コンテンツにスキップ

曹玹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

曹 玹(そう けん、生没年不詳)は、中国後漢時代末期の人物。父は曹操。母は秦夫人。同母弟は曹峻[1]

事績

[編集]

建安16年(211年)に西郷侯に封じられたが、子もなく、早逝した。建安20年(215年)、甥の曹賛[2]が爵位と領地を継いだが、彼も早逝した。

曹丕の時代に入り、曹賛の弟の曹壹がまた跡を継いだ。曹壹は黄初2年(221年)に済陽侯、黄初4年(223年)に済陽公となった。

太和4年(230年)、曹玹は遡って進爵し、懐公とされた。太和6年(232年)にはまた懐王に進爵した。

羅貫中の小説『三国志演義』には登場しない。

出典

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 『三国志』魏書 武文世王公伝序文
  2. ^ 曹林の子。