山口悟
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名前 | ||||||
カタカナ | ヤマグチ サトル[1] | |||||
ラテン文字 | YAMAGUCHI Satoshi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1959年8月1日(65歳) | |||||
出身地 | 大分県 | |||||
身長 | 183cm | |||||
体重 | 75kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
ユース | ||||||
1975-1977 | 大分工業高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1978-1984 | 三菱重工 | 0 | (0) | |||
通算 | 0 | (0) | ||||
代表歴 | ||||||
1979 | 日本U-20 | 0 | (0) | |||
1981 | 日本 | 1 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
山口 悟(やまぐち さとし、1959年8月1日 - )は、日本の元サッカー選手。ポジションはGK。
来歴
[編集]大分県立大分工業高等学校3年次に全国高等学校サッカー選手権大会に出場。卒業後の1978年に日本サッカーリーグ1部の三菱重工業サッカー部へ入部すると、日本ユース代表に選出され、1979年の1979 FIFAワールドユース選手権日本大会のメンバーに選ばれたが、試合出場機会は与えられなかった。
日本代表としては、川淵三郎監督が若手選手を積極的に採用する方針もあって1981年2月の東南アジア遠征で招集され、同月19日のシンガポール戦で代表デビューを飾った。
しかしながら所属する三菱重工では、同じポジションに当時の日本代表正GKである田口光久が在籍していた為、ポジション獲得には至らず、田口が現役を引退した1984年には背番号1を与えられたが、三菱養和SC出身の園部晃久とのポジション争いに敗れ、ポジションを獲得することは出来なかった。
所属クラブ
[編集]個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1978 | 三菱 | 22 | JSL1部 | 0 | 0 | ||||||
1979 | 0 | 0 | |||||||||
1980 | 0 | 0 | |||||||||
1981 | 0 | 0 | |||||||||
1982 | 0 | 0 | |||||||||
1983 | 0 | 0 | |||||||||
1984 | 1 | 0 | 0 | ||||||||
通算 | 日本 | JSL1部 | 0 | 0 | |||||||
総通算 | 0 | 0 |
代表歴
[編集]出場大会など
[編集]- ワールドユース東京大会
試合数
[編集]- 国際Aマッチ 1試合 0得点 (1981)
日本代表 | 国際Aマッチ | その他 | 期間通算 | |||
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年 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
1981 | 1 | 0 | 3 | 0 | 4 | 0 |
通算 | 1 | 0 | 3 | 0 | 4 | 0 |
出場
[編集]No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
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1. | 1981年02月19日 | シンガポール | シンガポール | △0-0 | 川淵三郎 | 国際親善試合 |