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『君の名は。』感想と考察(『秒速』『言の葉の庭』『君の名は。』ハッピーエンド論について)

『君の名は。』感想と考察(『秒速』『言の葉の庭』『君の名は。』ハッピーエンド論について)

※本稿には『秒速5センチメートル』『言の葉の庭』『君の名は。』のネタバレあり。
さらに本稿は『秒速5センチメートル』『言の葉の庭』に否定的な発言が多々ありますので、両作品が好きな方はスルーしてください。


どんなに面白い映画でもさすがに三回目ともなれば、冷静に見られるというもの。さて、今度はお気楽気分で拝見いたしますか……。


「み゛づ ば~~~~~~っ!!」
(涙と鼻水まみれ)

という即堕ち2行をかましてしまいました!!! いや~~~『君の名は。』最高じゃないですかっ!!

僕の人生のオールタイムベストに、間違いなく文句なくエントリされました!(『トリコ』の美食家のフルコースに、ひらひらとメニューが追加される感じで)
※ちなみに私のオールタイムベスト、他には、原田知世の『時をかける少女』、アニメの方の『時をかける少女』、『ターミネーター2』などがある……って、全部タイムリープものかよっ!

『君の名は。』は見れば見るほど掘り下げたくなる要素がたくさんあって、例えば彗星が落ちてきた時の音、キイイィィーン!!って金属みたいな音なんですよね、ドカーンじゃないんです(劇中ドカーンは発電所の爆発のみ)
なんでこの音を使ったのか問いたいんですが、印象に残ってるので。映像演出的になにか意図があるんでしょうね。気になる~。

最近、このはてなブログで、
「アニメや漫画なんて嘘の話じゃん、なんでそれで感動できるの?」と煽られた場合の対処法 - かーずSPのはてな
『君の名は。』二回目観てきた(ネタバレあり) - かーずSPのはてな
と立て続けに二回語ってるのにまだ言うかお前って感じですが、まだ言うんです!言い足りないんです!! ってくらい惚れ込んでしまいました。

上のエントリでは映画を見終わった後の自己不全感の話をしたんですが、映画を見て、公式ビジュアルガイドで映画を思い出して、小説 君の名は。、君の名は。 Another Side:Earthboundで咀嚼して、もっかい映画を見て、ビジュアルガイドを(略)と、何度も噛み締めているうちに、ある時、ぱーっと世界が開けて、不全感も吹っ飛んだんです。
こんな美しいモノがこの世に出てきた。これからも出会うかもしれない。なんの不満があるのか、明日は明るいと。そういう前向きな気持を、言葉ではなく身体と心の奥底で理解したんですね。

人生で感銘を受ける作品というのは、音楽、小説、漫画、アニメ、ゲームなど色々あると思うけど、それは人生を生きるエネルギーを与えてくれる。自分にとっては、『君の名は。』はそういう作品になったなあと思う。
â– 
さて、なぜ『君の名は。』が新海誠監督の過去作と比較して飛び抜けているのか。Z会や大成建設のCM、minoriのOPを含めて『ほしのこえ』以降の作品も全部イッキ見するオフ会に行ってきたんですが、改めて『言の葉の庭』以前までの過去作を見た感想は、 「新海さんってほんとにキャラに興味ないんだな」
って思いました。

綺麗な情景と、男女。その1シーンの美しさに命を込めている反面、人物が小道具にしかなってなくて、主人公には友達もいない、女と別れて孤独になろうが、余韻がすべてっていう割り切り方になっていた。

反面、オタクコンテンツの文脈は「キャラクター重視」でできているので、それにどっぷりの僕にはそこが合わなかった。『雲のむこう、約束の場所』も描きたいシチュエーションがあって、そこに人物を配置している感覚。映像美至上主義だなと。

オタク文化だと、例えばそのキャラクターが映像以外のところで、普段は何を考えているのか、好物の食べ物は何か、放課後は何をして過ごしてるのか、休みの日は? パンツの色は? そういう事が想像できるほど血肉が通っているのがキャラクター文化なんだと思う。

だって『秒速5センチメートル』の明里ちゃんが何色のパンツ穿いてるのか、ちっとも想像できんもんね!!

唯一、花苗ってサーファーの子はまだ「水色のパンツ穿いてそう」くらいには妄想できるんだけど、そんな花苗ちゃんは貴樹とくっつかんし! あれだけ気を持たせておいて、なんなのこれっていう。

キャラの魅力でいうと新海誠作品の主人公は男がみんなウジウジしてて、『言の葉の庭』のタカオとか引っぱたいて喝入れたいくらいだった。

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そんな新海誠作品だったのですご~く警戒してたんですが、『君の名は。』は、めっちゃキャラクター重視じゃないですか! いったいどうしたの新海監督? 何か悪いもんでも食べたのかなってくらい。

四葉たちサブキャラの生き生きとした姿をみよ! サヤちんに股ひらいてるところ注意されたり、テッシーたちとバス停をカフェにしたり、無謀な旅行に付いていっては瀧を助けるところか観光で大ははしゃぎしてる奥寺先輩と司、みんな輝いてるじゃん!!

四葉といえば、「口噛み酒をブロマイド付きで売って東京の資金にしよう」って「何言ってんだこのJSは」と思ったんですが、三葉の「酒税法違反」ってところまで、ギャグも大笑い。
キャラ立ちすぎでしょ、OKOK!そうそう、こういうのが見たかったんですよ新海さん!

瀧と三葉の超ポジティブさも気持ちよくて、ウジウジ悩む前に即実行! 「飛騨へ行くぜ!」「東京に彼氏に会いに行ってくる!」 そうそう!!これだよこれ!

新海誠監督が執筆した小説版を読んでも、角川スニーカー文庫じゃないにもかかわらず、めっちゃキャラクター小説になってるんですよ! やれば出来るんじゃない!

キャラに興味がない人が、こんなオモシロJSを生み出すなんてありえないので、この数年で意識改革があったのか、脚本を叩いてる時にいろんな人から言われて気づいたのか、次に新海誠監督にお会いするインタビュアーがいたらこれに切り込んで欲しい。

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今までの新海作品の悪癖だった、「言わんでいい余計なことを言って、関係も雰囲気も台無しにする」って事も今回はなかった。 『言の葉の庭』は他の作品よりもかなり良かったんですが、それでも良い雰囲気で雪野先生と一緒にいたのに、ちょっと言われたくらいで逃げ出して、タカオが階段の踊場で「僕はあなたが嫌いです!」とか、「お前、それ、言うか~~!?」って思わずツッコんでしまいました。

だから『君の名は。』の奥寺先輩と失敗デート後の別れのシーンでも、「僕は先輩が嫌いです!年下の男を弄んでるんだ!」とか瀧くんが言わないかヒヤヒヤものだった(瀧くん、そんなキャラじゃないけど)

ラストもちゃんと相手の名前を訊いてましたよね!?
これ、『秒速5センチメートル』までの新海誠監督だったら、お互い声をかけずに別れてしまって、三葉は他の男とよろしくやって瀧は就活うまくいかずニートになるっていう寝取られエンドですよ! どこの同人CG集や。
というか僕、ラストで階段を登る瀧と降りる三葉のシーンで、もしかして最後に新海誠監督、カマしてくるんじゃないかって覚悟して歯を食いしばってましたからね。新海不信もここに極まれり。
瀧と三葉が出会わなかったら、ここまでハマることはなかっただろう。

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しかし、である。これと同じようなエンディングで、大傑作となった映画があります。実写なんですが先程申し上げた原田知世さんの『時をかける少女』です。

時をかける少女 (1983年の映画) - Wikipediaにてネタバレエンドまで書かれてますが、ラストで和子は、深町くんと廊下で交差して、一瞬振り返るんだけどそのまま歩き去ってしまう。

僕は当時小学生だったんですが、このラストまで含めて拍手喝采、これも一生に残る名作として自分のオールタイムベストなんですけど、この差はどこから来るのか。

僕は大人になってから、現実は辛い事件も救われない現実も多いのだと、数多く見て知ってしまっている。だから創作くらいは、ハッピーで終わってほしいという想いが強くなったのか。
つまり、見る側の変化で、評価も変わったのだろうと。
つまり大人になればなるほど、人生経験も増えてくる中で、ハッピーエンド至上主義になっていくんじゃないかという仮説。

あるいは時代性。『時をかける少女』は高度成長期真っ只中で、アメリカとの経済摩擦も一番強かった頃、日本車が売れすぎてトヨタの車をハンマーで壊す労働者とか日本社排斥運動をTVでやっていたのを思い出します。
この頃は社会の雰囲気もオラオライケイケどんどんなので、現実で成功している分、フィクションでは、結ばれなくても儚い余韻を残す方を選ぶ。現在は経済成長ところか人口が減っていって世の中を不安視する声が蔓延している撤退戦のターン。だから、フィクションには希望を求めるのか。

この2つのうちどちらが正しいのかはまだわかりませんが、自分の感覚的には前者の方が、しっくりくる気がしてます。

■補論
じゃあハッピーエンドならなんでもいいんだろうか。というと、昔アニメで『舞-HiME』っていう、美少女学園アクションが印象に残ってます。
前半は可愛い女の子たちがキャッキャウフフしてたものの、中盤以降、次々に仲良しだったヒロインたちが殺し合うんです、好きな相手を取られた、妬ましい、同性同士で結ばれないからいっそ殺そう、とかいろんな理由で。『魔法少女育成計画』のように鬱展開まった無し。
……なんですが最終話で、なぜか死んだ人間が全員生き返るっていうね……。

ええーーーっ!!と頭の片隅で疑問符が渦巻いてたんですが、最終バトルの熱さに押されるように感動して、ああー良いアニメだったなって今もお気に入りのアニメ……ではあるんですが、この最終話の「なぜ?」だけは頭の片隅に残ったまま、もやもやしたままなのでした。