不利益や権利の否定という言葉に対する疑問

「子供の権利否定」=藤里町の学テ不参加?秋田知事

 秋田県知事の言う「子どもの権利の否定」というのはどういう意味だろうか。以前,http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20080918/1221676391で銭谷眞美氏が,

「犬山市につきましては、今回の学力・学習状況調査でわかる、例えば、域内の児童生徒が必要な学力を身につけているのか、全国や県内の状況と比べてどうなのか、学習状況や生活習慣等を含めてどこに市としての課題があるのかといったようなことにつきまして、この調査を活用して把握、分析し、施策や指導の改善を図る機会を失うことになるものと考えております。」

と述べたことについて,

犬山市教委が全国学力テストに参加しないことで、「調査を活用して把握、分析し、施策や指導の改善を図る機会を失う」と述べている。この発言は間違っている。何度かこのブログでも指摘してきたが、子どもの学力について把握したければ、クラスごと、学校ごとの学力テストを実施し、それを分析し、対策を講じること。それが基本だ。そして、他の学校や他地域と比較することによって、子どもの学力やその背景にある問題が、地域特有の問題であるのか、個人の問題であるのか、教師の指導の問題であるのかを知りたければ、地域ごとの学力テストで把握することができる。だから、全国学力テストに参加しないことで、犬山市の子どもが不利益を被るということにはならない。

ということを書いた。今回の秋田県知事の発言は間違っている。藤里町が全国学力調査への不参加を決めたことで子どもの権利が本当に否定されるのだろうか。
 全国学力調査は「評価」であり,その核心は「フィードバック」にある。子どもにとって「意味のある評価」は,適切な情報が適切な形でフィードバックされ,それを次につなげていくために必要な取り組みが行われる場合だ。全国学力調査はそういう「意味のある評価」であろうか。また,秋田県知事が全国学力調査の結果を公表したけれど,それは子どもにとって適切なフィードバックであっただろうか。
 全国学力調査の結果の公表の是非をめぐる秋田県知事や大阪府知事などの主張は,フィードバックを重視するものであるとは思えない。フィードバックを重視するならば,どういう情報を子どもにどういう形でフィードバックするのか。それを次につなげる仕組みをどう構築するのか。それを「第一に」考え,議論すべき。フィードバックは教師や学校に任せておけばいいのではない。
 フィードバックが適切に行われるならば,全国学力調査である必要もない。地域ごとの調査でも良いし,学校ごとクラスごとの評価でも構わない。藤里町の決定はそういう方向へ進むことを否定するものではない。
 結果を公表することが目的化し,それでランク付けることが目的化している。全国学力調査はもはや「評価」ではない。