末広町 (名古屋市)
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末広町 | |
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北緯35度9分49.68秒 東経136度54分8.58秒 / 北緯35.1638000度 東経136.9023833度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市 | 名古屋市 |
区 | 中区 |
町名廃止 | 1969年(昭和44年)10月21日[1]。 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
市外局番 | 052 |
ナンバープレート | 名古屋 |
末広町(すえひろちょう)は、愛知県名古屋市中区の地名。1丁目から3丁目までがあった[1]。同区栄二丁目・栄三丁目・大須二丁目・大須三丁目の各一部に相当する[1]。
地理
[編集]東は住吉町3丁目・矢場町1丁目および2丁目、西は白川町3丁目・4丁目・5丁目、南は門前町1丁目、北は鉄砲町3丁目に接していた。
学区
[編集]人口
[編集]国勢調査による人口の推移
1950年(昭和25年) | 446人[2] | |
1955年(昭和30年) | 528人[2] | |
1960年(昭和35年) | 631人[3] | |
1965年(昭和40年) | 545人[3] |
歴史
[編集]地名の由来
[編集]町幅が南へ行くほど広がることから名付けられたとする説と、扇が関なる関所が所在していたことによるとする説があるという[4]。
沿革
[編集]- 寛永7年 - 従来松原であった地を開発して町家としたことから、松原町と称した[1]。
- 宝永5年 - 時の将軍徳川綱吉の養女松姫の名を避けるため、末広町と改めた[1]。
- 明治4年(1872年) - 花屋町筋から門前町木戸間と花屋町の本町筋の東西を編入する[4]。
- 明治5年(1873年) - 従来の上之切・中之切・下之切を1丁目から3丁目までに改めた[4]。
- 1878年(明治11年)12月28日 - 名古屋区成立に伴い、同区末広町となる[5]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 名古屋市成立に伴い、同市末広町となる[5]。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 中区成立に伴い、同区末広町となる[1]。
- 1912年(明治45年)4月 - 富士生命保険株式会社が名古屋出張所を設置する[6]。
- 1912年(大正元年)11月15日 - 2丁目に株式会社太陽銀行が資本金2万円で成立[7]。
- 1912年(大正元年) - 3丁目に株式会社日本蓄音器商会が名古屋営業所を設置する[8]。
- 1944年(昭和19年)2月11日 - 栄区成立に伴い、同区末広町となる[1]。
- 1945年(昭和20年)11月3日 - 栄区廃止に伴い、中区末広町となる[1]。
- 1966年(昭和41年)3月30日 - 住居表示の実施に伴い、1丁目・2丁目の全域と3丁目の一部が、中区栄二丁目・栄三丁目にそれぞれ編入される[1]。
- 1969年(昭和44年)10月21日 - 住居表示の実施に伴い、残存していた3丁目の一部が、中区大須二丁目・大須三丁目に編入され、消滅[1]。
施設
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j 福岡清彦 1976, p. 19.
- ^ a b c 名古屋市総務局企画室統計課 1957, p. 80.
- ^ a b c 名古屋市総務局企画部統計課 1967, p. 74.
- ^ a b c 名古屋市計画局 1992, p. 304.
- ^ a b 名古屋市計画局 1992, p. 787.
- ^ 名古屋市会事務局 1961, p. 403.
- ^ 名古屋市会事務局 1963, p. 187.
- ^ 名古屋市会事務局 1963, p. 196.
参考文献
[編集]- 名古屋市会事務局 編『名古屋市会史 別巻 総合名古屋市年表(明治編)』名古屋市会事務局、1961年12月25日。全国書誌番号:49011381。
- 名古屋市会事務局 編『名古屋市会史 別巻第2 総合名古屋市年表(大正編)』名古屋市会事務局、1963年3月10日。全国書誌番号:49011382。
- 名古屋市総務局企画室統計課 編『昭和31年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1957年。
- 名古屋市総務局企画部統計課 編『昭和41年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1967年。
- 福岡清彦『中区の町名』名古屋市中区役所、1976年。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年、819頁。ISBN 4-04-001230-5。
- 名古屋市計画局 編『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年。
関連項目
[編集]鉄砲町3丁目 | ||||
白川町3丁目・4丁目・5丁目 | 住吉町3丁目・矢場町1丁目・2丁目 | |||
末広町 | ||||
門前町1丁目 |