京橋町 (広島市)
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京橋町 | |
---|---|
国 | 日本 |
都道府県 | 広島県 |
広島市 | 南区 |
人口 | |
• 合計 | 667人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
732-0828 |
京橋町[2](きょうばしちょう)は、広島県広島市南区の町名。住居表示実施済み。丁番の設定がない単独町名である。郵便番号は732-0828(宇品郵便局管区)。
地理
[編集]広島駅から猿猴川を挟み南側に位置し、西側には京橋川を挟んで中区と隣り合っている。
歴史
[編集]初代広島城主毛利輝元時代から由緒ある町である[2]。毛利氏在城の時、たびたび京に入覲した[3]。往復し、通り過ぎる所の郭門を京口門と称し、橋を京橋と称した[3]。町名はその橋名に起因する[3]。1880年1月、段原村の内2段6畝5歩を当町に属した[3]。
地名の由来
[編集]町内にかかる京橋より名づけられた。京橋がかかる川は京橋川と呼ばれる。
人口
[編集]1925年(大正14年)末の戸数・人口は、198・884[4]。2017年(平成29年)10月末の世帯数・人口は、424・667[1]。
経済
[編集]店舗・企業
[編集]コンビニエンスストア
[編集]旅館・ホテル
[編集]- アパホテル 広島駅前大橋
- 広島グランドインテリジェントホテル
金融機関
[編集]- 広島市信用組合 駅前支店
商工業
[編集]『日本紳士録』によると、京橋町の商工業者は、かつて以下の人物が存在した。
- 河村重一(陶器商)[5]
- 島本卓郎(雑貨商)[5]
- 島本幸助(呉服商)[5]
- 島本幸助(島本商事代表社員)[6]
- 重住新助(呉服商)[5]
- 重住元吉(呉服商)[5]
- 菅野直次郎(すげや、呉服商)[6]
- 隅田毎夫(和洋紙商)[5]
- 田中源次郎(呉服太物商)[5]
- 谷本音次郎(医療理化学器商)[5]
- 谷本芳樹(医療器械商)[7]
- 坪井信吉(乾物[5]、漬物商[7])
- 土井精一(太物商)[5]
- 土井松次郎(呉服太物商)[5]
- 新見清次郎(肥料素麺商)[5]
- 野村揚太郎(酒造業)[5]
- 保田七兵衛(醤油製造業)[5][6]
- 保田八十吉(醤油醸造業)
- 松井亮吉(酒造業)
- 三戸ミネ(砂糖商)[5]
- 福永榮次郎(自転車商)[5]
- 横山庄助(足袋製造業)[5]
- 米田榮次郎(株式取引員)[5]
- 吉田乙一(紙商)[5]
- 吉村恒吉(旅館、料理業)[5][8]
- 和田佐太郎(布袋屋砂糖商)[5][6]
- 和田又一(砂糖麦粉商)[5]
かつて存在した企業
[編集]地主、家主
[編集]地域
[編集]教育
[編集]- KATEKYO学院広島駅前校
健康・医療機関
[編集]- 新井内科
- 河村歯科クリニック
- 京橋心療クリニック
- 佐々木内科クリニック
- 心身健康センター
- すぐる歯科
- タマガワ矯正歯科クリニック
相談
[編集]宗教施設
[編集]かつて存在した施設
[編集]交通
[編集]鉄道
[編集]町内に鉄道駅はないが、JR西日本 広島駅(山陽新幹線・山陽線・可部線・芸備線・呉線)、広島電鉄本線 稲荷町電停などが徒歩圏内にある。
出身・ゆかりのある人物
[編集]政治・経済
[編集]- 島本幸助(広島県多額納税者、呉服商)[5]
- 島本幸助(広島県多額納税者、島本商事代表社員、広島株式取引所常務理事、前名は圭一)[6]
- 保田八十吉(広島県多額納税者[13]、銀行家・第百四十六国立銀行頭取、資産家[14]、大地主、広島市会議員、醤油醸造業) - 保田家は縄屋という家号の商家で、広島市第一流の門閥家である[13]。八十吉は縄屋の分家(新宅)の3代目である。
- 保田大吉(酒・醤油醸造業、谷口印刷、宮島ホテル各監査役)
- 松井亮吉(広島県多額納税者、酒造業)[5][8] - 祖先の松井伊右衛門が豊田郡小田の荘より出て寛永年間広島に創業した酒造業を継いだ[8]。
- 藤田一郎(実業家) - 藤田組(現在のフジタ)創業者。24歳の頃、弟の定市とともに土木建築請負業を始めた地が台屋町(現在の広島県広島市南区京橋町)だった。
学術
[編集]- 大和菊代(女子専門教授)[6]
医療
[編集]文化
[編集]芸能
[編集]その他
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 人口、世帯数(町丁目別)、広島市公式サイト。
- ^ a b 『広島史話伝説 第3輯(広島城下・周辺の巻、(続)己斐の巻)』105頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月25日閲覧。
- ^ a b c d 『広島市史 第4巻』172頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年5月7日閲覧。
- ^ 『広島市統計年表 大正14年(第21回)』28頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年5月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 『日本紳士録 第28版』広島1 - 34頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年10月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『日本紳士録 第44版』広島1 - 28頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年10月20日閲覧。
- ^ a b c d e 『日本紳士録 第40版』広島1 - 28頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月2日閲覧。
- ^ a b c d e 『広島県紳士録 昭和8年版』1 - 101頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年9月4日閲覧。
- ^ a b c d e 『日本全国諸会社役員録 第44回』下編424頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年1月1日閲覧。
- ^ 『広島県下役員録』2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年2月14日閲覧。
- ^ a b c d 税理士情報検索、税理士情報検索サイト。
- ^ a b 司法書士検索日本司法書士会連合会公式サイト。2020年9月17日閲覧。
- ^ a b 『広島県紳士名鑑』125頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年9月27日閲覧。
- ^ 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年9月1日閲覧。
参考文献
[編集]- 佐古豊次郎編『広島県下役員録』広島独立通信社、1909年。
- 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
- 『広島県紳士名鑑』国民教育普及社、1917年。
- 広島市編『広島市史 第4巻』広島市、1922年-1925年。
- 交詢社編『日本紳士録 第28版』交詢社、1924年。
- 広島市編『広島市統計年表 大正14年(第21回)』広島市、1927年。
- 『広島県紳士録 昭和8年版』西日本興信所、1933年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第44回』商業興信所、1936年。
- 交詢社編『日本紳士録 第40版』交詢社、1936年。
- 交詢社編『日本紳士録 第44版』交詢社、1940年。
- 都築要『広島史話伝説 第3輯(広島城下・周辺の巻、(続)己斐の巻)』郷土史研究会、1969年。
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