堀部安兵衛の碑~見どころの多い中央区新川を散策(最終回):市川海老蔵の実家/南高橋
- 2021/06/10
- 05:44
前回の「日本の標高水準点を見学~見どころの多い中央区新川を散策(5)」では、中央大橋や日本の標高水準点を見学しました。
今回は、「新川散策シリーズ」の最終回として、「堀部安兵衛武庸之碑」まで歩きます。
また、本題に入る前に、市川海老蔵の実家(市川團十郎の自宅)の解体工事について触れます。
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(参考:今までの日本橋地区の散策記事)
日本橋散策については、今までに以下の4つのサブシリーズを掲載してきました。
①「日本橋堀留町・小舟町散策サブシリーズ」:江戸時代に大変賑わい、浅草寺の大提灯にその名を今でも残している「日本橋堀留町・小舟町」散策(3回にわたり掲載)、
②「日本橋人形町二丁目・富沢町散策サブシリーズ」:花街や遊郭の名残を残す「日本橋二丁目・富沢町」散策(3回にわたり掲載)
③「日本橋蛎殻町サブシリーズ」:水天宮や、東京シティエアーターミナルがある「日本橋蛎殻町」散策(2回にわたり掲載)
④「橋梁としての日本橋サブシリーズ」:橋としての日本橋を様々な視点から見た散策(3回にわたり掲載)
今回は、番外編として新川を散策するシリーズの最終回となりますが、今回散策するエリアを掲載します。緑色の部分が散策するエリアになります(下の写真は「新川跡の碑」付近に置かれた地図を筆者が加工したもの)。
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(本題に入る前に:市川海老蔵の実家の解体工事)
本題に入る前ですが、
最近の報道(6月1日付「週刊女性」及び6月9日付「女性自身」)で市川海老蔵の実家が売却され解体工事が行われているとの記事が掲載されています。
既に重機が入り、外壁が取り壊され始めているとのことですが、
目黒区青葉台にある市川海老蔵の実家については、「【青葉台・南平台】市川海老蔵など芸能人・著名人の自宅を探訪~三田用水跡・暗渠散策(5)」で書いたことがありますので、ご参考までにご案内します。
下の写真は、取り壊される前の市川海老蔵の実家(市川團十郎の自宅)と父・市川團十郎(本名:堀越夏雄)の表札です。築60年の古風な家でした。
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(南高橋)
本題に戻り、前回の記事で訪れた「江戸湊の碑」から「南高橋」(みなみたかばし)に行ってみます。
亀島川にかかる「南高橋」です。明治時代の旧両国橋の一部を再利用して造られた、小さいながらも美しい橋です。
竣工されたのは昭和7年(1932年)ですが、本体は明治時代のもので、関東大震災で被災した両国橋(明治37年(1904年)竣工)の3分の1を再利用しています。
この「南高橋」のたもとに、「徳船稲荷神社」(とくふねいなりじんじゃ)という小さな神社がります。
「四谷怪談のお岩の伝承・於岩稲荷田宮神社を参拝~見どころの多い中央区新川を散策(4)」でご紹介した越前松平家の屋敷に祀られていた小さな稲荷が起源とされ、御神体は徳川家の遊船の舳を切って彫られたものと伝えられています。
私が行ったときは、地元の方が清掃をしていました。
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(越前堀の痕跡)
私達は、この「南高橋」を渡らず、新川に留まって北方向に歩いていきます。
八重洲通りと鍛冶橋通りの交差点に「越前堀薬局」があり、
その「越前堀薬局」の前にある植え込みに、東京都第一建設事務所が作った「越前堀の間知石(けんちし)」の説明板がひっそりと置かれています。
建設関係の部局は歴史に関心がないことが多く、再開発の過程で貴重な歴史が失われてしまうことが多々あるのですが、この東京都第一建設事務所は歴史に配慮した仕事をしていて嬉しく思いました。
また、新川で「越前堀」の名前が残っているのは、私の知る限り「四谷怪談のお岩の伝承・於岩稲荷田宮神社を参拝~見どころの多い中央区新川を散策(4)」でご紹介した「越前堀公園」とここの「越前堀薬局」だけです。
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(堀部安兵衛武庸之碑)
「八重洲通り」を先に進むと、右手に『【中央区新川】「全国の旨い素材を集めたレストラン」と「梅花亭」』でご紹介した「シュングルマン」があります(下の写真)。
「シュングルマン」の少し先には、亀島橋と「御船手組」、「河村瑞賢」の説明板があり、
亀島橋を渡ると、右手に赤穂浪士の一人・堀部安兵衛の碑があります(中央区八丁堀1丁目14-7)。
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碑には、「安兵衛が京橋水谷町の儒者細井次郎大夫家に居住した」と書かれており、この八丁堀の地に、堀部安兵衛が住んでいたため建碑したようです。
堀部安兵衛と言えば高田馬場の決闘が有名です。
講談では、八丁堀から10数キロ離れた高田馬場まで走りに走って助太刀に駆けつけたとされていますが、
実際には仕事場のあった加賀町あたり(2キロ程度の距離。現・新宿区)から駆け付けたと言われています。助太刀に10数キロ走るよりもこちらの方が理にかないますね。
なお、「安兵衛」は通称で、本名は「堀部武庸」(ほりべ たけつね)ですが、分かりやすくするため「堀部安兵衛武庸」と書かれていました。
この「堀部安兵衛武庸之碑」の道路を挟んだ向かい側には、「芭蕉の句碑」などが置かれています。
「銀座の柳四世」までありました。
参考記事:「銀座の柳」については、「銀座散策~神社・裏路地巡り(2):銀座の柳/青汁サービススタンド/日本最初の電気街灯建設の地」で詳しく書いたことがあります。
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これで、「【新川】江戸時代の埋蔵金を発見!!~見どころの多い中央区新川を散策(1)」から6回にわたって掲載した「新川散策シリーズ」を終了します。
次回の記事から、日本橋散策の新たなシリーズとして「日本橋小伝馬町・浜町川跡・東日本橋を散策するサブシリーズ」となる予定です。
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