寺田登
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獲得メダル | ||
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1956年頃撮影 | ||
競泳 | ||
金 | 1936 | 男子 1500m自由形 |
寺田 登(てらだ のぼる、1917年(大正6年)11月25日 - 1986年(昭和61年)9月26日)は、日本の水泳選手。静岡県磐田郡福島村中島(現磐田市福田中島)出身。慶應義塾大学出身。1936年ベルリンオリンピック1500m自由形で金メダルを獲得した。
経歴
[編集]静岡見付中(現在の静岡県立磐田南高等学校)から慶應義塾大学に進学。 1936年ベルリンオリンピック競泳男子1500m自由形に出場し金メダルを獲得した。 引退後は慶應義塾大学水泳部監督などの要職を歴任した。なお、結婚後は伊藤姓を名乗った。1986年、68歳で没した。
エピソード
[編集]水泳選手には珍しい、筋肉質のずんぐりした体形であった。
小学校時代に見にいった水泳大会で、人数が足りないからと飛び入り出場し1位になったのが縁で競泳と出会う。
ベルリンオリンピック前の選考会で寺田は鵜藤俊平(立教大学)に敗れ、本番も鵜藤のペースメーカーのつもりだったが「1000メートル過ぎても出てこないので、そのまま行った。」という無心の優勝だった。
外部リンク
[編集]- 寺田登 - Olympedia
- 寺田登 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- 寺田登 - 世界水泳連盟
- 寺田登 - 国際水泳殿堂
- 寺田登-無心の19歳、水のマラソン制す(SANSPO.com)