全国学力テスト 政治的駆け引きのネタで終わらせない

全員参加か抽出か?どうなる全国学力テスト

 民主党が政権を取ることで全国学力テストが抽出調査に変わるだろうと言われている。しかも,そのウラには日教組がいるそうで,日教組が自分たちの保身のために抽出調査に変え,最終的には廃しするんだというようなことも言われている。そうして,全国学力テストを,政治的駆け引きのネタとしてあーだこーだと言っているのは面白いことかもしれないし,耳目を曳きやすいと思う。けれど,そういうネタとして全国学力テストを持ち出すのは止めるべきだ。
 http://benesse.jp/berd/center/open/berd/backnumber/2005_04/fea_ikeda_01.htmlで池田央氏が,

 1957年のスプートニク・ショック以後、ベトナム戦争、公民権運動など、多くの社会的問題を抱えたアメリカは教育の面でもその見直しと改革を迫られていました。教育政策を考える上で、実際の教育の現状を知るための全国的な資料が不足していることを痛感した時の連邦政府教育局長官フランシス・ケッペル(*1)は、カーネギー教育振興協会会長ジョン・ガードナー(*2)の協力の下、かつて進歩主義教育協会(PEA)で有名な「8年研究」での調査実績を持つラルフ・タイラー(*3)を議長に迎えて「教育進捗の評価に関する調査委員会(ECAPE)」を設立しました(1964年)。いくつかの試行的研究の後、それが発展して「全米学力調査(NAEP)」がつくられ、第1回の調査が行われたのは1969年のことでした。
 最初は全国規模の学力調査に対する危惧や反対意見も多く、思い通りの調査とはいかなかったようですが、次第にその必要性が認識され、今日アメリカにおける唯一の国家的学力調査となっています。NAEPの目的は特定個人の学力測定ではなく、アメリカの子どもたちの全体としての達成度を測定することです。それを可能な限り正確に知るため、全国の母集団を代表するサンプルとして有意な数の児童生徒を抽出してテストを実施し、各質問項目について細かく達成度を判定できる仕組みになっています。したがって、生徒個人や学校単位の得点を特定化しアクセスできないようにして、個人や学校のプライバシー保護に細心の注意を払って実施しました。違反には罰則が設けられています。

とアメリカの全国規模の学力調査について紹介している。特に強調したいのは,

NAEPの目的は特定個人の学力測定ではなく、アメリカの子どもたちの全体としての達成度を測定することです。それを可能な限り正確に知るため、全国の母集団を代表するサンプルとして有意な数の児童生徒を抽出してテストを実施し、各質問項目について細かく達成度を判定できる仕組みになっています。

というところだ。日本の全国学力テストはそれとは逆で,まるで「特定個人の学力測定」が目的であるかのように思われている。それは,全国学力テストが悉皆調査である根拠のように捉えられてもいる。日本の全国学力テストはなぜ「子どもたちの全体としての達成度を測定すること」を目的として掲げないのだろうか。
 アメリカのNAEPが抽出調査なのは,「子どもたちの全体としての達成度」を「可能な限り正確に知るため、全国の母集団を代表するサンプルとして有意な数の児童生徒を抽出してテストを実施し、各質問項目について細かく達成度を判定できる仕組み」にするためだ。日本では,そうした抽出調査が妥当な根拠もなく否定されることがある。政治的駆け引きになると,そういうことが平気で行われる。
 また,記事中に

戸惑いは好成績の自治体でも同じだ。小中学校とも3年連続で全国トップクラスだった秋田県は「抽出方式の場合、国全体の傾向は分かっても市町村や学校ごとのくわしい状況は分からない」(県教委義務教育課)とみる。

とある。けれども,池田氏が,

 教育現場からの要望が強く、1990年からは希望する州で「州別NAEP」が実施されています。テストの内容は同じですが、参加するサンプルは全国 NAEPとは別に州単位で独自に選ばれます。全国NAEP用のサンプルは全国統計の推定精度が高くなるように抽出されたもので、人口のばらつきが大きく、それを使って各州の統計値を算出するにはふさわしくないからです。つまり、全国版では仮に人口の多いニューヨーク州で1万人集めたとして、人口の少ないノースダコタやモンタナではその割合にすると数百人程度でよいということになるので、州別のスコアを出すときは、精度がそれでは足りません。したがって、それとは別に、州ごとに必要なサンプル数を確保する必要があります。州別NAEPの結果は全国尺度と共通尺度になるように等化され、全国統計と比較できるようになっています。

と紹介しているように,全国学力テストが抽出調査になり,県別や市町村別などの詳しい調査が必要となれば,それを都道府県や市町村で調査方法を確立し,調査していくことができる。何度も言うけれど,その規模の方が柔軟性もあって調査もしやすい。全国学力テストがなければ地方が困るというのは,それに依存しているだけ。地方は,自分で考えて,必要な調査を行い,それを生かしていくということを地方が独自にやることを模索しても良いし,そうしていくべきだ。
 池田氏は,

 確かに、学力や体力、興味・関心を含む生徒の行動様式といった教育情報は、体力テストにおける100m走のタイムのように明確な測定単位で計量できるケースは稀です。その大半は、測定者が意図的に作成した変数や指標に基づいた尺度によって測定されます。その尺度は無数にあり得るので、結果として現れた一つの数値を唯一絶対的な学力として権威付けるわけにはいきません。
 NAEPが参考になるのは、こうした限界を踏まえているがゆえに、全国(あるいは州)を代表できるように厳密な手続きで抽出したサンプルに対し、できるだけ多くの代表的課題を調査実施することによって、効率的に正確な全体像を把握しようと努めている点です。そのために採用している前述のBIBスパイラルやIRTのような高度の測定技術と理論は日本でも導入を考えてしかるべきでしょう。

と述べている。抽出調査に変えていくべきという主張が,政治的駆け引きのネタでしかないのでそういう主張や議論はあまり出てこない。
 現行の悉皆調査の全国学力テストは妥当性や合理性を追求していない。現行制度の方が政治的駆け引きのネタとして使いやすいからだ。全国学力テストは魔法の杖で,それを使って批判することもできるし批判をかわすこともできる。そういうものから,妥当性や合理性を追求するものへ変えていくべきだ。