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徳大寺忻子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
徳大寺 忻子
第94代天皇后
皇后 嘉元元年9月24日1303年11月4日
(中宮)
長楽門院
院号宣下 延慶3年12月19日1311年1月9日

誕生 弘安6年(1283年
平安京 烏丸今出川・徳大寺邸
(現:京都府京都市上京区
崩御 正平7年2月1日1352年2月16日
戒名 真実覚
氏族 徳大寺家藤原氏
父親 徳大寺公孝
母親 藤原喜子
配偶者 後二条天皇
入内 正安4年8月23日1302年9月15日
女御宣下 正安4年8月28日(1302年9月20日
身位 女御中宮
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徳大寺 忻子(とくだいじ きんし、弘安6年(1283年)- 観応3年/正平7年2月1日1352年2月16日))は、後二条天皇中宮太政大臣徳大寺公孝の長女で、母は藤原喜子内大臣三条公親女)。異母弟に徳大寺実孝がいる。女院号は長楽門院(ちょうらくもんいん)。

生涯

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正安4年(1302年)、2歳年下の後二条天皇の女御として入内。嘉元元年9月24日1303年11月4日)、中宮に冊立された。しかし、天皇との間に子供はなかった。徳治3年8月25日1308年9月10日)の後二条天皇崩御の直後に出家して、法名真実覚とした。延慶3年12月19日1311年1月9日)、女院宣下を受けて長楽門院と号する。

観応3年/正平7年(1352年)、70歳で崩御。