロードする。ゆっくり音声でラジオを録音してうごメモに投稿していた。

・3DSでYouTubeが見られるようになり、そこで当時人気絶頂だったゴールデンボンバーの動画を見て一発でファンになり、歌広場淳に恋をする。生まれて初めて誰かの影響ではなく自発的に音楽にハマるという経験をして、初めて自分でCDを買う。

・しかしそれを恥ずかしくて言い出せず、そこから数年間は「ふーん、まあちょっとは知ってるけどね」というスカした態度をとり続ける。誰もいない部屋のテレビで、歌広が出ているクイズ番組をこっそり正座しながら見ていた。

・オタクの兄の影響でアイドルマスターを知る。初めてプロデュースしたのは双海亜美・真美。

・自分の趣味がサブカルに寄りすぎていることを自覚し、少しは一般社会に馴染めるようにチューニングしなければ!という目的でPerfumeを聴き始める。その後、無事にちゃんとハマる。

・当時家で定期購読していたテレビブロスの連載をちゃんと読むようになる。Perfumeのコラムに描かれている久保ミツロウによる3人の似顔絵が、「漫画の絵なのにあまりにも似すぎている」ことに感激する。あと、この時初めてダ・ヴィンチ・恐山の名前を知る。

・特番時代の「有吉の壁」を見て、衝撃を受ける。

 

高校

・総合学科という、最初の一年に必修科目を受けて二年次以降は自分で時間割を決めるという大学みたいな変わった学校に進学する。そのため、「数学2」とか受けたことがない。

・仲良くなった友人の中には家族仲が上手くいっていない人がそれなりにいて、その時初めて自分がものすごく恵まれた環境に置かれていたことを知る。

・スマホを買ってもらい、Twitterを始める。慣れてきた頃に一次創作用のアカウントを作り、創作キャラを描くのは現在も続けている。

・「クソコラ職人」に憧れていて、画像編集アプリをたくさん入れたりしてた。

・金爆にハマったことで「バンギャになろう!」と意気込み、ヴィジュアル系を色々と聴いてみる。バンギャの友達ができたりもしたがしかし結局は何者かになりたかっただけにすぎず、特に好きになることはできなかった。ただ、「化粧をした男が好き」という趣味だけは残る。

・90年代カルチャーに強い関心を抱くようになり、主にスレイヤーズに触発されたデフォルメの強いタッチで絵を描くようになる。当時は本気でこの路線で一山当てるつもりでいたが、ちゃんと時代に乗った方がいいことに気がつき挫折する。

・絵と並んで、古い音楽も聴くようになる。渋谷系にハマり、中古ショップでCDを漁って回る。それ以外の音楽に関しても、サブスクはもう既にあったがCDを集めるのがステータスだと思い、しばらくCDをPCに取り込む→ウォークマンに転送して聴く、という方法を続けていた。

・べつやくれいの著書「ココロミくん」をたまたま手に取り、そこで初めてデイリーポータルZを知る。バカバカしい記事にすっかり夢中になる。そしてそこからの流れでオモコロを見るようになり、web記事に興味を持つ。

・webで面白い文章を書く人に憧れ、当ブログを開設。

 

専門学校

・絵の勉強をするためにオタクの学校に進学する。高校は推薦で入学していてこれまでの人生で入試を受けたことがないため、ちゃんと勉強して受験をする人のことを心から尊敬している。

・オタクの学校のためクラスメイトは全員オタクだったが、誰とも趣味が合わなかった。

・2年制の学校だったのだが、進級の際にコロナ禍が始まり2年次の授業はほとんどリモートになる。文化祭は中止、卒展も家族以外は来校ができなくなり、悲しむ。

・専門に入る少し前あたりからドラッグストアでバイトをしていたが、コロナ禍に入って泣きを見ることになる。マスクを買うための長蛇の列とか、ネットのデマが広まってトイレットペーパーが買い占められたりした日々のこと忘れないからな。

・正直、バイト以外の自粛期間中の記憶が全く無い。

・Twitterでオモコロ界隈の話題を見るためにフォローしていたユーザーがいつの間にかお笑いのオタクになっていて、その流れでお笑いを真剣に見るようになる。

・芸人さんの似顔絵を描き始め、そこから似顔絵を描くのにハマる。

 

そして現在、なんやかんやあってなんとか愉快にオタクをやっている。今の所は平坦だけど、ここから何か転機があったら嬉しいですね。

みんなもどんどん自分語りをしていこう!!