高瀬 (掛川市)
高瀬 | |
---|---|
大字 | |
高瀬の航空写真 (2020年6月16日撮影) | |
北緯34度43分42.73968秒 東経138度2分35.35829秒 / 北緯34.7285388000度 東経138.0431550806度座標: 北緯34度43分42.73968秒 東経138度2分35.35829秒 / 北緯34.7285388000度 東経138.0431550806度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 静岡県 |
市町村 | 掛川市 |
人口情報(2024年11月末日[1]) | |
人口 | 1,037 人 |
世帯数 | 424 世帯 |
郵便番号 | 437-1401 |
市外局番 | 0537(掛川MA) |
ナンバープレート | 浜松 |
ウィキポータル 日本の町・字 ウィキポータル 静岡県 ウィキプロジェクト 日本の町・字 |
高瀬(たかせ、英語: Takase)は、静岡県掛川市にある大字。
地理
[編集]静岡県掛川市の南部に位置する。合併前の旧大東町においては北東部に位置していた。北西から南東にかけて細長い形状の大字である。佐束山が聳えており、北から中央にかけての多くを山林が占めている。東には山林を開墾した茶畑が広がっている。北から南に向かって佐束川が流れており、その周囲には平地が形成され、水田が集まっている。また、高瀬ガーデンヒルのように人家が集まっている場所もある。
集落としては、大部分の領域が「高瀬」を形成しているが、南の一部の領域は隣接する大字である小貫などとともに「小貫」を構成している。集落は地縁血縁等の繋がりや歴史的経緯によって形成されるため[2]、大字とは範囲が異なっているためである。
掛川市の自治区としては、集落としての高瀬は高瀬区を形成しており[3]、集落としての小貫も小貫区を形成している[3]。そのため、自治区としての高瀬区の範囲は、大字として「高瀬」[4]と住所表記される範囲とは異なっている。掛川市では大字別の人口と自治区別の人口を公表しているが[1]、前述の理由により大字としての高瀬と自治区としての高瀬区とでは人口に差異が生じる[1]。なお、かつて雇用促進住宅井崎宿舎であったビレッジハウス井崎も別の自治区として扱われている[1]。
山岳
[編集]- 佐束山
河川
[編集]湖沼
[編集]歴史
[編集]高瀬と呼ばれている地は、かつては遠江国城東郡狭束郷に属しており[5][† 1]、もともとは自然村である佐束村の一部であった。その後、佐束村は高瀬村、小貫村、中方村の3村に分割された[6]。内山真龍の『遠江国風土記伝』によれば、当時の高瀬村の石高は752石7斗3升6合であったとされる[5]。また、八相寺の黒印地が3反12歩[5]、青林庵の黒印地が7畝20歩[5]、とされている。この高瀬村が、のちの高瀬に該当する[6]。
町村制が施行された1889年(明治22年)に高瀬村、小貫村、中方村は再び合併することになり、この地は静岡県城東郡佐束村の一部となっていた。佐束村は土方村と合併することになり、この地は1955年(昭和30年)より城東村の一部となった。1968年(昭和43年)4月1日、高瀬と小貫の2集落により構成される自治区として上佐束区が設置された[7]。
さらに大浜町と城東村が合併し、1973年(昭和48年)4月よりこの地は大東町の一部となった[6]。のちに大東町が掛川市、大須賀町と合併することになり、2005年(平成17年)4月よりこの地は掛川市の一部となった。2006年(平成18年)4月より旧佐束村では各集落ごとに単独の自治区を形成することになり、高瀬区や小貫区などの自治区が発足した[7]。
沿革
[編集]- 1871年 - 城東郡が静岡県に移管。
- 1871年 - 城東郡が浜松県に移管。
- 1876年 - 城東郡が静岡県に移管。
- 1889年 - 静岡県城東郡高瀬村、小貫村、中方村が合併して佐束村を設置。
- 1896年 - 静岡県佐野郡、城東郡が合併して小笠郡を設置。
- 1955年 - 静岡県小笠郡佐束村、土方村が合併して城東村を設置。
- 1973年 - 静岡県小笠郡大浜町、城東村が合併して大東町を設置。
- 2005年 - 静岡県掛川市、小笠郡大東町、大須賀町が合併して掛川市を設置。
世帯数と人口
[編集]2024年(令和6年)11月末日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
高瀬 | 424世帯 | 1037人 |
事業所
[編集]2021年(令和3年)現在の事業所数と従業員数は以下の通りである[8]。
大字 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
高瀬 | 19事業所 | 76人 |
小・中学校の学区
[編集]公立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[9]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 掛川市立佐束小学校 | 掛川市立城東中学校 |
交通
[編集]バス
[編集]道路
[編集]施設
[編集]- 高瀬公会堂
- 高瀬農業構造改善センター[10]
- 高瀬下集会所
- 高瀬ガーデンヒル集会場[11]
- 佐束山公園
- 高瀬ガーデンヒル公園[12]
- 白山神社[13]
- 猿田彦神社[14]
- 伏見稲荷神社
- 八相寺[15]
- 高瀬ガーデンヒル
- ビレッジハウス井崎
その他
[編集]郵便
[編集]- 郵便番号:437-1401[4](集配局:遠江大東郵便局)
警察
[編集]警察の管轄区域は以下の通りである[16]。
番地 | 警察署 | 交番・駐在所 |
---|---|---|
全域 | 掛川警察署 | 大東交番 |
消防
[編集]消防の管轄区域は以下の通りである[17]。
番地 | 消防署・分署 | 消防団分団 |
---|---|---|
全域 | 南消防署 | 大東第五分団 |
脚注
[編集]註釈
[編集]- ^ 今日では「遠江国風土記伝」と表記するのが一般的であるが、1900年に発行された『逺江國風圡記傳』では「逺江國風圡記傳」との表記を用いているため、同書に関する出典表記はそれに倣った。
出典
[編集]- ^ a b c d e 『令和6年11月末日現在掛川市人口・世帯数』。
- ^ 『「農業集落」に関する補足説明資料』1頁。
- ^ a b 「地区・自治区・小区――大東・大須賀区域」『地区・自治区・小区 大東・大須賀区域 - 掛川市』掛川市役所、2020年4月8日。
- ^ a b 「郵便番号・住所」『静岡県 掛川市 高瀬の郵便番号 - 日本郵便』日本郵便。
- ^ a b c d 內山基康著述者相續人『逺江國風圡記傳』郁文舍書店、1900年、472頁。
- ^ a b c 「高瀬村」『高瀬村(たかせむら)とは? 意味や使い方 - コトバンク』DIGITALIO・C-POT。
- ^ a b 佐束センター事務局「佐束地域の概要」『掛川市地域SNS「e-じゃん掛川」::佐束地区センター【公式】 - 佐束地域の概要』掛川市、2011年1月22日。
- ^ 「経済センサス‐活動調査/令和3年経済センサス‐活動調査/事業所に関する集計――産業横断的集計――事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)」『経済センサス‐活動調査 22 静岡県 31 経営組織(2区分)、産業(中分類)別全事業所数及び男女別従業者数-市区町村、町丁・大字 | ファイル | 統計データを探す | 政府統計の総合窓口』統計センター。
- ^ 「掛川市内小・中学校通学区一覧」『掛川市内小・中学校通学区一覧 - 掛川市』掛川市役所、2024年5月1日。
- ^ 「高瀬農業構造改善センター」『高瀬農業構造改善センター - 掛川市家庭の避難計画』掛川市危機管理課。
- ^ 「高瀬ガーデンヒル集会場」『高瀬ガーデンヒル集会場 - 掛川市家庭の避難計画』掛川市危機管理課。
- ^ 「高瀬ガーデンヒル公園」『高瀬ガーデンヒル公園 - 掛川市』掛川市役所、2014年11月21日。
- ^ 「白山神社」『白山神社 - 静岡県神社庁』静岡県神社庁。
- ^ 「猿田彦神社」『猿田彦神社 - 静岡県神社庁』静岡県神社庁。
- ^ 「基本情報」『八相寺 - 曹洞禅ナビー寺院検索― 曹洞宗公式 寺院ポータルサイト』曹洞宗宗務庁。
- ^ 「大東交番」『大東交番|静岡県警察』静岡県警察本部、2024年12月25日。
- ^ 掛川市消防本部編集『消防年報』令和2年版、掛川市消防本部、2021年4月、69頁。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 高瀬農業構造改善センター - 掛川市家庭の避難計画 - 高瀬農業構造改善センターを紹介する掛川市危機管理課の公式ページ
岩井寺 上土方落合 |
子隣 | 中内田 | ||
小貫 | 中内田 | |||
高瀬 | ||||
小貫 | 小貫 | 中内田 中方 |