平井信四郎
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平井 信四郎(ひらい のぶしろう、1875年(明治8年)6月8日[1] - 1941年(昭和16年)12月26日[2])は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(3期)、岐阜県可児郡上之郷村長。
経歴
[編集]岐阜県[2]可児郡上之郷村で[3]平井儀三郎の二男として生まれた[4]。酒造業を営む。上之郷村会議員、同村長、可児郡会議員、岐阜県会議員、同参事会員、同副議長、同議長[2]、所得税調査委員、東美鉄道、東濃石材工業、鬼岩温泉各(株)社長、美濃合同銀行取締役となる[2]。
1928年の第16回衆議院議員総選挙において岐阜3区から立憲政友会公認で立候補して初当選[5]。以来連続3回当選した。1930年の第17回衆議院議員総選挙で再選[6]。1932年の第18回衆議院議員総選挙で三選[7]。1936年の第19回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1941年死去。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。