徳大寺忻子
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徳大寺 忻子 | |
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第94代天皇后 | |
皇后 |
嘉元元年9月24日(1303年11月4日) (中宮) |
長楽門院 | |
院号宣下 | 延慶3年12月19日(1311年1月9日) |
誕生 |
弘安6年(1283年) 平安京 烏丸今出川・徳大寺邸 (現:京都府京都市上京区) |
崩御 |
正平7年2月1日(1352年2月16日) |
戒名 | 真実覚 |
氏族 | 徳大寺家(藤原氏) |
父親 | 徳大寺公孝 |
母親 | 藤原喜子 |
配偶者 | 後二条天皇 |
入内 | 正安4年8月23日(1302年9月15日) |
女御宣下 | 正安4年8月28日(1302年9月20日) |
身位 | 女御 → 中宮 |
徳大寺 忻子(とくだいじ きんし、弘安6年(1283年)- 観応3年/正平7年2月1日(1352年2月16日))は、後二条天皇の中宮。太政大臣徳大寺公孝の長女で、母は藤原喜子(内大臣三条公親女)。異母弟に徳大寺実孝がいる。女院号は長楽門院(ちょうらくもんいん)。
生涯
[編集]正安4年(1302年)、2歳年下の後二条天皇の女御として入内。嘉元元年9月24日(1303年11月4日)、中宮に冊立された。しかし、天皇との間に子供はなかった。徳治3年8月25日(1308年9月10日)の後二条天皇崩御の直後に出家して、法名を真実覚とした。延慶3年12月19日(1311年1月9日)、女院号宣下を受けて長楽門院と号する。
観応3年/正平7年(1352年)、70歳で崩御。