『ゼルダの伝説 夢幻の砂時計』

kodamatsukimi2008-12-21


 公式サイト http://www.nintendo.co.jp/ds/azej/ ASIN:B000FJ8DB4

・副題「Phantom hour glass」。
 なぜ今頃になって遊んだかというとワゴンセール\1,980だったからですが
 なぜ今まで手を出していなかったのかというと
 所詮は携帯ゲーム機用。
 ゲームの本流はテレビ用ないしアーケード。
 画面の大きい方がつよい。すごい。えらい。
 それに自転車をこぎながら携帯をいじるのは本気で何とかしていただきたい。
 そんなふうに思っていたことが私にもありましたからですが
 今さらいうまでもなく、ここのところのゲームといえばまずDSなのでございます。
 ゲームなどテレビの前にひとり座って構えてまで遊ぶものではすでにない。

・だからこそ、おおよそ間違いなく上質であろうことが明らかなゼルダだろうとも
 携帯機用はGBC『夢を見る島』以来遊んでいなかったのですが
 なぜなら初代ゼルダのころからゲームを遊んでいる思い入れゆえからですが
 やはりゼルダはすごい。安さにつられて遊んで良かった。
 携帯ゲーム機用だろうが強い。隙がなく面白い。本当に偉大です。



・操作は基本すべてタッチパネル。この出来がなんといっても良いです。
 ボス敵戦の他はSFC『神々のトライフォース』調の見下ろし型2Dゼルダですが
 敵をよけ、剣を振り回すアクションが快適。
 使用アイテムの選択中も敵が待ってくれないところなど、
 それなりにアクションゲーム寄りですが
 盾は正面からの攻撃を自動防御、回転切りの出しやすさもあって
 ほどほどの難しさ調整が素晴らしい。
 敵をつんつんつつくだけで、こ気味良く剣をふるってくれる。
 ローリングやバックジャンプなどが3D時のようにないのに
 タッチペンで敵中心の軸角度と間合いを調整しているだけが
 とても気持ち良く楽しい。

・移動先指示と攻撃照準合わせを、タッチペンを置く事が兼ねている。
 これは3Dスティックでも同じことを出来ますが
 異なる行動を1操作が共用で行える、複雑な操作が可能であることが良いのではなく
 操作が感覚的にわかりやすいところが良い。
 移動先を指示するだけで、意図した複数の異なる行動を行ってくれることが良い。
 ジャンプボタンを押さなくても、移動経路に溝があれば自動で飛び越えてくれる。
 途中に敵がいれば正面攻撃は指示しなくとも防御する。
 敵を指し示せばそこへ移動するのではなく攻撃してくれる。
 それらを軽快に的確に行ってくれる。
 当然そうあるべきと期待されることならば細かく指示しなくとも当然に行う。
 当たり前ですが、それが当たり前にすごい。
 単純であるべきところは単純で良いと決めつけられるのがえらい。


・ブーメランやバクダンや弓など、いつもおなじみの道具を使い分けるところは
 いつものゼルダ、つまりこれまでアクションアドベンチャーゲームとして
 謎解き種類を増やすためだけに積み重ねられてきた「文法」ですが
 その整理も、あらためて2Dとして見直したからか、整理が行き届いている。
 2画面を演出ではなく進行補助に活用する手際も良い。
 画面が2つあったからと言って両方を同時には見られないのだから。
 とにかく見事だ。DSでゼルダとして欠点のない、素晴らしい出来です。



・もうひとつ面白かったのが、普段はあまり気にしないお話のつくり。
 以下、話の種を割らないように書きますと
 先の通り私はゼルダ全作を遊んでいないのですが
 本作の、「夢を見る島」に続く「夢幻の砂時計」という
 トライフォースが関係しない外伝的な筋書きにおいての
 終盤における据わりの悪さが印象的でした。
 これはマリオでもわかるように、わかりやすい敵役がいない場合において
 何を倒すべき悪とするかについて、いつもと違うことをしているがゆえです。


・マリオのクッパのように、ゼルダにはガノンがいる。
 ガノンは世界征服を目的としているわけではない。頭が悪いわけではない。
 そうすることで自分に不利益を被ることが判っているだろうことはしない。
 それなのになぜ敵として立ちはだかり、ゼルダの行動を妨害し
 リンクに倒される標的の立場になるのか。
 なぜクッパはピーチ姫をさらうのかですが
 それは彼らが勇者の敵だからです。

・トライフォースという3つのもの、力、知恵、勇気として表現される
 『ゼルダの伝説』のお話。
 知恵が守る秩序を力が妨害することで変えようとし
 それに勇気が知恵の力で対抗する。
 力だけでは知恵と勇気の2つには敵わないことは解っていながら
 それは常に大方成功する。
 なぜなら勇気が知恵を借りるのと同じように
 力もひとつで全てをなすことはできず、知恵も勇気も必要なことを知っているから。

・しかし多数のひとが望む秩序こそが正義であり、少数派は正しくとも悪である。
 だからガノンはリンクに必ず負ける。
 しかし夢の中ではどうだろうか。
 多数少数の別がない、確定した価値観の視点がない世界では
 何が正義であると誰が保障してくれるのか。
 それは例えば重ねた年齢の複雑さであったり、幼い単純さであったりする。
 リンクを応援してくれるひとが大勢いるから勇者の正義は揺らがないが
 それが少数であってもそうなのか。それが正義と明らかでなくともそうなのか。

・現実は夢のようなもの。夢と現実のどちらが正体か分からないのならば。
 夢もまたひとつの現実であり、個人がそう思うかどうかの主観で見方は決まる。
 観測が対象を決定するのではなく、また現実が結果を定めるわけでもない。
 それが知ることができる世界のありさまなのだ。 



・2年前の『トワイライトプリンセス』のとき(http://d.hatena.ne.jp/kodamatsukimi/20061221)も
 やたらと褒めていたのですが
 欠点が少なく良い出来であり
 さらに過去の反省を踏まえ、その時点限りに良くしようとしているものへ
 悪い感想は持ちようがない。

・お金はたくさんもてるから気持ちが良いし
 何をすべきかが型にはまっているから迷うことがない。
 『風のタクト』調のみためも狭い画面で効果的だし
 海を行く箱庭感にも合っている。
 タッチペンでメモができることで、繰り返しの中に工夫を見つけさせてくれ
 謎を解いている気にさせてくれる。

・どれもいちいち念入り丁寧に正しい。
 『夢幻の砂時計』は、DSの2Dアクションアドベンチャーの決定的な出来。
 そう言えてしまうのは、やはり私が
 携帯用ゲーム機は、携帯用に機能を制限されたものでしかない、
 と思っているからであります。
 DSで出来得る限りのものを遊んでもそう思う。だからこそそう思うのです。