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藤原帯子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤原 帯子
第51代天皇后
皇后 (追贈)大同元年6月9日(806年6月28日

死去 延暦13年5月27日794年6月28日
長岡京・木蓮子院
陵所 河上陵
氏族 藤原氏式家
父親 藤原百川
母親 藤原諸姉藤原良継の娘)
配偶者 安殿親王(後の平城天皇
身位 東宮妃
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藤原 帯子(ふじわら の たらしこ/おびこ、生年不詳 - 延暦13年5月27日794年6月28日))は、奈良時代の女性貴族平城天皇の贈皇后(生前は皇太子妃)。父は藤原百川、母は藤原諸姉藤原良継の娘)。藤原旅子桓武天皇夫人、贈皇太后淳和天皇母)の同母妹。

生涯

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皇太子であった安殿親王(後の平城天皇)の妃となるも、平安遷都に当る延暦13年(794年)病没する。子女は無し。木蓮子院(いたびいん・長岡京内邸宅[1])へ運ばれるとすぐに死去したという。大同元年6月9日(806年6月28日)、平城天皇の即位におよび、皇后位を追贈されている。平城天皇はその後、誰も皇后にすることはなかった。

脚注

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  1. ^ 森田悌訳「日本後紀」(上巻)講談社学術文庫、2006年 ISBN 9784061597877 p61 (藤原帯子薨伝 訳者注)