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2008年 12月 20日
これは妄言である。
僕のお客さんも、昔の上司も、Web屋も、そろそろ化の皮が剥げてきた煽り屋の人たちも、人間同士のコミュニケーションから何か新しいものが生まれるということを過度に期待しすぎだということを最近強く感じる。いつも通りの会社の同僚達とのアフターファイブの飲み会からは何も新しいイノベーションが生まれないように、一様なメンバーのたいていのコミュニケーションからは新しいことはほとんど出てこない。単に情感的なやりとり、または事務的なやりとりをして、時間を過ごすことが通常のコミュニケーションだし、それこそが正しいコミュニケーションの王道である。 これは経験に基づく単なる個人的なアイディアの表明に過ぎないのだが、コミュニケーションによって新しいものが生まれるとしたら、(1)知的な努力を惜しむことのない、(2)バックグランドが多様な複数の人が、(3)当該問題について過去の成果を十分に知り尽くした挙げ句、(4)それなりに長い時間の努力を繰り返した後で、(5)偶然行き渡ってコミュニケーションを行うということが必要だと思う。ここ、いいですか。条件が5つも掛け合わさるのだから、確率が非常に低くなるのですよ。なにが言いたいかというと、まさに成功しているオープンソースソフトウェアプロジェクトはこの条件を奇跡的にクリアしているのだ。Linux, FreeBSDしかり、Apache, MySQL, PostgreSQLしかり、Perl, PHP, Python, Rubyしかり、RそしてZopeしかり。 だから、新しい価値やイノベーションを生み出すためには、"The Wisdom of Crowds [http://kashino.exblog.jp/2191378/]"風の事例を見習って、WebのサービスでCGMでチャッチャッと場を生成して…なんて手法が全くダメダメなことは火を見るよりも明らかだ。というか、そういう人たちは烏合の衆のパワーというのを過小評価しすぎていると思う。どんなに巧妙に政府が教育を改革しても、どんなにインテレクチュアルズが啓蒙しようとも、ロジカルな思考方法を烏合の衆に教え込むには何百年もかかるのだ。まあ、日本の場合は政府やインテレクチュアルズが非常にビミョウ極まりないから、一層アウトオブ眼中になっているのが悲しいところなのだが。 ついこの間も、ある人達とミーティングを持ったときにこのような考え方を表明したら、それは悲観的な考え方でもう少し人間の可能性に目を向けたほうがいいと思います的返答を受けたのだが、こちとら、烏合の衆が何か新しい価値を生み出したという歴史的事実も知らなければ、そういう直接的な体験もしたことがない、ましてやランダムネスから価値が生まれるメカニズムを思いつかないので仕方がない。実際、集合知なるものは本の事例でしかみたことがないが、「衆烏合痴」は、2ちゃんねるでもはてブでも発言小町でも、24時間365日、常に生成され続けていることを観察することができる。むしろこれこそが本質だと思うときもあり、それを生み出す無限のソースファンクションに畏敬の念さえ感じる。ちなみに、オープンソースソフトウェアプロジェクトは集合知でもなんでもない。特に有名なプロジェクトがそうなのだが、あれは独創的なリーダーの元で、多くの優秀なプログラマが開発するソフトウェア開発プロジェクトで、たまたまオープンソースで、グローバルにリモート開発をするのが特徴なのだ。 だから、どんなにUIを工夫しようが、コンテンツの書き方に意匠をこらそうが、動画や音を利用しようが、Webのコミュニケーションによって、次世代を形作る何かがてくるなんて期待するのは難しいと思う。特にショッピングやエンターテイメントを少しでも指向しているネットサービスではほぼ絶対無理だろう。だって、知的に努力するインセンティブがない人たちが集まっても、そこに付加価値が生まれるというのはあり得ないからだ。 たいていのコミュニケーションからは何も新しい価値は生まれない。新しい価値が生まれるところにたまたまコミュニケーションがあっただけだ。そのことを間違えてはいけない。
by yutakashino
| 2008-12-20 19:56
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