kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

マルクス主義?左派的?「こども基本法」に自民党保守派が異論を唱えるワケ(東京新聞)

 城内実や山谷えり子には含むところがあるので、以前少しだけ触れた件ではあるがついつい反応してしまう。

 

 

 どうでも良いが、私のかつての宿敵が久々に城内実の名前を出したツイートを発信していたようだ。いつだったか「ダークサイドに堕ちた」とかなんとか言ってたからもう応援は止めていると思うが、米山隆一氏のツイートの誤記の指摘ででもあろうか。

 

 

 このツイート主こそ、かつて城内実の応援の旗を振り、それを他の「反自民」ブロガー連に追随させた元凶だ。彼はブログでは「喜八」と名乗っており(それがアカウント名に残っている)、ブログ村の村内政治を十八番としていた。だから、彼の城内実応援は多くの「リベラル」ブロガーに影響を与えていた。しかしその当時から今に至るまで「信念の人」城内実の思想信条は全く変わっていない。城内自身には一点のブレもないのである。「ダークサイドに堕ちた」というのは「喜八」が自身の眼鏡違いにようやく気づいたことを糊塗するための言い訳でしかなかった。

 

 前振りが長くなった。東京新聞記事を以下に引用する。

 

www.tokyo-np.co.jp

 

マルクス主義?左派的?「こども基本法」に自民党保守派が異論を唱えるワケ

2022年2月22日 17時00分

 

 児童虐待やいじめ、貧困、ブラック校則など子どもを取り巻く環境が悪化しているのを受け、教育関係者らが制定を強く求めている「こども基本法」をめぐり、自民党保守派が「マルクス主義思想」「左派的」などと異論を唱え、議員立法の動きに待ったがかかっている。本来は、日本も批准している子どもの権利条約に沿った国内法整備の一環のはずだが、保守派はなぜこんな異論を唱えるのか。(特報部・荒井六貴、木原育子)

 

◆家族を否定するような行き過ぎた思想…

 

「マルクス主義の中には、個人主義を重視しすぎ、家族を否定するような行き過ぎた思想が一部にある。そういうものが入ってくる可能性があり、日本の伝統的な家族観が破壊されかねない懸念がある」

 

 「こども基本法」について、自民党の城内実衆院議員は21日、特報部の取材にそう答えた。

 

 城内氏は同党が4日に開いた「『こども・若者』輝く未来実現会議」に出席し、異論を唱えたと報道されていたため、発言の真意を確認した。城内氏によると、その前の発言者が「基本法はいらない。マルクス主義の巣窟になる」と話したため、それを「マイルドにした」という。「子どもの人権を否定するわけではない。慎重にやるべきだ」と説明する。

 

 一方、会合では元拉致問題担当相の山谷えり子参院議員も「左派の考え方だ。恣意的運用や暴走の心配があり、誤った子ども中心主義にならないか」と発言したと報じられた。特報部は山谷氏の事務所にも取材を申し込んだが、多忙を理由に回答を得られなかった。

 

◆法制化の柱は第三者機関「こどもコミッショナー」の創設

 

 こども基本法は、1994年の「国連子どもの権利条約」批准以来、法制化の必要が指摘されてきた。近年、家庭内の虐待やいじめの報告が急増していることから、法案策定に向けた議論が活発化している。

 

 2020年9月には、子どもの貧困問題などに取り組んできた日本財団が法制定を目指し、有識者の意見を踏まえ取りまとめた提言書を発表。この法律の大きな柱となるのが、第三者機関「こどもコミッショナー」の創設だ。いじめや虐待対策のチェック機能や政策提言を行い、国への勧告権を持たせることなどを想定。国会での議論では、政府の外局として、原子力規制委員会のような国家行政組織法の三条委員会とすることも検討されている。コミッショナーは行政機関に対する調査権を持ち、勧告された機関は報告義務を負い、国会に対し政策提言もできるとしている。

 

◆コミッショナーは、子どもの最後の砦。命を守るもの

 

 一方、政府は今国会で、こども関連施策の司令塔になる「こども家庭庁」を設置するための法案成立を目指す。こども基本法との整合性はどうなるのか。

 

 日本財団公益事業部の高橋恵里子部長は「法の理念を政策で実現する本部になることが、こども家庭庁に期待される。コミッショナーは庁から独立した組織で目に届かない政策を提言できる」と紹介する。

 

 だが、法案制定を進める山田太郎参院議員(自民)によれば、保守系議員らが特に問題視するのがこのコミッショナー制度で、山田氏らは創設具体化は先送りし、検討事項に盛り込みたいとしているが、それでさえ抵抗もあるという。「例えば、北海道・旭川のいじめ事件のように学校の対処が失敗し、被害者側と利害関係になった時や、教育委員会が機能不全になった時に、コミッショナーが関与できる。子どもにとって最後の砦。保守派には、子どもの権利をうたうだけで反対する人もいる。子どものわがままを聞くと誤解されるが、命を守るためのものだ」と訴える。

 

◆何か陰謀論に近いような議論…子どもの視点からはずれている

 

 こうした自民党保守派の反対論に対し、「困惑したとしか言いようがない」と苦笑するのは日本大学文理学部の末冨芳教授(教育行政学)。「これから何重もの議論が必要なことでもあり、一体何を懸念しているのか」

 

 末冨さんら有識者や市民団体らは18日、危機感を持ち、こども基本法の実現を求め、急きょ記者会見を開いた。「マルクス主義とか左派的とか…。何か陰謀論に近いような議論もあって、子どもの視点からはずれている。こどもコミッショナーは一足飛びではいかない課題で、ここから丁寧な議論が必要になる。根幹に関わる大事な時に、右か左かの議論ではないはず」

 

 末冨さんとともに会見した「日本若者協議会」の室橋祐貴代表理事(33)も「左派的って何なのか。よくわからない表現。コミッショナー制度は欧州を中心に多くの国ですでに進められている。もしその『左派的』というのが問題なら、世界ですでに課題となっているはずだが、聞いたことがない」と話す。

 

 協議会は、若者の声を政治に反映させるために結成され、メンバーは700人以上。室橋さんは「子どもの視点を重視するこの法案の重要性がどこまで共有できているのか、本当に心配になった」と話す。

 

◆子どもの権利条約批准から約30年 虐待やいじめ…遅れた法制化

 

 そもそも、こども基本法は日本も批准した子どもの権利条約に基づく国内法整備の一環だ。認定NPO法人・国際子ども権利センター代表理事で、文京学院大の甲斐田万智子教授は「1994年に条約に批准した際、子どもに対する考え方を180度変え、子どもを権利の主体とみなし、子どもの権利を学校で教育しなければならなかったのに、日本は30年近く普及活動をきちんとしてこなかった」と指摘する。

 

 国連子どもの権利委員会から度重なる勧告を受けても法整備への重い腰は上げなかった。「子どもの時に、大切にされる権利があることや、意見表明権を教えてもらっていないため、虐待やいじめ、体罰、貧困などの問題のさなかにいても、相談したり訴えたりすることができず、一人で苦しむことも多い」と甲斐田さんは憤る。

 

◆思想的な右左の対立に関わっているほど現場に余裕はない 本質的な議論を

 

 むしろ遅すぎる「こども基本法」なのだが、自民党保守派はなぜ反対なのか。

 

 政治ジャーナリストの角谷浩一さんは「子どもたちにすくすく育ってもらうことに、本来イデオロギーなんてない。マルクス主義という言葉の意味を本当にわかっているのか」と話す。2001年12月に敬宮愛子さまが生まれた際、お祝いの意を表する「賀詞」を共産党を含めた全会一致で議決したことを挙げ、「それが原点ではないのか。保守派の自民党が明治日本的な『イエ』制度にこだわり、反共思想を打ち出し、保守層の支持を集めようということなら、とんでもない話だ」と指摘した。

 

 全国こども福祉センター(名古屋市)の荒井和樹理事長(39)は「そのような思想的な右左の対立に関わっているほど現場に余裕はないんです」と言う。繁華街で徘徊する子どもたちへの声掛け活動を担ってきた。

 

 荒井さんは「子どもたちが自分の意見を本当に言えているかといえば、ノーだ。子どもが主役になれる場はアイドル活動ぐらいで、それもまた大人の論理で搾取されている。夜の街に漂うのは権利が尊重されず、行き場をなくした子どもたちばかりだ」と指摘した上で、こう話す。

 

 「本質的な議論をしてほしい。ギリギリのところで踏みとどまっている子どもは想像以上に多い。政治家のみなさんに、その声が届いていますか」

 

◆デスクメモ

 

 これだけ子どもをめぐる問題が多く起きている中で、何か手を打たなければならないことは、国民誰もが理解しているのではないか。今すぐ必要で具体的な子ども支援のあり方を、政治家同士が知恵を絞って、政策として実現させてもらいたい。イデオロギーも与野党の壁も不要だ。(歩)

 

(東京新聞より)

 

出典:https://www.tokyo-np.co.jp/article/161730

 

 記事中で新自由主義者の室橋祐貴が城内や山谷らトンデモ系の極右を批判しているのが目を引く。「はてなブックマーク」にもこれを指摘しているコメントがあった。

 

マルクス主義?左派的?「こども基本法」に自民党保守派が異論を唱えるワケ:東京新聞 TOKYO Web

"室橋祐貴代表理事(33)も「左派的って何なのか。よくわからない表現。コミッショナー制度は欧州を中心に多くの国ですでに進められている"この人でさえこれ

2022/02/22 18:27

b.hatena.ne.jp

 

 このブコメに私はスターをつけたが、城内実は小泉純一郎の郵政民営化に反対して郵政総選挙での自民党公認を外された上に選挙区に刺客として新自由主義者の片山さつき*1を送り込まれ、落選した経緯がある。その個人的な恨みから城内は「反新自由主義」的なメッセージを当時の有名政治ブログだった(今も存続しているが)「世に倦む日日」に送り、それが2006年正月の同ブログに紹介されたことから、一部の反ネオリベ人士の支持を得た(私は支持しなかったが)。中でも熱心に城内を応援したのが「喜八」だった。当時は新自由主義に反対であれば民族主義系極右だろうが何だろうが受け入れられるおかしな風潮があった。城内以外でも「石原慎太郎の直系」を自認していた小林興起らがもてはやされた。イデオローグとしては3年前に58歳の誕生日を翌月に控えて早世した*2関岡英之がいた。関岡もまた強度の極右だった。

 なお、城内は本当のところは経済政策にはほとんど関心がなく、トンデモ極右思想にかぶれた「いかれた政治家」に過ぎないと思われる。いくらなんでも極右イデオロギーだけで自民党内で出世することはできない。現在高市早苗がお手本を見せている通り、極右兼過激なネオリベラリストであることによって、安倍晋三の覚えめでたい政治家になれると思われる。城内実はその点で無能に過ぎたのだろう。

 ところで本件はだいぶ前に時事通信が報じ、宮武嶺氏のブログに取り上げられた。その後、sumita-m氏のブログ記事でも取り上げられている。

 

sumita-m.hatenadiary.com

 

 興味深かったので全文を引用する。

 

久々に城内実*1とか山谷えり子*2という名前を見た。
時事通信の記事;


自民、子ども第三者機関で紛糾 保守系「左派政策」と批判
2022年02月05日08時40分

 



 自民党は4日、「『こども・若者』輝く未来実現会議」を開催し、子どもの権利を守る議員立法「こども基本法案(仮称)」について意見交換した。第三者機関「コミッショナー」創設をめぐり、保守系議員から「左派の考え方」などと異論が噴出。引き続き議論することとなった。

 コミッショナー制度は、公明党が昨年の衆院選で掲げた。自民党の資料によると、子ども政策の実施状況を調査し、首相や文部科学相らへ勧告する権限の付与を想定。国家公安委員会のように高い独立性を持つ国家行政組織法の「3条委員会」とする案も示している。
 4日の実現会議では、城内実氏が同制度について「個人を大事にし、それを拘束するものは悪であるというマルクス主義思想があり、制度を作ったらそういう人たちばっかりだったみたいなことになる」と主張。山谷えり子元拉致問題担当相は「左派の考え方だ。恣意(しい)的運用や暴走の心配があり、誤った子ども中心主義にならないか」と訴えた。岸田文雄首相が実現を目指すこども家庭庁に「機能を集約すればいい」との意見も出た。
 これに対し、賛成論も相次いだ。阿部俊子氏は「子どもの権利を守る機関を置かないと、党のイメージへの影響は破壊的だ」と指摘。山田太郎氏は「子どもの意見を聞きながらどういう問題があるか、現場からも解決できるルートを作っておこうということだ。マルキシストによって作られたものでは決してない」と反論した。
 一方、自民党内の議論に関し、公明党の石井啓一幹事長は記者会見で「コミッショナーにはいろんなやり方がある。自公間の議論が既に開始されているので、十分検討していただきたい」と促した。共産党の田村智子政策委員長は会見で「科学的社会主義(マルクス主義)は女性や子どもの権利を重要視していた。先駆的な役割を評価すべきだ」と強調した。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2022020401100&g=pol

「マルクス主義」は「個人を大事にし、それを拘束するものは悪である」というような素晴らしいことは言っていないぞ。
さて、城内や山谷のような人間が仮にも「自由」と「民主」を掲げた政党に所属しているということを、支持者は勿論反対派も不思議に思わないというのはどういうことなのか? と問いたい。
ところで、この記事を紹介している宮武嶺氏*3の「【大切なのは個人の尊重】こども基本法に反対する自民党右派が戦前過ぎる!城内実議員「個人を大事にし、それを拘束するものは悪であるというマルクス主義思想」山谷えり子議員「誤った子ども中心主義」」というエントリー*4にも少し突っ込んでおく。「個人主義」の反対は「全体主義」ではない。「個人主義」の反対は(普通)集団主義(中国語で言うと、集体主義)。勿論、「全体主義」は「個人」を抑圧し、「個人主義」に反対すると宣うだろう。しかし、事情はそれほど単純ではない。歴史的に言えば、ファシズムやスターリン主義といった「全体主義」は、様々な社会変動によって伝統的な社会的絆やコミュニティから切断されて、〈孤独(loneliness)〉に沈んだ剥き出しの諸「個人」を、「全体」が吸い込むという仕方で形成されたといえる。この社会-心理的な機制に関する古典的な著作としては、例えばエーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』*5があるだろう。また、ここでいう〈孤独(loneliness)〉は、ハンナ・アレントの『全体主義の起源』を踏まえている*6。話を戻すと、孤独な剥き出しの個人たちが吸い込まれる「全体」とは何なのか。それは例えば階級とか民族とか国民とか人種といったものなのだが、その意味を理解するためには、現実存在(実存)/本質(存在)という対立を持ち出した方がいいだろう。私たちは様々な本質或いは属性*7も持っている。しかし、実際の(現に存在している)私は、日本人、男性、ヘテロセクシュアル、左翼、酒飲み等々の本質或いは属性の総和には還元されえない。また、そもそもこれらの本質或いは属性は概念としてしか存在せず、実践的・理論的目的のために使用されるべきものであり、現実に存在するものと取り違えられてはいけないものだ。偶々日本人という本質或いは属性を持った人は実在するが、本質或いは属性としての日本人は(前者と同じ権利においては)実在し得ないということだ。「全体主義」は例えば階級とか民族とか国民とか人種といった本質或いは属性(のひとつ)を「全体」と僭称し、それへの帰一を呼びかける。孤独な剥き出しの個人たちがそのような「全体」に吸い込まれてしまった結果、極限的には何が起こるのか? それは、現実存在の忘却或いは隠蔽であろう。個人は「全体」(概念)のサンプルになってしまう。サンプルは定義上交換可能である。ここには、かけがいがないという意味での〈個性〉が存立する余地はないだろう。また、ここでは、〈他者〉も概念のサンプルとして現われる。「全体主義」において、人は生身の存在としてではなく、(例えば)ユダヤ人とか反革命分子といった本質(属性)のサンプルとして虐殺される。

 

出典:https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2022/02/10/143100

 

 「様々な社会変動によって伝統的な社会的絆やコミュニティから切断されて、〈孤独(loneliness)〉に沈んだ剥き出しの諸「個人」」は確かに現在の日本に増えているように思うが、さすがに城内や山谷の思想信条に靡く人はごく限られている、というよりほとんどいないのではないか。現に城内や山谷は単なるネオリベ人士である室橋祐貴にコケにされている。

 自民党や同党の支持者に限定した場合はついては詳しくないのだが、城内や山谷の意見に賛同する自民党議員の比率及び自民党支持者の比率はどのくらいなのだろうか。以前より相当に減っているのではないかと思うのだがどうなのだろうか。また、安倍晋三は城内や山谷を支持しているのだろうか。

 そこらへんについては本当に全然知らない。安倍晋三に「おじいちゃん愛*3」以上のものの持ち合わせなど本当にあるのだろうか。単なる祖父愛と自己愛と夫婦愛*4しかないのではなかろうか。

 ただ、おそらく宗教右翼の集票力が馬鹿にならないために、自民党内トンデモ極右の影響力が相当程度に残っているのだろう。理不尽な話だが。

*1:片山はその後、極右道の修練も積む一方で「生活保護不正受給叩き」にみられる本来のネオリベ面で活躍するなどして自民党内で一定の地位を得た。しかし最近二階派から追い出されようとしているようだ。

*2:この死のタイミングはおちゃらけ系極右の電波芸者・勝谷誠彦と同じだ。

*3:といっても父方の祖父・安倍寛は排除されているが。

*4:安倍晋三と安倍昭恵との相思相愛ぶりだけは本物だと思う。