的場町 (広島市)
表示
的場町 | |
---|---|
広島電鉄皆実線的場町電停 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 広島県 |
市町村 | 広島市 |
区 | 南区 |
人口 (2018)[1] | |
• 合計 | 664人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
732-0824 |
的場町(まとばちょう)は、広島県広島市南区の町名。現行行政地名は的場町一丁目及び的場町二丁目。郵便番号732-0824(宇品郵便局管区)。住居表示実施済み[2]。
地理
[編集]南区西北部、猿猴川の南西岸に位置する。猿猴川を跨いだ北で松原町、同じく猿猴川を跨いだ北東で猿猴橋町・西荒神町、東の猿猴川上の一点で西蟹屋、南で段原、南西で金屋町・松川町、西で稲荷町、北西で京橋町と隣接する。太田川下流の三角州にあたり、全体に低地である。広島駅南側にかかる市街地の一部を形成する。
河川
[編集]歴史
[編集]もと段原村の一部であって猿猴川の西堤筋を云う[3]。町名の由来は、昔源蔵という者が此所に住み、的を造ることを業としていたため此名があるという[3]。1882年1月、段原村より分割して一町となった[3]。
この節の加筆が望まれています。 |
人口統計
[編集]1925年末の現住戸数・現住人口は307戸、1182人[4]。2018年6月末現在の人口は664人、世帯数は471世帯[5]。
町名 | 人口 | 世帯数 |
---|---|---|
的場町一丁目 | 308 | 199 |
的場町二丁目 | 356 | 272 |
計 | 664 | 471 |
交通
[編集]鉄道
[編集]バス
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
道路
[編集]- 広島県道164号広島海田線(相生通り・あけぼの通り)
- 広島県道37号広島三次線(比治山通り)
- 駅前通り
施設
[編集]出身・ゆかりのある人物
[編集]- 石本秀一(プロ野球監督、アマチュア野球選手)
- 岩田久次郎(呉服)[6][7]
- 大谷競(官吏)[7]
- 加藤春来(陸、武官)[7]
- 新見新吉(乾物商)[7]
- 谷田四郎(家主)[8]
- 谷田助一(綿糸業)[7]
- 津田正一(呉服商)[8]
- 野村省一(内科医)[9]
- 野村守夫(洋画家)
- 松村眞道[8]
- 吉松好太郎(材木)[6]
脚注
[編集]- ^ 広島市 人口,世帯数(町丁目別) 2018年8月9日閲覧。
- ^ 住居表示の実施区域と未実施区域 広島市 2018年8月9日閲覧。
- ^ a b c 『広島市史 第4巻』172頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年9月11日閲覧。
- ^ 『広島市統計年表 大正14年(第21回)』28頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年9月11日閲覧。
- ^ 住民基本台帳による町丁目・大字別人口及び世帯数-広島市、2012年8月21日閲覧。
- ^ a b 『商工資産信用録 第33回 中国四国版』広島1-56頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月29日閲覧。
- ^ a b c d e 『日本紳士録 第24版』広島1-38頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月28日閲覧。
- ^ a b c 『日本紳士録 第43版』広島1-30頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月29日閲覧。
- ^ 『広島県紳士録 昭和8年版』49頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年9月11日閲覧。
参考文献
[編集]- 交詢社編『日本紳士録 第24版』交詢社、1919年。
- 広島市編『広島市史 第4巻』広島市、1922年-1925年。
- 広島市編『広島市統計年表 大正14年(第21回)』広島市、1927年。
- 『商工資産信用録 第33回 中国四国版』商業興信所、1932年。
- 『広島県紳士録 昭和8年版』西日本興信所、1933年。
- 交詢社編『日本紳士録 第43版』交詢社、1939年。