宮崎尚志
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宮崎 尚志 | |
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生誕 | 1934年8月4日 |
出身地 | 日本、東京府 |
死没 | 2003年5月2日(68歳没) |
学歴 | 立教大学文学部英米文学科 |
職業 | 作曲家 |
事務所 |
有限会社宮崎音楽事務所 (1987年 - 2003年) |
公式サイト | NAOSHISM〜宮崎尚志の世界 |
宮崎 尚志(みやざき なおし、1934年8月4日 - 2003年5月2日)は、日本の作曲家。東京府出身。多摩美術大学客員教授。
概要
[編集]映画、ドラマ、CMなどの音楽や、歌謡曲、校歌、社歌、聖歌など幅広いジャンルの作曲、編曲を手掛けた。生涯に作曲した作品は1万曲を超えており、1日に60曲以上作ったこともあった[1]という。大林宣彦監督の映画に自主制作時代から携わり続けたことや、広島東洋カープ応援歌「それ行けカープ 〜若き鯉たち〜」(作詞・有馬三恵子)を作曲したことで知られる。CM音楽の分野においては、コカ・コーラの初代CMソングなど、作曲した曲がたびたびACC・CMフェスティバルの受賞対象となった。2006年に放映されたコカ・コーラTVCMにも、40年以上前に宮崎が作曲したメロディが使われている。
妻はNHK『おかあさんといっしょ』の2代目うたのおねえさんの中野慶子。子にはミュージシャンの宮崎道、宮崎歩らがいる。
来歴
[編集]牧師の家に生まれ、5歳の時(1939年)よりピアノを習い始める。自身も牧師となるべく立教大学文学部へ進学するが、家計を支えるために音楽演奏の仕事を始め、島岡譲らに師事する。1957年、大学を卒業。1958年から作曲家としての活動を開始し、放送番組、CMなどの音楽を手掛ける。1969年、多摩美術大学の非常勤講師となり、1989年には客員教授に就任する。2003年、肺がんのため68歳で死去した。
主な作品
[編集]ごく一部のみを列挙する。
映画
[編集]- EMOTION=伝説の午後・いつか見たドラキュラ(監督:大林宣彦、1966年)音楽
- CONFESSION 遙かなる憧れギロチン恋の旅(監督:大林宣彦、1968年)音楽
- 瞳の中の訪問者(監督:大林宣彦、1977年)音楽
- ふりむけば愛(監督:大林宣彦、1978年)音楽
- 金田一耕助の冒険(監督:大林宣彦、1979年)出演
- 廃市(監督:大林宣彦、1984年)編曲
- さびしんぼう(監督:大林宣彦、1985年)音楽監督
- 姉妹坂(監督:大林宣彦、1985年)音楽
- 彼のオートバイ、彼女の島(監督:大林宣彦、1985年)音楽
- 傷だらけの勲章(監督:斎藤光正、1986年)音楽監督
テレビ番組
[編集]- NHK『みんなのうた』の「風ぐるま」(歌は小林幸子)
- アニメ『海賊王子』
- 『笑点』テーマ曲「笑点音頭[注釈 1]」
- 「笑点のテーマ」(作曲:中村八大)とは別の曲である
- ドラマ『フジ三太郎』(坂本九 版)
- 『川崎敬三の料理ジョッキー』
- 銀河テレビ小説『霧の視界』
- ドラマ『先生お・み・ご・と!』(主演:熊谷真実)
- ドラマ『青春INGS ゆう子とヘレン』(主演:斉藤とも子&ヘレン笹野)
- 教育番組『ワンツー・どん』
- 教育番組『ばくさんのかばん』
- 教育番組『なかよしリズム』
- 『ニュースセンター9時』テーマ曲
- 『いい旅チャレンジ20,000km』
CM
[編集]- コカ・コーラ「コカコーラの歌(スカッとさわやかコカコーラ)」(歌:スリーバブルズ、ピンキーとキラーズ、クレイジーケンバンド、倖田來未他)
- 篠崎製菓 「ライオネスコーヒーキャンディー」(歌:天地総子)
- 赤福「赤福餅のうた」(歌:藤田まこと、成田賢他)
- 丸大食品 「わんぱくでもいい」「プレスハム」他
- 人形の久月 サウンドロゴ
- 三菱自動車工業「人間が大好きだ」(歌:成田賢)
その他
[編集]- 「それ行けカープ 〜若き鯉たち〜」(歌:塩見大治郎)
- 「宇宙へかける橋」(歌:子門真人)
- 「ハ行で笑うばいきんまん」(歌:中尾隆聖)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 『読売新聞』東京朝刊 2003年6月8日 36面