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徳川篤敬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
徳川 篤敬
とくがわ あつよし
生年月日 1855年11月9日
没年月日 (1898-07-12) 1898年7月12日(42歳没)
出身校 陸軍士官学校卒業
称号 従二位
勲二等瑞宝章
侯爵
配偶者 徳川總子
子女 長男・徳川圀順
次男・徳川宗敬
親族 叔父・徳川慶喜(征夷大将軍・貴族院議員)
義兄・蜂須賀茂韶(貴族院議長)
義弟・松平親信(貴族院議員)
義兄弟・松平頼寿(貴族院議長)
義兄弟・徳川義礼(貴族院議員)
従弟・徳川厚(貴族院議員)
従弟・池田仲博(貴族院議員)
従弟・徳川慶久(貴族院議員)
従弟・徳川誠(貴族院議員)

選挙区 侯爵議員
在任期間 1890年2月 - 1898年7月12日
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徳川 篤敬(とくがわ あつよし、1855年11月9日安政2年9月30日) - 1898年明治31年)7月12日[1])は、水戸徳川家第12代当主。位階勲等爵位従二位勲二等侯爵

水戸藩の第10代藩主・徳川慶篤の長男で、叔父である第11代藩主・徳川昭武の養嗣子となった。最後の将軍徳川慶喜の甥でもある。妻は松平頼聰の長女・總子(又従姉妹にあたる)。弟に徳川篤守清水徳川家当主)がいる。子に徳川圀順徳川宗敬、敬子(松浦陞室)らがいる。幼名鉄之允諡号定公

経歴

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陸軍士官学校を卒業後、明治12年(1879年)にフランスに留学する。明治16年(1883年)、養父・昭武の隠居により家督を相続する。イタリア特命全権公使式部次長などを歴任する。明治26年(1893年)には大日本写真品評会会長に就任している。

帝国議会開設に伴い、1890年(明治23年)2月、貴族院侯爵議員に就任し[1]、死去するまで在任した[1][2]。墓所は常陸太田市瑞龍山

栄典

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外国勲章佩用允許

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』19頁。
  2. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、9頁。
  3. ^ 『官報』第307号「叙任及辞令」1884年7月8日。
  4. ^ 『官報』第2187号「叙任及辞令」1890年10月11日。
  5. ^ 『官報』第3802号「叙任及辞令」1896年3月5日。
  6. ^ 『官報』第4198号「叙任及辞令」1897年7月1日。
  7. ^ 『官報』第4510号「叙任及辞令」1898年7月13日。
  8. ^ 『官報』第4511号「叙任及辞令」1898年7月14日。
  9. ^ 『官報』第3077号「叙任及辞令」1893年9月29日。
  10. ^ 『官報』第3795号「叙任及辞令」1896年2月26日。
  11. ^ 『官報』第4002号「叙任及辞令」1896年10月29日。
  12. ^ 『官報』第4005号「叙任及辞令」1896年11月2日。
  13. ^ 『官報』第4172号「叙任及辞令」1897年6月1日。

参考文献

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  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。

関連項目

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  • 二条基弘(篤敬が会長を務めた写真協会の副会長)
公職
先代
三宮義胤
日本の旗 式部次長
1895年 - 1898年
次代
戸田氏共
日本の爵位
先代
叙爵
侯爵
(水戸)徳川家初代
1884年 - 1898年
次代
徳川圀順