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田中千絵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
たなか ちえ
田中 千絵
田中 千絵
田中 千絵(2009年6月撮影)
別名義 田中千繪
田中千绘
Tiánzhōng Qiānhuì
生年月日 (1981-08-17) 1981年8月17日(43歳)
出生地 日本の旗 日本東京都
職業 女優
ジャンル テレビ、映画
活動期間 1994年 - 現在
著名な家族 トニー・タナカ
事務所 アミューズ
公式サイト 公式ウェブサイト
主な作品
映画
海角七号 君想う、国境の南』(2008年

テレビドラマ
美少女H』(1998年
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田中 千絵(たなか ちえ、1981年8月17日 - )は、東京都出身の女優。別名:田中千繪田中千绘Tiánzhōng Qiānhuìアミューズ所属。父はトニー・タナカ

人物・略歴

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松蔭高校玉川大学出身。1998年美少女H』(フジテレビ)でデビュー。1999年から2000年の「東京電話」CM『寺内貫太郎一家』の娘・静江役で体操着にて出演。

2006年6月台湾へ渡り、国立台湾師範大学中国語を学ぶ。2008年8月に公開され、台湾歴代映画興行ランキング1位になった台湾映画『海角七号 君想う、国境の南』では范逸臣と共に主演を務めた。2008年12月3日、台湾Yahoo!による世論調査「2008年台湾マン・オブ・ザ・イヤー」において陳水扁王永慶に次ぐ3位となった[1]

2012年内閣府から「世界で活躍し『日本』を発信する日本人[2]の一人に選ばれた。

人物

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日本の芸能界に身を置いた10年間は、自分には特徴がなかったと感じていた[3]。自分の実力で仕事をしたいという思いだけで、2006年、単身で台湾へ渡る[3]。台湾においては、師範大学で北京語を学ぶ。当初、「北京語を完璧にマスターすること」「そのために日本人の友人をつくらない」、この2つを自らに課していた[3]

台湾に渡った後の1年以上、先が見えない生活を過ごすが、無名の田中に転機が訪れる。台湾生活の悩みをつづっていた田中のブログを見た映画監督、ウェイ・ダーションから、映画『海角七号 君想う、国境の南』のヒロインに抜擢される。当時台湾映画界は、1998年以降の映画不況の真っただ中で10年間ヒット作がなく、この映画の撮影も資金難に遭遇し、2度撮影が中断した。しかし、田中は資金集めに協力し、スタッフと一緒になりスポンサーに頭を下げて歩いた[3]。その後『海角七号 君想う、国境の南』は、2008年に公開されると、台湾映画史上におけるNo.1の興行収入を達成する大ヒットを飛ばし[3]、台湾版アカデミー賞といわれる金馬奨において、10部門がノミネートされ6部門が受賞する快挙を達成した[3]

近況としては、中国電影集団の会長で『レッドクリフ』のプロデューサーでもあるハン・サンピン(韩三平)が、2010年公開予定の映画『愛情36計』の主演に、田中を指名している[3]

出演

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映画

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テレビドラマ

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テレビ番組

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CM

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MV

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イメージガール

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脚注

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  1. ^ 2008十大發燒新聞人物第三名:田中千繪”. YAHOO!新聞 (2008年12月3日). 2010年8月10日閲覧。
  2. ^ (japanese)『世界で活躍し『日本』を発信する日本人 プロジェクト』(pdf)(プレスリリース)内閣府国家戦略室、2012年9月http://www.npu.go.jp/policy/policy09/pdf/20120918/20120918.pdf2013年1月21日閲覧 
  3. ^ a b c d e f g 「世界を変える100人の日本人! SP」インタビュー, テレビ東京 2010年1月15日放映

外部リンク

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