涙をこえて
「涙をこえて」 | ||
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シング・アウトのシングル | ||
収録アルバム | 『愛のつばさを シング・アウトの旅』 | |
リリース | 1969年11月5日 | |
録音 | - | |
ジャンル | J-POP | |
レーベル | RCA/日本ビクター JRT-1044 | |
作詞者 | 作詞:かぜ耕士、作曲:中村八大 | |
チャート順位 | ||
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「涙をこえて」(なみだをこえて)は、かぜ耕士が作詞、中村八大が作曲した楽曲。1969年11月5日にシング・アウトのメジャー・デビュー・シングルとして発売された。「怪獣のバラード」と並んでNHK総合テレビジョンの音楽番組『ステージ101』のオリジナルソングの代表曲でもある。
解説
[編集]1961年4月から1966年4月までNHK総合テレビジョンで放送されたバラエティ番組『夢であいましょう』に数々のヒット曲を提供した作曲家の中村八大は、『夢であいましょう』の演出を手がけたNHKのディレクター末盛憲彦が新たに担当することになった新しい音楽番組『ステージ101』の音楽監督に就任した。末森はアメリカのテレビ番組で観た「ヤング・アメリカンズ」に感銘を受け、ステージ101を彼らのような大人数の若者のグループが歌い踊るショー形式の番組にしたいと考えた。そして、1970年の放送開始に先立ち、1969年の春にレギュラー出演者のオーディションを開始し、既にレコード・デビューしていたグループや歌手、デビュー前の新人などからなるヤング101を結成し、同年6月から番組が始まるまでの約6か月間、中村やNHKが招聘した講師陣による厳しいレッスンを施した。
ヤング101のオーディションの合格者の第一号だったシング・アウトは、レッスンの合間を縫って、同年7月25日にヤマハ音楽振興会が開催した音楽コンクール『第1回合歓ポピュラーフェスティバル'69』に出演し、中村が放送作家のかぜ耕士と共作[注 1]した本曲を披露した。その結果、本曲は伊東ゆかりの「青空のゆくえ」と共に作曲グランプリを受賞した[1][注 2]。同年11月5日、本曲を収録したデビュー・シングル(日本ビクター=RCAレーベル[注 3])が発売され、シング・アウト最大のヒットとなり21万枚を売り上げた。本曲はフジテレビの歌番組『フジテレビ今週のヒット速報』の東海地区ランキングで8週にわたりランクインしたが、同番組のリハーサルの時間帯がヤング101のレッスンのスケジュールと被っていたことと、NHKが「他局の歌番組にシング・アウトを出演させない」という方針を決定したため、彼らは同番組には一度も出場できなかった。
末森らは、『夢であいましょう』と同様にステージ101でも番組オリジナルソングを披露したいと考えていた。シング・アウトはヤング101のメンバーとして、1970年1月10日の第一回放送から本曲をステージ101のオリジナルソングとして披露した[2]。彼らが志向性の違いから[3]1971年4月3日にヤング101を卒業した後も、本曲は番組で歌い続けられてステージ101の代表曲の一つとなった。1974年3月31日の最終回では、ヤング101が本曲を歌い終わるとともに、番組に幕が下ろされた。そのシーンはNHKアーカイブス施設で視聴できる。その後も、ヤング101の元メンバー達によって様々な機会で披露された[注 4]。
現在では小中学校で合唱曲として歌われており、卒業式に歌われることもある。2005年にNHKが実施した「スキウタ〜紅白みんなでアンケート〜」で紅組74位にランクインされた。
2006年に教育芸術社の中学1年生向け音楽教科書に掲載された[4]。
2013年のNHK『第45回思い出のメロディー』では、エンディングでほぼ全ての出演者が合唱した。
フジテレビのバラエティ番組『めちゃ×2イケてるッ!』において、「めちゃイケ新メンバー全国4大都市オーディション」が行われた2010年秋前後より、番組内のBGMとして多用されている。その流れから、2011年7月24日にフジテレビ系列にて放送された、「めちゃ―」をベースにした長時間特別番組『FNS27時間テレビ めちゃ×2デジッてるッ! 笑顔になれなきゃテレビじゃないじゃ〜ん!!』のエンディング直前において、主要出演者が合唱した。この年の27時間テレビは東日本大震災からの復興も主要なテーマの一つであった。
収録曲
[編集]- 涙をこえて[注 5]
- 朝日の中でさようなら
カバー
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
- ザ・ワイルドワンズ
- 2001年発売の11枚組CD-BOX『ザ・ワイルド・ワンズ CD BOX ~Anniversary of Record Debut 1966〜1971』に収録。
- ヤング101
- 1971年4月5日発売のLP『ステージ101』(EXPRESS ETP-8069)収録。
- トリプルピアノ
- 田中星児[注 6]
- 1983年発売のシングル『ジャスト・ハッピー・デイ』B面曲。
- 美歌[注 7][5]
- 2012年発売のシングル「Tears ~な・み・だ~」に収録。
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脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『夢であいましょう』で数々のヒット曲を中村と共作した永六輔は海外出張中であったので、かぜが作詞を担当した。
- ^ 1969年7月25日のグランプリ受賞の実況がアルバム『The World Music Festival』(Yamaha YS-1001)とCD『GOLDEN☆BEST / ステージ101 ヤング青春の日々』(Sony Music House MHCL240-1)に収録された。
- ^ 現:ソニー・ミュージックレーベルズ アリオラジャパン
- ^ NHKホールで収録され1993年8月14日に放映されたNHKの『第25回思い出のメロディー』で元メンバー17名が披露。2002年8月10日に大宮ソニックシティから生中継された『第34回思い出のメロディー』で元メンバー26名が披露。2003年10月21日夜、22日昼、夜の計3回にわたってBunkamuraのシアターコクーンにて開かれたヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』で元メンバー37名が披露。22日夜のコンサートは、後日、BS2で放送された。2016年3月6日放送の『新・BS日本のうた』(NHK BSプレミアム)の『あの歌に再会』のコーナーで元メンバー16名が披露。
- ^ CD『GOLDEN☆BEST / ステージ101 ヤング青春の日々』(Sony Music House MHCL240-1)に収録。
- ^ 1970年10月31日にヤング101の新メンバーの一人としてステージ101に初出演。番組最終回の1974年3月31日までヤング101に在籍。
- ^ ジャズシンガー。ミュージカル女優。湖東美歌の名前で1973年4月8日にヤング101の11名の新メンバーの一人としてステージ101に初出演。番組最終回の1974年3月31日までヤング101に在籍。
出典
[編集]- ^ 合歓ポピュラーフェスティバル'69 ヤマハ音楽振興会 2020年10月16日閲覧。
- ^ https://www.nhk.or.jp/archives/hakkutsu/news/detail206.html
- ^ CD『ステージ101ベスト』(Ultra-vibe CDSOL-1043/44)ライナーノーツ。
- ^ 『歌い継がれる名曲案内 音楽教科書掲載作品10000』日本アソシエイツ、2011年、168頁、489頁。ISBN 978-4816922916。
- ^ https://www.mikabrand-song.com/pages/2293394/biography
参考文献
[編集]- 土龍団、『シング・アウト物語』、2001年、CD『愛のつばさをーシング・アウトの旅ー/シング・アウト』(BMG、BVCK3708)
- 土龍団、2001年、CD『アニタ・カー、ヤング101、ピコ+3』(BMG、CDSOL-1895)
- 土龍団+大池マリ、『番組概要』、2001年、CD『ステージ101ベスト』(Ultra-vibe CDSOL-1043/44)
- 風間嵐、『ステージ101について』、2021年、CD『ステージ101 GO! / ヤング101』(CSレコード DQCL 3611-15)