教育のこととなると母親が買うから

 曽野綾子の『絶望からの出発 私の実感的教育論』というのが、1975年、私が中学一年の時に出て、ベストセラーになったのだが、どうもうちの母も買っていたような記憶がある。私は読んでいなかったので図書館から借りてきて読んでいるが、特に絶望がどうとかいう内容ではない。単に曽野綾子は三浦太郎という、小説の題材にもした、文化人類学者になった息子を育てた経験からエッセイを書いているだけである。

 しかし、教育論となるともう母親は夢中になる。ちょっとしたきっかけでベストセラーになる。最相葉月の『絶対音感』(1998)というのも、単なるノンフィクションで、大して面白くもないのだが、かなり売れた。これは井上章一さんが当時言っていたところによると、子供にピアノを習わせているような母親が、どうすれば子供に絶対音感をつけられるかと思って買ったからだという。まあだいたい、そんなところだろう。

 今井むつみ・秋田喜美の『言語の本質』(2023)というのもやたら売れたが、これも、子供にどうやって言葉を覚えさせるかという教育論として売れたというのが本当のところだろう。しかし曽野の本をちょっと読んで私はバカバカしくなったのだが、子供の能力だの将来というのは、先天的素質でだいたい決っているのである。じたばたするがものはないのである。橘玲や安藤寿康の遺伝についての本を読んだほうが少なくとも読者は正しい事実を教えられるというものだ。

(小谷野敦)

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音楽には物語がある(終)夭折ぎらい  「中央公論」12月号

 以前触れた團伊久磨の『好きな歌嫌いな歌』には、荒井由実(今の松任谷由実)に触れて褒めた章が二つあって、息子のレコードで聴いたと書いてあった。古典音楽家の團がそういうことを書くのは意外だったが、別に若者に媚びたわけではないらしく、ニューミュージックの人が概して好きだったようで、「どうやらほんの数人の優れた人は除いて、殆ど行き詰まっているように見える日本の職業的な作詞家やメロディ・ライター(略)の作る商業主義のべたべたした歌には厭気がさしていて、僕自身の心が、レコード会社の汚れてじめじめした企画室などから生まれたもので無い歌を求めているからだと思う」とあり、荒井由実や上条恒彦の歌をいいと思うが、彼らもそのうち商業主義にからめとられていくのではないか、と書いている。上條はともかく、ユーミンに関してはその通りになった気がする。

 私はユーミンの歌というのは「瞳をとじて」と「春よ、来い」以外は好きではなく、むしろ中島みゆきが好きなほうだが、もちろん全部の歌を聴いたわけではない。若いころ、あまり人気があるので、当時はYou Tubeで試聴することなんかできないから、二枚くらいCDを買ってきて聴いたのだが、全然ダメだった。

 そこで團伊久磨が特に好きな歌としてあげていたのが「ひこうき雲」だったのだが、これはどうも夭折した少年を歌った歌らしい。これも私の苦手な領域である。世の中には、夭折が好きな人というのがいて、私の大学時代の友人でも、30歳になった時に、「夭折するはずだった」なんて言うやつがいて、正気かと思ったものである。

 友人が自殺した、などという話の出てくる小説も嫌いで、村上春樹の『ノルウェイの森』などは二人も自殺しているし、とても受け付けない小説だった。サリンジャーの「バナナ魚日和」という短編について、自殺したのは誰かということを一冊の本に書いて小林秀雄賞をとったのもあるが、私はだいたいこの「バナナ魚日和」が面白いとも何とも思わないし、自殺したのが誰かなんてまったくどうでもいいので、読まなかった。  夭折した文学者や藝術家の好きな人というのもいて、夭折したというだけで好きなんじゃないかと思えるケースすらあるが、私はあまり早く死んだ文学者などは、そんなに若くして死んだのでは中身も大したことはないだろうとか、若い頃のきらめきだけだろうと思ってしまう。樋口一葉なんか24歳で死んだが、確かに「たけくらべ」は名作と言えるかもしれないが、もし一葉が長生きしたら、凡庸な通俗小説作家になっていただろうということを、私は『美人作家は二度死ぬ』(論創社)という小説に書いたことがある。一葉はこないだまで五千円札だったが、福岡伸一の『生物と無生物のあいだ』に、野口英世と並べて、樋口一葉も五千円札になるほどの人物か疑わしい、と書いてあったので、おお、と感動したことがある。

 夭折というのは1970年前後にはやったことがあって、漫画やドラマで難病で死ぬ女が出てきたり、高野悦子の『二十歳の序章』が話題になったりしたもので、ほかにも自殺した原口統三の『二十歳のエチュード』とか、自殺した久坂葉子とか、病死した大宅歩の遺稿とかが割と若者に人気があったりした。自殺というのも人気があるようで、西部邁など、最後は老年に至って妻のあと追いのように自殺したが、50歳のころから、ドストエフスキーの『悪霊』のキリーロフの自殺論に傾倒していた。私はそういう趣味にも、興味はないのだ。

(小谷野敦)

 

倉橋由美子「ポポイ」の顛末

先日、間宮芳生の訃報を見ていたら「ポポイ」という作品名があったので、あっと思って図書館から倉橋由美子の『ポポイ』(新潮文庫)を借りてきたら、まさにそれであった。解説をNHKのラジオディレクター・斎明寺以玖子が書いており、それによると、1987年、伊勢原市に住む倉橋に斎明寺がラジオドラマを委嘱し、ギリシャ語からとったこの作品が書かれ、間宮の音楽をつけて、島本須美、岸田今日子らの配役で7月に放送され(倉橋は小説を書き、ラジオドラマとして脚色されたらしい)、8月の『海燕』に原作は一挙掲載され、福武書店より刊行、しかし福武文庫ではなく、91年4月に新潮文庫に入った。筋は、21世紀、元首相が邸宅で襲われてしかし襲った少年はその場で割腹し、介錯されたがその首は最新科学で生きており、舞という若い女がその「生首」を飼うことになるというもので、『倉橋由美子の怪奇掌編』というなぜかベストセラーになった本の中の「アポロンの首」というのを下敷きにしているとか。

 サロメみたいな話だが私は倉橋のこういう趣味を別に面白いとは思わない。

(小谷野敦)

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呉智英の「美談」

呉智英のどれかの本、『賢者の誘惑』だったかに、三流大学で非常勤講師をした時のことが書いてある。ものすごく難しい話をするぞー、と言って話したが、最後にアンケートをとったら、こんな面白い話は聞いたことがない、というのが多かったという自慢話だが、呉は岡田斗司夫と同じで「口がうまい」つまり香具師的にしゃべるのが上手いから、難しくても面白いと思わせるのである。

 ところが呉はそこから、三流大学の学生はいつもつまらない授業を聞かされているのだと怒りを覚えた、と言う。はて? では一流大学の授業は面白いとでも? 私は東大の英文科へ行って、授業のあまりのつまらなさに厭世的な気分になってあまり大学へ行かなくなった。これは英文科の伝統らしく、里見トンも高山宏も英文科はつまらなかったらしい。

 呉智英といえば、しかし、「学歴差別」をする人として知られているが、もちろんこれは間違いだ。「学歴差別」というのがあるとしたら、能力が高いのに出た大学がバカだから採用しない、といった行為のことで、「日東駒専レベルの学力では心理士試験には受かりません」と言うのは別に差別ではない。生まれつき駒澤大学卒などという人間はいないのだから。

 だから、呉はここで、三流大学の学生への「差別」に怒る自分を描き出して、汚名を返上しようとしたのだろう。つまり、自分を「美談」の主人公に据えたといったところか。そういう「シラカバ派」なことをするあたりが、この人の限界だったなあ。

(小谷野敦)

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荒川洋治は変わっていない

神谷光信さんから「荒川洋治小論ー現代詩・大衆・天皇」を送って貰った。短い評論で『季報唯物論研究』に載ったものだ。しかし神谷さんは文化庁に勤めていた人で、『村松剛』などを書く保守派の人である。

 荒川洋治(1949- )は私が院生になったころ、岩波書店の『へるめす』に「急げ!全集」というエッセイを書いていて、荒川は自分の全集をいずれ出したいが、それは活版印刷で出したいが、今オフセットに押されて活版はそのうち廃れるから急がないと、というもので、面白い人だなと思った。当時から、「詩人」ではなく「現代詩作家」と名のっていたように記憶する。

 次に荒川洋治の名を決定的に脳に刻みつけたのは、94年の詩集『抗夫トッチルは電気を灯けた』の「朝日新聞」の、加藤典洋による書評で、宮沢賢治研究がばかに多い、と宮沢賢治の人気を批判した詩が引用されていて、宮沢賢治を胡散臭く思っていた私は喜んで詩集すら買ってしまった。私が生の詩集(昔の詩人の詩集ではなく)を買うのは珍しいことだった。

 同じ年に私は阪大に勤め始めたのだが、前年から大阪の帝塚山学院大学の講師をしていた中村和恵は、大阪文学学校で荒川に教わって詩集を出したりしていたから、中村からも荒川の話を聞き、翌年だったか古書店で新潮文庫のエッセイ集『ボクのマンスリー・ショック』を買ったら、ストリップを観に行ってあそこがピカピカ光ってきれいだ、わーい、などと書いてあったのでますます好感を持った。

 99年に私は阪大を辞めて東京へ戻ったが、そのころ「朝日新聞」の「ウォッチ文芸」で荒川のエッセイ集を取り上げたことがあり、『夜のある町で』だったか、以後著書を送ってもらえるようになった。

 あとで筑摩書房の山野浩一さんから、荒川はある時期から賞をとるようになったという話を聞いたが、私はきっと異端の人なんだろうと思っていた。

 2005年に、「産経新聞」に連載していた文藝時評をまとめた『文藝時評という感想』で小林秀雄賞をとったが、これは大江健三郎や笙野頼子を批判していたりして、選考委員の加藤典洋から、朝日や読売ではできないと言われたということを読んだ。その時、ああ、産経だから大江を批判したんだな、ということと、笙野を批判していてなぜ罵倒されないんだろうと思ったのと、加藤典洋とは仲がいいらしいな、ということを思った。賞というのは、八割方は政治と人脈でもらうものである。複数の人から、荒川はああ見えて政治家だ、という話も聞いた。

 今度の神谷さんの論考で知ったのだが、『文藝年鑑 2005』の「詩壇概観」で荒川は、詩壇は小田久郎がやっている思潮社の『現代詩手帖』によって覇権を握られている、として、城戸朱里と野村喜和夫を批判したという(もとはイニシャルになっていて、私には誰のことかとんと分からなかった)。

 荒川は最初、平出隆、河野道代と一緒に詩の仕事を始めたというが、のちこの二人とは決裂したようで、平出と河野は結婚した。2004年、平出は伝記『伊良子清白』で芸術選奨文部科学大臣賞と藤村記念歴程賞を受賞したが、荒川は、伊良子清白はわざわざ称揚するほどの詩人ではない、とこの著作を批判した。さらに2008年、前に書いた通り河野道代が読売文学賞を受賞したが、その時の選考委員が平出で、平出はそ知らぬ顔で妻の詩集を推薦し、他の選考委員は平出の妻であることも知らなかったらしい。これを私が『週刊朝日』で批判した。すると筑摩の山野さんから、荒川さんが話したがっているから太宰治賞の授賞式に来てくれないかと言われた。荒川はその年から、加藤典洋に呼ばれたのか太宰賞の選考委員になっていた。それで行くと、別室の喫煙所でスパスパ喫煙しながら、あの読売文学賞はおかしい、というような話をした。平出は翌年、選考委員をやめた。自分の配偶者に受賞した選考委員と、『土偶を読む』を推した選考委員は、翌年辞任するらしい。

 荒川は禁煙ファシズム批判もしていて、その頃出た詩集『実視連星』で、健康増進法をファシズムだと書いていて、私は『中央公論』の書評で取り上げて絶賛した。

 2017年から、荒川は愛知淑徳大の教授になった。学長は島田修三という歌人で、島田修二とは関係ないが、2011年から今日まで13年も学長をやっている。小池昌代さんが盗作のあらぬ疑いをかけられた時、島田は疑いをかけた側に荷担したことがある。そのへんから、荒川は変わってきた。大学は2017年に辞めたらしいが、2019年に藝術院賞を受賞し、藝術院会員になって天皇の前で自作を解説したという。私はふと荒川の新作エッセイ集『過去をもつ人』(毎日出版文化賞)を読んでみたら、昔のような面白さはどこかへ雲散霧消していた。以後は大岡信賞などをとって重鎮になっている。

 だが、荒川がもともと「産経新聞」の文藝時評をやったり、『諸君!』にエッセイを連載したりしていたことを思えば、単に元からそういう人だったのだと考えるべきだろう。しかし詩壇というのも魑魅魍魎跋扈する世界だなあ。

(小谷野敦)

  

レオナルド・ダ・ヴィンチ「ジネーヴラ・デ・デンチ」の肖像

 ウォルター・アイザックソンの『レオナルド・ダ・ヴィンチ』を読んでいたら、レオナルド初期の、あまり魅力的でない肖像画「ジネーヴラ・デ・デンチ」について、これは人妻であるジネーヴラとプラトニックな恋愛で結ばれていた、1475年にヴェネツィア大使としてフィレンツェに赴任したベルナルド・ベンボが依頼した肖像画で、ベンボには妻も妾もいたが、ジネーヴラと強い愛情で肉体関係なく結ばれていたために「当時このような恋愛は高尚なものとみなされ、非難されるどころか詩にも謳われるほどだった。ルネサンス期にフィレンツェで活躍した人文主義者のクリストフォロ・ランディーノは二人の恋愛について「ベンボは恋愛の炎に身を焦がし、その心には常にジネーヴラが宿っていた」と書いている』とあって驚いた。

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キャスリーン・ストック『マテリアル・ガールズ』を読んだ

英国の哲学研究者でレズビアンのキャスリーン・ストック(1972?-)が2021年に著わし、トランス差別的だとして勤務先のサセックス大学を辞職する羽目になったという著書『マテリアル・ガールズ』を読んだ。2024年9月の刊行だが、それまでのアビゲイル・シュライヤーの本や『情況』の時のような炎上騒ぎにはなぜかならなかった。訳者は中里見博で、解説は千田有紀さんである。

 実のところ、これはちょっと難しい本で、というのは、必ずしも一方的にトランス運動家を批判するわけではない、中間派でも狙っているのか、と思われる書きぶりだからだが、千田さんの解説によると、そのように学問的に精緻にトランス理論の欠陥を突いたからこそ「キャンセル」されたのだということになる。

 第五章の最後で著者は、自分はトランスジェンダーの人々を祝福している、と書いて、自分が反トランスでないことを宣言しつつ、次の章で、性別変更について「フィクションに没入している」という独特の解釈をしている。私はカナダ留学中に、演劇の教授から、なぜ観客はそれが芝居だと分かっているものに感情移入するのだろうと聞かされて、今なお疑問だが、これについては心理学的に解決はついているのだろうか。ところでこの「フィクションに没入」のところはトランス運動家に批判されたらしく、訳者解説で中里見が、「性自認」をフィクションだと言っているのではなく、「性別変更」をフィクションだとしているのだとしている。もっとも性自認と性別変更を分離する科学的根拠は不明で、中里見自身がどう考えているのかも分からない。私は性自認もフィクションだろうと思う。(あとで考えたが、ここで「性自認」といっているのは、生物学的性とは違う性のことなんだろうが、もし生物学的性と一致するのまで「性自認」といっているとしたら、「性別変更した性自認」がフィクションだということになる。だがまさか生物学的性と一致した性自認がフィクションだとは誰も思わないだろう)

 最後の部分で著者は、トランス批判的なグループを、ラディカル・フェミニストとジェンダークリティカル・フェミニストに分け、トランス運動に協力しているのを第三波フェミニストとしているが、最初の二つが区別できるのか、その根拠は分からない。その上で、双方に対して、人格否定的な攻撃はやめるよう勧告しているのだが、私にはむしろ問題は行政の動きのほうであり、フェミニスト陣営内での駆け引きではないので、いくぶんピントがずれた提言のように見えた。なので、これは難しい本である。特にドイツやイスパニアでセルフIDが施行されたあとでは、暢気な感じすら与えるし、微温的にすら感じられる。それが、あまり売れていない、アマゾンレビューも二つしかついていない理由だろう。もっとも著者は真面目な人らしく、学者が新規性を追って世間の話題になろうとすることに禁欲的なわけだが、その姿勢自体が、ポストモダンやジュディス・バトラーへの批判になっているともいえる。

(小谷野敦)