若子内悦郎
若子内 悦郎 | |
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別名 | 若木 ヒロシ、ちの はじめ |
生誕 | 1949年3月30日 |
出身地 | 日本 東京都 港区 |
死没 | 2024年2月27日(74歳没) |
活動期間 | 1960年代 - 2020年代 |
共同作業者 |
ザ・バロン ヤング101 ワカとヒロ |
若子内 悦郎(わかこない えつろう、1949年[1]3月30日 - 2024年2月27日[2])は、日本の歌手。東京都港区芝出身。若木 ヒロシ、ちの はじめという名前でも活動。
来歴・人物
[編集]1967年に清須邦義(元麻生京子とブルー・ファイア)、河内広明(のちの芹澤廣明)らと尾藤イサオのバック・バンド「ザ・バロン」を結成してベーシスト兼ヴォーカリストとして活動した。
ザ・バロンは1969年2月に尾藤から独立して、6月にガールシンガーの鍵山珠里と組んだ「ジュリーとバロン」名義のシングル「ブルー・ロンサム・ドリーム」でレコード・デビューを果たした。その頃、NHKが翌1970年1月からの放送を予定していた新しい音楽番組『ステージ101』のオーディションに合格して、番組の出演グループになるヤング101に加入した[3]。
1970年1月10日から総合テレビでステージ101の放送が開始され、若子内はザ・バロンの他のメンバーと共にヤング101のメンバーとしてレギュラー出演した。ヤング101ではデュークエイセスの創立者でステージ101の音楽監督を務めた和田昭治からヴォーカル・トレーニングを受けた。1972年3月に清須が渡米する為にヤング101を卒業してザ・バロンが解散すると、若子内は番組内で河内とデュオ「ワカとヒロ」(のちに「ワカ&ヒロ」)を結成して、5月に番組オリジナルソング「にくい太陽」(作詞:増永直子/作曲:東海林修)で東芝(エキスプレス)よりレコード・デビューした。さらに10月からはヤング101の他のメンバーと共同で番組の進行役を兼任し、1973年には番組テーマ曲「ステージ101 テーマ'73」を作曲。河内と共に1974年3月31日の最終回まで出演した[注釈 1]。
1975年にワカ&ヒロが解散した後は、ヴォーカリスト、スタジオミュージシャンとして活動。郷ひろみ、谷村新司、浜田省吾、CHAGE and ASKA、吉田拓郎、松田聖子、KinKi Kids等、多くのアーティストのレコーディングやコンサートのサポートを行ったほか、CMソング・テーマパーク・アニメソングなども手がけていた。
『はじめ人間ギャートルズ』のエンディングテーマ「やつらの足音のバラード」(ちのはじめ名義)や、子供向け番組『ひらけ!ポンキッキ』の挿入歌「パップラドンカルメ」の歌唱が、放映当時子供だった世代を中心に比較的よく知られている。
山本正之と似た声質・歌唱のため、誤って同一人物と認識されたこともあった。
1979年には、井上鑑(キーボード、ピアノ、ヴオーカル)、津村康彦(リード・ギター、エレクトリツク・シタール、ヴオーカル)、金田一昌吾(ベース・ギター)、ザ・バロンの同僚だった宗台春男[注釈 2](ドラムス、パーカッション)と「地球の子供たち」名義のアルバム『サンサーラ』[4]を発表。
2024年2月27日、がんのため死去[2][5][1]。74歳没。約2年間、闘病していたという[2]。
同年3月9日、清須らと制作した新曲5曲が収録されたCD『Stay Alive』が発表された。
歌
[編集]- 謎の円盤UFO(1971年、『謎の円盤UFO』主題歌)
- シャドーのテーマ(1971年、『謎の円盤UFO』挿入歌)
- 帰ってきたウルトラマン(1971年、『帰ってきたウルトラマン』主題歌)※東芝から発売のカバー盤。コーラスは少年少女合唱団みずうみ。
- MATチームの歌(1971年、『帰ってきたウルトラマン』挿入歌)※同上。
- サンダーマスク(1972年、『サンダーマスク』主題歌)※「若木ヒロシ」名義。
- 戦え!! サンダー(1972年、『サンダーマスク』副主題歌)※同上。
- ながれ橋(1974年、『大江戸捜査網』エンディングテーマ)
- やつらの足音のバラード(1974年、『はじめ人間ギャートルズ』副主題歌)※「ちのはじめ」名義。
- かぜよふけふけ(1975年4月、『みんなのうた』放送)
- パップラドンカルメ(1978年、『ひらけ!ポンキッキ』挿入歌。キャニオン CX-113)
- かえらなかった時計屋さん(1978年、『ひらけ!ポンキッキ』挿入歌。キャニオン CX-114)
- パナシのうた(『ひらけ!ポンキッキ』挿入歌)
- 地獄のジョー(1980年、『トム・ソーヤーの冒険』挿入歌)
- Take Off!! スーパーGUTS(1997年、『ウルトラマンダイナ』挿入歌)※ピーカブー、MoJoとの合同ユニット「ナイトスキャッツ」名義。
- 竜神まつり起源(2001年、『2001年 運動会用CD』収録)※高尾直樹、比山貴咏史、貝田由里子とともに
コーラス参加
[編集]- 花とみつばち(郷ひろみ、1974年)
- みんないい娘(沢田研二、1980年『BAD TUNING』収録)
- 優しく気づかせて(村瀬由衣、1992年『水曜日の朝、窓を開ける』収録)
- Sons and Daughters 〜それより僕が伝えたいのは(CHAGE&ASKA、1993年)
- サンリオピューロランド関連曲(槙みちる・木戸やすひろ他、1993年)[6]
- 光の舞踏会
- Welcome To Dream World
- The Way To Fairyland
- Village Worker Song
- Hello Kitty
- Party In The Puroland
- Puro Entrance(通称、ピューロマーチ)
- おやすみダーリン(岡本真夜、1997年『Smile』収録)
- 気持ちだよ(吉田拓郎、1999年)
- ヘッドライト・テールライト(中島みゆき、2000年)
- 好きになってく 愛してく(KinKi Kids、2000年)
- 炎のらびりんす オリジナルサウンドトラック(2000年)
- 重き荷を負いて(中島みゆき、2006年『ララバイSINGER』収録)
- GENERATION GAPなんて言わせない!(清竜人、2012年『MUSIC』収録) ※キャストとして参加
作曲
[編集]ディスコグラフィ
[編集]シングル
[編集]- ワカとヒロ(ワカ&ヒロ)
レコード会社 規格品番 発売日 |
面 | 曲名 | 作詞(訳詞) | 作曲 | 編曲 |
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東芝 ETP-2668 '72年5月5日 |
A | にくい太陽 | 増永直子 | 東海林修 | 東海林修 |
B | 神と悪魔 | 増永直子 | 東海林修 | 東海林修 | |
東芝 ETP-2744 '72年10月5日 |
A | 愛する人へ | 岡田富美子 | 東海林修 | 東海林修 |
B | 僕はどこへも行かない | 島津ゆう子 | 東海林修 | 東海林修 | |
東芝 ETP-2813 '73年3月5日 |
A | 想い出の青い空 | A. Hammond, M. Hazlewood(森愛仁霞) |
A. Hammond, M. Hazlewood | 深町純 |
B | 旅に出ようかな | 若子内悦郎 | 若子内悦郎 | クニ河内 | |
東芝 ETP-2893 '73年8月20日 |
A | 聞き違い | 岡田冨美子 | 東海林修 | 東海林修 |
B | 夏の伝説 | 山川啓介 | 河内広明 | 東海林修 |
アルバム
[編集]- ワカとヒロ(ワカ&ヒロ)
- 愛する人へ(EXPRESS/東芝音楽工業、ETP-8206)1972年11月5日
- 想い出の青い空(EXPRESS/東芝音楽工業、ETP-8232)1973年3月25日
- 聞き違い(EXPRESS/東芝音楽工業、ETP-8272)1973年10月5日
- 若子内悦郎
- 私の足音(WA-070722)2007年7月26日
- LUCILLE
- UNCHAINED MELODY
- A WHITER SHADE OF PALE/青い影
- ALONE AGAIN
- You Are So Beautiful
- 紺青の世界
- 愛だけでは
- やつらの足音のバラード
- 旅に出ようかな
- This Boy
- Stay Alive(EW-00α)2024年3月9日
- 面影を愛して
- あいつによろしく
- サーファーガールとダビッドソン
- 24時間 それとも永遠
- Stay Alive
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ NHKホールで収録され1993年8月14日に放映されたNHKの『第25回思い出のメロディー』で、ヤング101の元メンバー16名と共に「涙をこえて」を披露。2002年8月10日に大宮ソニックシティから生中継された『第34回思い出のメロディー』で、元メンバー25名と共に「怪獣のバラード」と「涙をこえて」を披露。「怪獣のバラード」は「怪獣のバラード 2002」としてCD『GOLDEN☆BEST / ステージ101 ヤング青春の日々』(Sony Music House MHCL240-1)に収録された。2003年10月21日夜、22日昼、夜の計3回にわたってBunkamuraのシアターコクーンにて開かれたヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に、元メンバー36名と共に出演して、「恋はフェニックス」をソロで披露し、石岡ひろしのソロにコーラスで参加した。また泉朱子、一城みゆ希、西玲子、山田美也子(以上、五十音順)とともに進行役を務めた。22日夜のコンサートは、後日、BS2で放送された。
- ^ 元ブルー・ファイア、ザ・バロン、ヤング101。ヤング101には1973年4月1日まで在籍した。2005年に病没。
出典
[編集]- ^ a b “【訃報】若子内悦郎さん”. otonano (2024年2月29日). 2024年3月2日閲覧。
- ^ a b c “【悲報】若子内悦郎くんがCD発売前に逝去しました。”. 若子内悦郎公式サイト (2024年2月27日). 2024年2月29日閲覧。
- ^ CD『GOLDEN☆BEST / ステージ101 ヤング青春の日々』(Sony Music House MHCL240-1)ライナーノーツ。
- ^ “Discogs”. 2023年2月18日閲覧。
- ^ “【悲報】若子内悦郎くんが逝去しました(泣)”. Wakaetsu公式Facebook (2024年2月28日). 2024年2月29日閲覧。
- ^ 『シング!シング!サンリオピューロランド』(ライナーノーツ)サンリオ、日本、1993年11月21日、3-17頁。SACV-2048。
- ^ 『みんなでうたおう!キャラクターソング』(ライナーノーツ)サンリオ、日本、1992年8月21日、19-20頁。SACV-2030。
参考文献
[編集]- 風間嵐、『ステージ101について』、2021年、CD『ステージ101 GO! / ヤング101』(CSレコード DQCL 3611-15)
- 土龍団+大池マリ、2001年、CD『ステージ101ベスト』(Ultra-vibe CDSOL-1043/44)