特記訂正

 『名前とは何か なぜ羽柴筑前守は筑前と関係がないのか』(青土社)のp.100に「有職読み」という語が出てくるが、このような言葉は存在しない。これは2006年何者かによってWikipediaに立項され、その内容がいかにもありそうだったため、以後増補が続けられてきたもので、2010年9月9日読売新聞西部版夕刊に、こんなコラムがある。

きょうは52回目の誕生日である。馬齢を重ねるたびに思うのは「民也」という自分の名前のことだ。
 命名の理由を父親に何度も聞いたが、説明があやふやで、結局はっきりしない。これが少年期からのコンプレックスになっている。さらに残念なのは、有職(ゆうそく)読みがさまにならないこと。
 偉人の名を敬意を払って音読みすることだが、例えば藤原定家から二宮尊徳、伊藤博文、現代の吉本隆明まで、テーカ、ソントク、ハクブン、リューメーと呼べばちょっと偉そうで、ずっとうらやましかった。記事にある人名まで有職読みできるかつい考えてしまうほどで、われながら変なあこがれだと思う。

 「矢」とのみあるが民也という名があるので半匿名の記者によるもので「夕影」という題だが、この記者は恐らくWikipediaの記述を信じたものであろう。しかし「故実読み」はあっても「有職読み」はいかなる辞書事典類にもない。調査してくれた人によると、荻生待也『日本人名関連用語大辞典』(遊子館、2008)にのみあったというが、荻生はhttp://ucchiesr39.jimdo.com/この人で、恐らくWikipediaの項目から信じて書いたものと思われる。なお「故実読み」は「菅丞相」を「かんしょうじょう」と読む(本来はじょうしょう)の類である。今後、調査確認を続ける。
(参考)http://d.hatena.ne.jp/tonmanaangler/20110430
 しかし2001年の「2ちゃん」で示されたグーグル検索結果で、当時は何が出たのであろうか。
(付記)角田文衛『日本の女性名』(初版1980)で見つかった。合本(国書刊行会)102p、なんと私が引用した箇所のすぐ後。定子、彰子などをテイシ、ショウシと呼ぶ例を不適当としてから、
「もっとも、歌学の世界などでは、特定の歌人は、音読みされた。俊頼(しゅんらい)、俊成、定家などがそうである。こうした有職読みの典型は、新古今歌人・式子(しょくし)内親王の場合である。当時、定家がサダイへと訓まれたと同様に、式子内親王も、ノリコナイシンノウと呼ばれたのであって、それらは歌人が用いる符丁のような有職読みにすぎず、実際とは違っているのである」。
 角田は、実は国史専門ではない。ユーラシア考古学である。

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内藤道雄(1934- )という京大名誉教授の独文学者の「マグダラのマリアはなぜ娼婦でなければならなかったのか?」(『京都外国語大学ドイツ語学科』2006)を見て、へなへなした。マグダラのマリアは、前に出てくる娼婦とは別で、同一化されてしまった経緯は、荒井献の論文(岩波『マグダラのマリア 無限の愛』に収録)で知っていたが、9pくらいの内藤の「論文」は、まるで新説ででもあるかのように、マグダラのマリアは娼婦とされてきたが、そうではないという説明にその前半を宛て、後半を、グノーシス派の教義を取り入れるためにマグダラのマリアを娼婦にしたのじゃないか、という大した根拠もないことを書いている。2006年だから、荒井論文も出ているが、そんなもの知らないらしく、参考文献にあがっているのは、ドイツ語の聖書大事典(邦訳記載)およびQ資料(邦訳記載)と、グノーシスに関する著作翻訳二冊、黄金伝説と、当時とっくに邦訳があったブーロー&ブーローの『売春の社会史』が英語版で、またやはり翻訳があったリューデマンの『イエスの復活』がドイツ語版で挙げられていて全部で7点。全部邦訳があるので、あまり恥ずかしいからリューデマンとブーローは原書名を挙げたのではないかと思う。最初のほうで、マグダラのマリアを描いた有名な美術作品を挙げておいて、最後に、しかし美術作品の価値に変わりはないと、当たり前のことを書いてお茶を濁している。
 まあ大学院生あたりが書いて教授から叱られるレベルのものだ。
 内藤は割と業績はある方だが、京大名誉教授といっても教養部のドイツ語の先生だ。だいたいドイツ文学者が聖書記述について新説など出せるはずがない。 
 私はしばしば、業績のない東大教授などを批判してきたが、こういうのを見ると、日本人が外国文化についてオリジナリティのある論文など書けないことに苦しんで業績が少なくなる人も、それなりに偉いんじゃないかと思ってしまう。

マグダラのマリア無限の愛

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売春の社会史―古代オリエントから現代まで

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