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Honda硬式野球部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Honda硬式野球部
チーム名(通称) Honda、ホンダ
加盟団体 日本野球連盟
加盟区分 企業チーム
創部 1960年
チーム名の遍歴

  • 本田技研 (1960 - 2000)
  • ホンダ (2001 - 2006)
  • Honda (2007 - )
本拠地自治体

練習グラウンド 本田技研笠幡球場(埼玉県川越市笠幡)
チームカラー 青色
監督 多幡雄一
都市対抗野球大会
出場回数 37回
最近の出場 2023年
最高成績 優勝(3回)
日本産業対抗野球大会
出場回数  1回
最近の出場 1972年
最高成績 初戦敗退
社会人野球日本選手権大会
出場回数 25回
最近の出場 2024年
最高成績 優勝(1回)
全日本クラブ野球選手権大会
出場回数 ※出場資格なし

Honda硬式野球部(ホンダこうしきやきゅうぶ)は、東京都に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟する社会人野球の企業チームである。練習グラウンドである本田技研笠幡球場は、埼玉県川越市にある。

運営母体は、本田技研工業日本通運とともに、長らく埼玉県の社会人野球をリードするチームであった。

概要

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1960年本田技術研究所のある埼玉県北足立郡大和町で『本田技研硬式野球部』として創部した。

1967年都市対抗野球に初出場する。

1970年10月31日、大和町の市制施行にともない本拠地が埼玉県和光市となる。

1979年日本選手権に初出場し、1985年日本選手権では初優勝を達成した。1996年には、都市対抗野球も制覇した。

2001年、本拠地を和光市から本田技研工業埼玉製作所のある埼玉県狭山市に移転し、チーム名を『ホンダ硬式野球部』に改称した。

2007年、チーム名を英語表記の『Honda硬式野球部』に改称した[1][2]

2009年、13年ぶり2回目となる都市対抗野球優勝を果たした。

2015年日本選手権の決勝では、9回裏途中まで2-1でリードしていたが日本生命に逆転サヨナラ負けを喫し準優勝となった。

2020年、11年ぶり3回目となる都市対抗野球優勝を果たした。

2022年、狭山完成車工場の閉鎖にともない、本拠地を狭山市から寄居完成車工場のある埼玉県大里郡寄居町と小川エンジン工場のある比企郡小川町に移転した。

2024年、本拠地を埼玉県大里郡寄居町・比企郡小川町から、本社所在地の東京都に移転した[3]

設立・沿革

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応援団

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応援団の応援に個性があり、本田技研工業の硬式野球部3チーム共通のチャンステーマ「全開HONDA」は、スタンドを揺らす赤と黄色のうちわとともに奏でられる。

その他にオリジナル攻撃曲として、「ダイナマイトホンダ」「ライトニングホンダ」「ダッシュホンダ」「フルスロットルホンダ」「ボンバーホンダ」などがある。

主要大会の出場歴・最高成績

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主な出身プロ野球選手

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元プロ野球選手の競技者登録

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かつて在籍していた主な選手

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脚注

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  1. ^ チーム情報 2007年 登録・変更情報”. 日本野球連盟. 2017年1月24日閲覧。
  2. ^ チーム名を縦書きにする際には、従来どおりカタカナの「ホンダ」と表記する
  3. ^ “Honda、埼玉から東京へ所属変更 都市対抗野球東京枠は激戦に”. 毎日新聞. (2024年1月11日). https://mainichi.jp/articles/20240111/k00/00m/050/231000c 2024年2月2日閲覧。 
  4. ^ NEWS>本学硬式野球部新監督に堀内尊法氏が就任 ― “人間野球”で目標の日本一へ! - 創価大学(2020年12月14日)2024年1月29日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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