沼春雄
沼 春雄 七段 | |
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名前 | 沼 春雄 |
生年月日 | 1949年3月23日(75歳) |
プロ入り年月日 | 1975年7月29日(26歳) |
引退年月日 | 2009年3月31日(60歳) |
棋士番号 | 121 |
出身地 | 東京都杉並区 |
所属 | 日本将棋連盟(関東) |
師匠 | 佐瀬勇次名誉九段 |
段位 | 七段 |
棋士DB | 沼 春雄 |
戦績 | |
通算成績 | 303勝517敗(0.3695) |
竜王戦最高クラス | 5組 |
順位戦最高クラス | C級1組 |
2016年9月11日現在 |
沼 春雄(ぬま はるお、1949年3月23日 - )は、将棋棋士。2009年、引退[1]。佐瀬勇次名誉九段門下。棋士番号は121。東京都杉並区出身。
棋歴
[編集]9-10歳の頃、隣の工場で昼休みに指されていたのを見たのが将棋を覚えたきっかけ[2]。1965年第1回高校選手権優勝。翌年の第2回では団体優勝[3]。
旧制度の奨励会三段リーグ(奨励会A組)で、制度終了の1973年度後期まで5期・2年半を戦う。この間、1972年度前期には10勝2敗で関西優勝(関西で戦ったのはこの期だけ)をするが、関東優勝の宮田利男との東西決戦で敗れ、四段昇段を逃す。リーグ廃止後、1975年7月に12勝4敗の成績で四段昇段(プロ入り)。ちょうどその頃、名人戦・順位戦で主催者移行によるブランク期間があり、順位戦再開まで待たされた。
第17期(1976年度)王位戦では挑戦者決定リーグ入り。内藤國雄、花村元司に勝つが敗退。
第18期十段戦(1978 - 1979年)の予選で、坂口允彦、森雞二、剱持松二、石田和雄、土佐浩司を破って勝ち上がり、難関の十段リーグ入り[4]まであと1勝とするが、予選決勝で勝浦修に阻まれる。
第14回(1980年度)早指し将棋選手権で本戦で初めて2勝するが、3回戦でまたしても勝浦に敗れる。
第47期(1988年度)C級2組順位戦で8勝1敗(1敗の後に8連勝)で最終局を迎え、自力昇級の権利があったが、小林宏に痛恨の黒星を喫し、2敗で7位。このとき、沼の敗戦による逆転昇級者は、同じく8勝2敗の佐藤康光。しかし、翌第48期(1989年度)C級2組順位戦の最終局で中川大輔に勝ち、8勝2敗ながらも前期の好成績が利いて(リーグ表順位で上位のため)3位の成績で初の昇級。C級1組の棋士としての新年度の始め(1990年4月1日)には41歳になっていた。しかし、上がったばかりのC級1組で2期連続の降級点を喫し、C級2組に陥落。以降の成績は不振に終わった。
棋風
[編集]基本的には居飛車党で、相手も居飛車ならば矢倉、相手が振り飛車ならば相手が穴熊であるか否かによらず、急戦形を指す。時折四間飛車、向かい飛車などの振り飛車も指す。
渋い将棋よりは攻め合いの将棋が多い棋風で、終盤で危うい受けを見せるところにも特徴がある。
人物
[編集]- 日本将棋連盟編集部に長く在籍[3]。「将棋世界」誌、「将棋年鑑」の編集長を務めた。
- 師匠の佐瀬勇次の娘と結婚し入婿になっているので、戸籍名は「佐瀬春雄」である[5]。
- 弟子に指導棋士の藤本康一郎。またプロ棋士となった弟子はいないものの、佐瀬の逝去後に弟弟子の木村一基(当時は奨励会員)をプロ入りまでの約3年間に渡って預かり弟子としている。
- 2003年、対岡崎洋戦において、後手番で「6六歩成」と、成れないはずの歩を成ってしまい、反則負けを喫した[6]。
昇段履歴
[編集]- 1967年 3級 = 奨励会入会
- 1969年 初段
- 1975年7月29日 四段 = プロ入り
- 1984年4月1日 五段(勝数規定)
- 1996年2月2日 六段(勝数規定)
- 2009年3月31日 引退(フリークラス規定)
- 2011年4月1日 七段(引退棋士規定)[7]
主な成績
[編集]- 通算勝敗
- 303勝517敗
在籍クラス
[編集]開始 年度 |
順位戦 出典[8]
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竜王戦 出典[9]
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期 | 名人 | A級 | B級 | C級 | 期 | 竜王 | 1組 | 2組 | 3組 | 4組 | 5組 | 6組 | 決勝 T |
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1組 | 2組 | 1組 | 2組 | |||||||||||||||
1977 | 36 | C218 | ||||||||||||||||
1978 | 37 | C208 | ||||||||||||||||
1979 | 38 | C204 | ||||||||||||||||
1980 | 39 | C222 | ||||||||||||||||
1981 | 40 | C209 | ||||||||||||||||
1982 | 41 | C223 | ||||||||||||||||
1983 | 42 | C220 | ||||||||||||||||
1984 | 43 | C217 | ||||||||||||||||
1985 | 44 | C217 | ||||||||||||||||
1986 | 45 | C229 | ||||||||||||||||
1987 | 46 | C231 | 1 | 5組 | -- | |||||||||||||
1988 | 47 | C234 | 2 | 5組 | -- | |||||||||||||
1989 | 48 | C207 | 3 | 6組 | -- | |||||||||||||
1990 | 49 | C122 | 4 | 6組 | -- | |||||||||||||
1991 | 50 | C125 | 5 | 6組 | -- | |||||||||||||
1992 | 51 | C202 | 6 | 6組 | -- | |||||||||||||
1993 | 52 | C229 | 7 | 6組 | -- | |||||||||||||
1994 | 53 | C230 | 8 | 6組 | -- | |||||||||||||
1995 | 54 | C245 | 9 | 6組 | -- | |||||||||||||
1996 | 55 | C247 | 10 | 6組 | -- | |||||||||||||
1997 | 56 | C218 | 11 | 6組 | -- | |||||||||||||
1998 | 57 | C243 | 12 | 6組 | -- | |||||||||||||
1999 | 58 | F編 | 13 | 6組 | -- | |||||||||||||
2000 | 59 | F編 | 14 | 6組 | -- | |||||||||||||
2001 | 60 | F編 | 15 | 6組 | -- | |||||||||||||
2002 | 61 | F編 | 16 | 6組 | -- | |||||||||||||
2003 | 62 | F編 | 17 | 6組 | -- | |||||||||||||
2004 | 63 | F編 | 18 | 6組 | -- | |||||||||||||
2005 | 64 | F編 | 19 | 6組 | -- | |||||||||||||
2006 | 65 | F編 | 20 | 6組 | -- | |||||||||||||
2007 | 66 | F編 | 21 | 6組 | -- | |||||||||||||
2008 | 67 | F編 | 22 | 6組 | -- | |||||||||||||
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。 順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 ) 順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。 竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。 |
表彰
[編集]- 現役勤続25年(2000年)
著書
[編集]- 「ささやかなトリック100」(日本将棋連盟、ISBN 4-8197-0318-8)
脚注
[編集]- ^ “2009年3月31日付引退|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月26日閲覧。
- ^ 平成10年版「将棋年鑑」
- ^ a b 「将棋世界」2000年1月号付録
- ^ 十段リーグの定員は僅か6名。うち、前期からの残留が4名で、予選から入れるのは2名。
- ^ 野澤亘伸「師弟 Vol.6 木村一基王位 X 高野智史新人王 (後編)」、『将棋世界』(2020年3月号)、日本将棋連盟 pp. 40-55
- ^ NHK「大逆転将棋2006」より。
- ^ “2011年4月1日付昇級・昇段者|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月26日閲覧。
- ^ 「名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
- ^ 「竜王戦」『日本将棋連盟』。