今夜はいやほい

きゃりーぱみゅぱみゅの「原宿いやほい」のいやほいとは何か考察するブログ

天変地異をおさめるために、埼玉のかくれ名物、なまずを食べにいく

 

大学生の頃の友人たちと、何もないことにかけては他の追随を許さない埼玉について考察を深める集団を組織している。過去、埼玉という名称の起源を探査するなどの活動をおこなってきた。

 

埼玉県の”さいたま”の起源を探しに真夜中の埼玉へ - 今夜はいやほい

 

定期的に、集まり、酒を飲みながら、我々は何をすべきか!と意気込むのだが、当然、べつに何もすることがないな、という結論になる。驚くほどに毎回何の案も出ないのだ。その何もなさたるや、あてもなく夜の海を泳いでいるかのような茫洋とした感覚をもたらすほどだ。しかし、無為に終わった3回の飲み会を経て、今回ついに話が動いたのだ。

 

ハイボールに焼きとんをつまみつつ「そういえば、昔、なまずが埼玉の隠れ名物って聞いたことあるや」とつぶやくと埼玉について考察を深める集団の構成員の加藤が「あ、なまずといえば、吉川で、吉川駅の前には金色のなまず像が立っているんですよ」と答えた。

 

「何それ、金のなまず像、興味深いね」

 

「最近、地震が多いですし、いっちょう、なまずでも食べましょうか」

 

というような流れで、埼玉の隠れ名物であるらしいなまずを食べに行くことになった。埼玉について考察を深める集団の田中も呼ばれ、途中合流することになった。

 

金色のなまず像からはじまる

 

大雨が降った次の日、武蔵野線吉川駅に集まった。

 

加藤が改札を出てきた。

 

「お、じゃあ、なまず食べに行こうか」と言って駅を出ると、目の前に燦然と輝く金の像が現れた。天気が良かったので陽を照り返し、異様な存在感だった。なまずは目に虚無を湛え、舐めとったらあかんで、というような不遜な表情をしていた。たしかに、うなぎとなまずであれば、なまずのほうが地震を起こしそうな顔だな...と思った。

 

 

二人でパシャパシャと写真を撮る。

 

「なにこれ、思ったよりでかいね!」

 

「そうなんですよ、けっこうインパクトありますよね」

 

「なにか、人間を少し馬鹿にしたような表情をしているね」

 

「はは、そうですね」

 

僕はにわかに興奮をしたが、加藤はすでに見たことがあるらしく冷静だった。

 

初めてきた人間にとってはなかなか異様な光景にうつったが、吉川市民は誰もなまずに気を止めず、みな金の異物を素通りしていった。毎日見ていれば、それはそうなのだろうと思うが、なぜ、こんな色合いにしたのだろうと、しげしげと眺めてしまった。

 

そうだ、そもそも店は空いているのか、昨日となりの越谷市では大雨で避難命令が出ていたわけだし、下手すると浸水などしていて、営業していない可能性があるのではないかと思った。事前に確認しておけという感じだが、そのタイミングまで気がつかなかったのだ。

 

やべ、と思いつつ、歩きながら電話すると、店は無事やっているようだった。なまずは大雨程度には負けないのだ。

 

店は、駅から10分ほどかかるようだ。道すがら、ちょっとした商店があったのでのぞいてみると、なまず御前なる酒が売っていた。この街は、こんなになまず推しなのか。埼玉に住んでいても、ちょっと離れると全然その地域のことを知らないものだ。

 

 

「埼玉でも西と東で結構違うもんだよね」加藤は地理について詳しいので、話をふってみた。

 

「そうですね、特に、この辺りはもともと下総国だったので、文化的にも千葉に近いのかもしれませんね」

 

「なるほど、この辺までくると武蔵国じゃないんだね。千葉の西北のあたりもあまり行ったことないんだよな。あのあたりはなにか興味深いものあるのかな」

 

「そりゃまあ、何かあるんじゃないですか」と加藤は笑った。千葉県民を怒らせそうな会話をしてしまった。

 

埼玉の吉川ではなまずを食べて結納をするらしい

なまずの店、糀屋を予約していた。最初はグーグルマップに従い歩いていたが、途中でそんなものは必要ないことに気がついた。そう、電柱に広告がついていたのだ。ここにもなまずの文字が刻まれている。吉川町を歩いていると100メートルに一度はなまずが目に入るという、得難い経験をすることができる。

 

 

店の看板が見えた。糀屋はなんと創業400年らしい。埼玉県が埼玉県でなかった頃からなまずを売っていたわけだ。

 

「結納ってかいてあるよ」

 

「ほんとですね、この辺の人たちはなまずを食べながら結納するんですね」

 

「すごいね。本当に地に根付いた名物なんだね」

 

 

店に入ると店員さんが迎えてくれた。

 

「あら、こちらから入られたんですね」と言って正門が逆にあるらしいことを教えてくれた。

 

 

瓦屋根の立派な日本家屋だ。大きな絵が廊下に飾られていたりと威厳を感じさせる。広い和室にちょこんと二つテーブルが置いてある。メニューを開くと、なまずづくしコースなるものがあった。生まれて初めて見る文字の並びだ。これしかないと、二人でそれを頼んだ。

 

「そういえば、田中はいつ来るんですか」

 

「あ、えーっと」と言って僕はスマホを見た。

 

「15時くらいらしいよ」

 

「公務員は大変ですね」

 

田中は、前日の大雨の影響で休日出勤をしているようだった。

 

なまずコースの衝撃

 

「なまずってどんな味なの」

 

「そうですね、あんまり覚えてないですけど、たんぱくな白身魚って感じだったと思いますね」「そうなのか、やっぱり川魚っぽいかんじなのかな」と数分話をしていると、すぐに1品目がやってきた。女将さんが、料理の説明をしてくれる。なまずの卵であるらしい。食べると、口の中でぱらぱらになった。感触的には数の子が柔らかくなったような感じで、味的にはさっぱりとしたたらこをあまじょっぱく煮たような感じだった。

 

 

「え、なにこれけっこううまいな」

 

「これはたしかにうまいですね。酒のつまみによいですね」

 

「夜だったら飲むのにな〜」

 

食べ終わるか終わらないかの頃に2品目が来た。

 

「なまずのたたきをあげたものなんです、骨ごと叩いているのでこりこりしていて食感がいいですよ」とベテラン風の店員が説明してくれた。

 

 

かじると、しっかり揚っているので食べ応えがある。かむと、身のふわふわした感じと、骨のゴリゴリした感じが巧妙に組み合わさって、食べたことのない感覚がした。ついになまずの身を食べたわけだが、川魚特有の生臭い感じもなく、ふつうに美味しいというよりも結構いい魚を食べているような感じがあった。そう、なまずはおいしいのだ。

 

皿の下には紫陽花の絵がのぞいている。季節を感じていいなあと思った。

 

会社に入社した頃、先輩と二人で歩いているときに、あ、立葵が咲いてますね、と言ったら「え、きくちくんに花を楽しむという感性があったんだね」と笑われたことを思い出した。そう、僕は、花だって一応楽しむことができる人間なのである。天ぷらも適切に火が通り、柔らかくほろっとして衣と一体化し、美味しかった。

 

 

刺身も、やや旨味は少ないけれど、全く臭みがなく、とても食べやすかった。

 

 

「なに、もしかしてなまずってけっこうおいしいの」

 

「そうですね、けっこう美味しいですね」

 

「なまずで結納するんだねとか言ったけど、これは結納もするよ。謹んで訂正をするよ」と僕はなまずを貶めたことを謝罪した。なまずをこんなにバリエーション豊かに食べられると思っていなかったので、驚いてしまった。

 

 

なまずのマリネが来た。なまずとマリネ、吉川とフランスの出会いである。何と隔たれた世界であろう......適度な弾力の身を酸味が包み、薬味の香りがただよって、おいしい。

 

 

なまずの照り焼き、これは他のものに比べると、なまずにあっていない料理な気がした。米と味噌汁も来て、定食のようにして食べた。味噌汁には、例のなまずの叩きをつみれにしたようなものが浮いていて、やはり少し不思議な食感で美味しかった。

 

 

「田中、これから来るんですよね」と加藤が言った。

 

「そうだね」

 

「吉川に来てなまずを食べないというのも、何をしに来たのか本当に謎な感じではありますね」

 

「そうだな、まあ、主目的は終わっているけど、それはそれで何かがあるかもしれないからね。ていうか、なまず、美味しかったね。こんなおいしいとは思わなかったよ」

 

「さすが400年やってるだけありますよね」

 

食べ終えて、部屋をでた。庭園が現れた。小さいながら、よく手入れされているなと思った。

 

 

現れるなまずの絵。

 

 

正門から店を出た。正門は確かに立派だった。これは結納もするわというかんじである。

 

 

暇だった。そう、とりあえず、吉川に集まってみたのだが、なまずを食べる以外に何の予定も立てていなかったのだ。日差しはきりきりと強い。とりあえず、駅のほうに向かって歩いて行く。大雨の後で、カラッと晴れて、影が色濃く落ちていた。

 

大雨であたりは冠水状態に

 

歩いていると、学校の校庭が雨に沈んでいた。近所の小学生が、自転車で巨大な水溜りをびゅーっと走っていた。分かるぞ、こういう時は、駆け抜けたくなるものだ。ある小学生は、靴を脱いで、水につかりながら鉄棒に寄りかかっていた。自分が小学生だった頃を思い出した。そうだ、たしかに、大雨がふると校庭が沈没していた。

 

 

壁にはなまずのポスターが貼られていた。猫も杓子もなまずである。

 

 

「このあと、どうしよっか」

 

「そうですね、どうしますかね。とりあえず春日部の方にでも向かってみますか」

 

「そうだな...」と言って、スマホでマップを開いた。なまずと検索をしてみると、なまずの養殖場なるものが出てきた。

 

「なんかなまずの養殖場があるよ。やや、歩くには遠いけど」

 

「養殖場ですか? 車を借りてここに行ったら、ちょうど、田中が合流する頃かもしれないですね」

 

 

「じゃあ、とりあえずそこ行ってみようか」

 

加藤は、おもむろにスマホを取り出し、タイムズカーシェアで車を予約した。便利な世の中だ。

 

全てがなまずになる

 

駅の近くに駐車場があるようだ。路肩に謎のオブジェが現れた。丸く湾曲し、先端が細く伸びている。

 

 

僕は直感的に思った「あれって、もしかしてなまず...?」

 

加藤はこちらを向いた。「僕も全く同じことを思いましたよ」

 

「あの絶妙な曲線がなまずを思わせるよね」

 

ちょっと調べてみますねと言って加藤はスマホをいじり始めた。

 

「あれ、月ですね」

 

「月!月か......なまずじゃないのか」

 

僕たちは、吉川にいることでなまずナイズされていて、目に入るものが、やたらとなまずに見えるようになってしまったようだ。

 

なまず養殖場へ向かって

 

車に乗り込んだ。加藤がスイッチを押すと、ウィンとエンジンがかかった。

 

「もしかして、昨日の影響で結構、川増水してるのかな」

 

「見に行ってみましょうか」

 

橋は二つの川が合流するところにかかっていた。水はたぷたぷで、あと一メートルも増水すると、結構危険なレベルの水量だった。この辺りは、川の合流地点で、それで船運で栄えたのかもしれないね、というようなことを話した。

 

 

養殖場は、なまずが優雅に泳いでいるのを見えたりするのかな?と思ったのだが、網が張られ、特になまずは見えなかった。

 

 

もともとは、川でなまずが取れていたらしいのだが、環境の変化とともに取れなくなり、養殖が始まったということらしい。平成に入ってからなので、比較的最近のことだ。養殖だからあれだけ臭みのないなまずが食べられるのだろうなあ。

 

 

「全然見えないね」「そうですね…」とか言いながらなまずがいるらしい養殖場をながめていると、田中から着きます!とLINEが来た。

 

「やば、こここらだと田中のほうが早く駅つきそうだよ」

 

「まあ、田中なら五分くらい遅れたって問題ないでしょう」と加藤は笑っていた。

 

水がたぷたぷの水田を間を車を走らせる。田の中に不思議な木が立っていた。きっと歴史的な何かがあるのだろう。

 

 

10分ほど遅れて、吉川美南駅についた。大雨対策をして徹夜で働いた田中が小走りにやってきた。

 

「仕事お疲れ様、埼玉を守るのも大変だね」と加藤が言うと田中は満更でもなさそうに「いや、まあ、仕事ですからね」と言った。

 

「今日は一体何をしに吉川に集まってるんですか」田中は荷物をおろして後部座席に座った。

 

「吉川はなまずが有名でなまずを食べようということで集まったんだよ」と僕は答えた。

 

「ということはもう食べたということですか」

 

「つまりそういうことだね……」

 

「ええ、それは残念ですね。つまり吉川に来たけど僕はなまずを食べられないということですか!」田中はいきなり核心に迫って来た。

 

「まあ、そうだね…」

 

「まあまあ、なまずの養殖場があるから、それを見に行こう」と加藤はエンジンをかけて、車が動き出した。

 

田中はしきりに「いやあ、残念ですねえ、なまず食べたかったですねえ」とつぶやいていた。

 

「それがね、なんと驚くほどに美味しかったんだよ」僕は思わず感想を述べてしまった。

 

「え、食べたかったなあ。食べたかったなあ」

 

田中になまずが見えないなまずの養殖場をとりあえず見せた。田中は「なるほど」と言って養殖場を眺め、立て看板を読み、そして、することがなくなった。

 

「この後どうしますかね」と加藤が言った。

 

「せっかく田中が来たのにこのまま帰るというのもね」

 

「僕はどこでもいいですけど」

 

「北」と誰かが言った。東に行くと千葉に出てしまうし、南に行くと東京だし、西に行くと越谷に出て、なんとなく行かなくても何があるか分かるなと言う感じだったので、たしかに北に行くのが最適であるように思われた。

 

「じゃあ、松伏で鴨蕎麦でも食べますか。埼玉のこの辺はじつは、宮内庁直営の鴨場もあったりして、鴨がいいんですよ。鴨そばがうまい店知ってますよ」

 

「鴨そばでしめる、それはよい感じだ!」僕はにわかにやる気が出てきた。

 

ということで、埼玉東部を北上し、最終的に鴨を食べるというプランになった。

 

 

埼玉を北へ

 

とりあえず、北へとむかっているわけだが、北には一体何があるのか。ただでさえ何もない埼玉で、あてもなく北上することで一体何があるのか。僕はとりあえず、Googleマップを開き、何かを探すことにした。

 

「何かありました」と加藤が運転しながら聴いた。

 

「何もないね」

 

「そうですね、何もないですね」僕たちは、集まると常に埼玉には何もないという話をしている。

 

そのまま車は北に5分くらい進んだ。

 

広大に暇な風景が広がっている。

 

「なんか、春日部のあたりに、「翔んで埼玉」に出てきたそこらへんの草という何かを援用した、そこらへんの草天丼なるものを売っている店があるよ」僕はスマホでその謎のスーパーを見つけた。

 

「とりあえず、そこ行ってみましょう」と、加藤は春日部を目指した。

 

数十分走ると、そこらへんの草スーパーが現れた。古くからやっている、地元のスーパーであるようだった。

 

 

残念なことに、そこらへんの草天丼は売り切れで売っていなかった。まさか、そこらへんの草はそんなに人気なのだろうか。埼玉県民は撮影無料というポップが立っている。売り切れていて、そこには何もない。しかし、どうやらそこらへんの草は、春日部でちょっとした名物になっているようだった。

 

仕方ないので、半額になっていた春日部プリンを買って食べた。牛乳味が強めのさっぱりしたプリンだった。

 

またスマホを見ていると、マップ上に貝塚という文字が浮かんでいるのを見つけた。

 

「なんか、近くに貝塚があるよ」

 

「ああ、この辺が昔海だった頃の名残ですかね」と田中は言ってプリンを食べた。

 

「なにもすることないし、とりあえず貝塚行ってみるか」

 

「そうですね、とりあえず行ってみますか。鴨食べるにはまだ早いですもんね」と加藤は言ってプリンを食べた。

 

 

車が出発した。春日部を出た。

 

 

徐々に陽も暮れてきていた。

 

加藤が「いやあ、でも誘ってもらってよかったですよ」と呟いた。

 

「なんで」

 

「最近歳をとってきたのか、前ほどどこかに出かけたいという気持ちじゃなくなってきているんですよ」

 

それは僕には衝撃的な発言であった。加藤といえば、ほとんど回遊魚のような人間であり、生きること、それすなわち移動することをテーゼとして、常にそこら中を移動し続けている人間であった。一般的な人間の山手線くらいの感覚で加藤は関東甲信越を移動する人間であった。いかなる財源によってそれが可能なのかは不明だが、月に5回海外旅行に行ったりする人間であった。その、移動人間加藤が、出かけたい気持ちを失ってきているというのである。

 

「やばいよ、コロナで勘が鈍っているんじゃない」

 

「かもしれないですね」

 

僕は、加藤をどこかに連れ出さなくてはいけないのかもしれないという使命を感じるとともに、しかし、人間は結婚をすると、勝手に出掛けられなくなるんだよなという現実に思いを馳せた。

 

 

埼玉の失われた太古の海へ

 

貝塚の近くに、車を止めた。

 

「貝塚っていっても、ただの原野である可能性がありますね」と加藤が言った。

 

「そうだね、見るからに、何もない感じがあるからね。ここまできてなにもなかったら笑っちゃうね」

 

 

とか何とか言いながら、細い農道を歩いていく。あたりを見回しても誰もいない。雲が分厚くなってきている。そろそろ夏も本格化だなという季節だった。Googleマップだと正確な場所がよくわからなかった。どれだどれだと言いながら歩いていると、貝塚は突然現れた。思ったよりもかなり広範囲に貝塚で、一面に大小様々に白い貝殻が散らばっていた。

 

 

「めちゃくちゃ貝ありますね」田中はじっと貝を見た。

 

「こんな、なんの保護もない野ざらし状態なんだね。大丈夫なのか、盗まれないのかなこれ」と僕は思ったのだが、貝は全埼玉県民に配れる分くらいありそうだった。

 

「もっとちょろっとあるだけなのかと思いましたが、すごい量ですね」と加藤は写真をぱしゃぱしゃ撮っていた。

 

「これ、3000年前とかからあるわけだよね、すごいね。ていうかこの辺まで海だったんだな」縄文海進というやつだなと思った。僕は埼玉の田んぼの中で、かつてあった海に思いを馳せた。

 

「埼玉にも海があったんですね......時の流れというのはすごいですね。埼玉県は、看板の一つでも立てないんですかね」と田中は言った。

 

「ほんとだよね、結構なデカさだし、こんな放置していていいのかね」と言いいつ、何千年も野ざらしだったのだから、このままでも全く何の問題もないのだろうなと思った。

 

 

大雨の名残で、貝塚の付近はたくさん大きな水たまりができていた。そのかすかな水に、かつての海を思うのだった。

 

 

古代の海に心奪われ、気がつくとすっかり夜だった。

 

 

 

松伏のそば処桂で鴨を食べる

 

「じゃあ、松伏に行って、鴨食べましょう」と加藤が言って僕たちは、一路、埼玉の南下を始めた。丸々とした月が雲の隙間に煌々と輝いていた。

 

 

15分ほど走ると鴨そばの店が現れた。

 

 

店の前に、鳥インフルエンザの影響で、鴨鍋がありません!という警告が書かれていた。僕たちは、一様に絶句した。午後ずっと鴨を食べる気でいたので、いまさらここで、じゃ、やっぱり、盛り蕎麦でとは行かないのだ。

 

戸を開け、すみません、鴨ってないんですか...?と聞いてみる。

 

店員さんは「あ、もしかして、やっぱり、店の前の看板だと、鴨が全くないような感じがしちゃいますかね、鴨そばでよければありあますよ」

 

僕たちは歓喜に沸いた。鴨を大量に使うタイプのメニューは提供がなくなっているようなのだが、かもそばは大丈夫らしかった。日々、スーパーで、卵が高騰しているのは目にしていたが、確かに言われてみると、鴨も鳥である。予想外ではあったが、運は僕たちを見放してはいないようだった。

 

ということで、皆で、鴨そばを注文する。るんるんで、待つ。この一週間にこの店に来た人間の中で最もるんるんしていたと言っていいだろう。

 

「いやあ、運が良かった」

 

「なまずも食べず、鴨も食べられないはきついですね」

 

「いやあ、よかった!」と三人で話をしていると鴨そばがやってきた。

 

 

この、鴨汁がなんともおいしいのだ。鴨の旨味たっぷりの油がこれでもかと出ており、蕎麦を絡めると、それはもう、大変なことだった。肉は臭みはないけれど、味が濃く、さっぱりした蕎麦にとてもよくあった。

 

 

「なにこれ、めちゃうまいじゃん」と僕は驚いた。

 

「昔、来たことがあったんですけど、やっぱうまいですね。埼玉の東側って、結構鴨を育てているところが多くて、鴨がうまいんですよね」

 

「そうなのか、全然知らなかったな」僕は鴨蕎麦を啜った。

 

「鴨なべも食べてみたいですね」と田中が言った。

 

「鳥インフルエンザの影響がこんなところにも来ているとは予想外でしたね」と加藤は言った。

 

壁には石川遼のポスターが貼られていた。松伏?どこだそこという人のために説明すると、松伏はハニカミ王子なる名で呼ばれたゴルフの石川遼の出身地なのである。

 

そしてなまずへと帰る

 

また少し運転して、すぐ吉川に戻ってきた。車を返却して、駅まで歩いた。

 

「今日は、埼玉についてかなり認識が深まったよ。埼玉は何もないけど、何もないなりに面白いものがあるね」僕は結構満足感があったなと思った。

 

「そうですね、次は何をしますかね。もっと北の方ですかね」

 

「なまず食べられなかったので、また吉川でもいいですよ」と田中がややうらめしそうに言った。

 

話をしていると、突然なまず足湯なるものが現れた。なまずの足湯である。もう何でもありだ。もしかすると、なまず美容室とかなまずコンビニとかなまず金具店とかもあるのかもしれない。浸かっていくか!と駆け寄ると、足湯はすでに湯が抜かれていた。三人で空のなまず足湯を眺めた。妙なおかしさがあった。僕たちはそれからというもの、あまりにも無秩序ななまずの出現に断続的に笑いながら、駅へと帰った。

 

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