コンテンツにスキップ

藤堂高成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

藤堂 高成(とうどう たかしげ、1867年3月17日慶応3年2月12日[1])- 1930年昭和5年)10月23日[1][2])は、明治から昭和初期の華族政治家男爵、旧名張領主名張藤堂家(藤堂宮内家)第12代。幼名は憲丸[1]

経歴

[編集]

山城国京都竹内治則の二男として生まれた[1]。1876年(明治9年)2月、旧名張領主の名張藤堂家当主・藤堂高節の養子となり[3]、1893年(明治26年)家督を相続[3]。1914年(大正3年)9月28日、高成に改名した[3][4]

國學院で学ぶ[3]。1894年(明治27年)神宮皇學館の舎監兼助教授に就任[2][3]。1906年(明治39年)9月17日、男爵を叙爵[1]。都市計画中央委員会委員、鉄道会議議員、百五銀行取締役、三重共同貯蓄銀行取締役、日本築造(株)監査役などを務めた[2][3]

藤堂高成の墓(名張市徳蓮院)

1911年(明治44年)7月10日、貴族院男爵議員に就任し(名義:憲丸)[5]、1925年(大正14年)7月9日まで在任[2]。1927年(昭和2年)4月16日に補欠選挙で貴族院議員に再選され[6]、死去するまで在任した[2][7]

昭和5年(1930年)10月23日没。享年64。墓所は名張市徳蓮院。

親族

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成 上巻』145頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』78頁。
  3. ^ a b c d e f 『人事興信録 第8版』ト28-29頁。
  4. ^ 『官報』第655号、大正3年10月6日。
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、20頁。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、36頁。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、38頁。

参考文献

[編集]
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
日本の爵位
先代
叙爵
男爵
(名張)藤堂家初代
1906年 - 1930年
次代
藤堂高伸