コンテンツにスキップ

フジ三太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フジ三太郎
ジャンル サラリーマン漫画
漫画
作者 サトウサンペイ
出版社 朝日新聞社
掲載誌 朝日新聞
発表期間 1965年4月1日 - 1991年9月30日
話数 8168話
テンプレート - ノート

フジ三太郎(フジさんたろう)は、サトウサンペイによる日本4コマ漫画作品。同作を原作としたテレビドラマ作品についても本項で記述する。

概要

[編集]

1965年4月1日から1991年9月30日にかけて朝日新聞に連載された。平社員のサラリーマン・フジ三太郎を中心に、三太郎の周囲の職場や家族で起きるできごとを主な題材としている。サラリーマンを主人公にした新聞4コマ漫画はこの作品が初とされている[1]。サラリーマン社会の悲喜こもごもに加えて時事ネタも多く、事件や不祥事を風刺したり、流行に登場人物が右往左往する様子も描かれ、人気を博した。時事ネタでは主人公として時の政治家が主人公として登場し、下記に示した三太郎や万年課長等の登場人物が全く登場しない回もしばしばあった[2]。一般紙としては異例な程のお色気表現や、死刑廃止論労働争議ジェンダーフリーを揶揄する描写が描かれるなど、朝日新聞の左派的な論調と齟齬する作風も話題を呼んだ。1968年1982年にテレビドラマ化された。

基本は4コマであるが、日により紙面における掲載サイズはそのままで、3コマ(3コマ目が2コマ分)となることもあった。

アニメ化の企画があったが、サトウが「4コマのアニメは難しい」として断ったため実現しなかった[3]

連載開始までの沿革

[編集]

それまでの新聞4コマ漫画は『サザエさん』(長谷川町子作)に代表されるように家族をメインキャラクターに据え、家庭や近隣の生活を題材にすることが通例だった。サトウはそれまでに主婦を主人公にした『インスタントマダム』(産経新聞)の連載経験があったため、新作の主人公を「今度は男性にして、ニュースとか世相も描こう[1]」と決めた。しかし「魚屋さんとか、八百屋さんに特定すると、職業知識がなくて、おそらく3日も続かない[1]」として、自身が経験のあるサラリーマンを主人公に設定した。

連載および出版の形態

[編集]

1965年4月1日の連載開始から1978年12月28日までは夕刊、1979年1月1日から連載終了の1991年9月30日までは『サザエさん』が終了して以来5年間、4コマ漫画が空席だった朝刊に、それぞれ連載されている。1974年から翌年にかけて朝日ソノラマから全5巻の単行本として出版された。その後の作品は『フジ三太郎名場面』(全19巻、朝日新聞社、1982-91年)に収録されている。

また、雑誌「朝日ビジネス」で「英訳版」が掲載されたほか、著者・サトウの地元大阪市朝日新聞大阪本社主催で読者投稿による「英訳コンクール」が開催され好評を得て、1982年から『朝日ビジネス』と週刊英字新聞朝日ウィークリー』でこのコンクールを継承。英訳版の単行本も出版された[4]

電子書籍版

[編集]

2013年4月10日、J-CASTニュースから電子書籍版「フジ三太郎とサトウサンペイ」が発売された[5](全27巻 定価350円/冊<税別>。2013年4月から6月にかけ、それぞれ第1・2・3回配本として9冊ずつを配信)。これは連載開始年の1965年から連載終了年の1991年までを1年1巻としてまとめ、その中から厳選されたテーマに絞り込んで再録したものに加え、サトウサンペイに対するインタビューを併載したものである。当初は全話のデジタル化が計画されたが、サトウが「今の人が見て笑えるのは、甘く見ても半分だ。『ぷふっ』と笑えるものは25%だ」「ほんとうに笑えるものだけ残したい」として反対し、選集の形となった[3]。画像のデジタル化にともなう修正・描き直し作業はサトウ自身が行った。作業は3か月におよび、「80代の『蟹工船』だよね」と回想している[3]

これに合わせてJ-CASTニュースのサイトにおいて電子復刻版の連載(基本的に日刊で、同じ日に掲載された過去の作品を2週間程度公開)を3年間行ったほか、産業経済新聞社から発売されている夕刊フジ毎週木曜発行(金曜付け)分にも「復刻フジ三太郎」が連載された。

内容

[編集]

主な登場人物

[編集]
フジ三太郎
連載開始から最後の最後まで万年ヒラのサラリーマン(1984年に「係長一応補佐仮代理」を内示されたが、名刺にすれないとの理由で辞退した模様)。安月給(しかし1984年時点で、月給は手取り27万3千円)。国鉄で遠距離通勤し、最寄り駅からも遠い借家に住む一方、おんぼろセダン車を後に所有する。1988年に幼児からは「変なおじさん」とよばれていた。1978年には、自警団「ひとり暮らしの女子大生やOLを守る会」に参加している[6]。連載開始前日の作者挨拶では、三太郎の名前の由来が日本一をあらわす『富士山』と阿部次郎の名著『三太郎の日記』を組み合わせたものであり、年齢は32〜3歳と明記している[7]。三太郎の容姿のモデルは、作者サトウサンペイ自身である[8]
フジビワ子
三太郎の妻でありごく普通の主婦である。いかにして家事に手を抜くかが課題。
フジスワ子
三太郎の母で趣味はゲートボール。足腰が弱い。知識が豊富。夫はすでに他界している。
フジ小太郎
三太郎の息子で小学生。父親同様、スポーツが苦手でリレーでトップになってもゴールテープの存在を知らず、避けて通ったほど。
フジタマ子
三太郎の娘で小学生。テストはたいがい「計算はパパ、漢字はママに似てみーんなダメ」らしい。
万年太郎課長
三太郎の上司。二人の子を持つ(1男1女[9])。ローンで家を建てた。昭和一桁生まれで戦時中空襲に遭ったトラウマを持つ。早稲田大学卒業であるが、連載開始から登場し最後まで万年課長だった。
北原洋子部長
三太郎の上司の一人で「超」の付くほどのキャリアウーマン。眼鏡をかけている。今は太っているが、約30年前には社内誌の8月号のグラビアを飾ったこともある。1983年5月初登場。女性が管理職に進出し始めた時期の女性重役登場は話題となった。モデルは当時の全日空に実在した女性社員だという[1]
馬奈アケミ係長
北原部長に次ぐ女性キャリアウーマン。三太郎より若いが北原部長に抜擢され昇進。課内で唯一英会話ができる。一方で喫煙者のため嫌煙権が広まるにつれ三太郎、万年課長と共に肩身の狭い思いをすることもあった。
佐江内
三太郎の同僚で後輩。眼鏡をかけた気弱な青年として描かれる。

作風・ギャグ

[編集]

お色気表現

[編集]

三太郎はミニスカートを好む。テレビで見るスポーツもフィギュアスケート新体操シンクロナイズドスイミングを好む。それ以外にもお色気シーンが多い。新成人の女性がバニーガール姿でやってくるなど、お色気・セクハラ表現満載の4コマ漫画であった。ゆえに読者から「朝日新聞にふさわしくない内容の漫画だ」と非難されたことがたびたびあった。サトウ自身はこれらの描写について「怒っていた人もいっぱいいたかもしれない。でも別に文句も来なかった[1]」と回想している。

なお1982年版のテレビドラマでは、演出として毎回通りがかりの女性のスカートがめくれて下着が見えるというパンチラが行われていた。

発明・創意工夫ギャグ

[編集]

三太郎たち登場人物は作中で多くの機械やシステムを発案し、そのギミックがオチに使われた。以下は一例である。

自動お茶流し機
ポンプからお茶をくみ出し、社員の机の周りにお茶が流れる(馬奈係長考案)
介護ロボット
電車の優先席にすわっている若者を無理矢理追い出すロボット(スワ子考案)
自動温泉流し機
お茶流し機と同様だが、これはお茶流し機のだいぶ前に三太郎が考案した(三太郎考案)
ゴマスリ機
電動胡麻摩り機が市場に出た頃に、勘違いから発想した、お世辞をベラベラ言うマシン(三太郎考案)
自動掃除機
壁に当ると自動的に方向を変えて再び進む自動車のおもちゃをヒントに、そのおもちゃに掃除機を載せて部屋を掃除させる機械を作成(スワ子考案)[10]
OL仕事要求申し込み所
課長達にこき使われるOL達のために、三太郎がOLへの仕事の要求を規制するために開設した。
エスカレーター使用規制システム
三太郎が駅のエスカレーターの混雑を規制するため、駅から20分以上かけて歩いてきた人だけにエスカレーターを使用出来るように規制した。
有人改札駅員質問規制システム
人がいる改札で駅員に質問するせいで改札が混雑するので、それを規制するために質問専用の台を設けた。

新聞連載時のエピソード

[編集]

1968年1972年、当時朝刊に連載中の『サザエさん』が休載中に作者が作品内にサザエさんを登場させ、一家の健在ぶりをアピールさせた。それをみた長谷川町子は連載再開時にお返しとして作品中にフジ三太郎を祝福に登場させた[11]。このように、当時は朝刊・夕刊を通して作者同士のマンガを通したコミュニケーションがよく行われていた。

1971年全日空機雫石衝突事故の直後に掲載した作品では、「スカタング」という架空の戦闘機を操縦する三太郎は旅客機と空中衝突し、一度は脱出するが自らパラシュートの縛帯を解いて飛び降りた[12]

1975年に唯一の3ヶ月長期休載。

1978年12月28日付をもって夕刊連載終了(年末年始の夕刊休刊に合わせての移動)。「たつトリあとをにごさず」として、三太郎がマンガのコマ枠を大掃除した。1979年1月1日付より移動先の朝刊で連載再開、再開初回4コマではなく判じ絵を多用しての挨拶だった。また、この日より朝日新聞の4コママンガはスペースが現行の記事4段分から5段分に変更され、拡張された。4日には夕刊に園山俊二作の『ペエスケ』がスタート。平助が挨拶していると羽織後ろから三太郎(実は「二人羽織」だった)が登場して「しっかりしなきゃだめだよ、ほんとに」と主人公・平助を励ました。
その後、サトウが病気で三太郎が休載した時、園山は入院中の三太郎に平助が見舞いに行く話を描いた。ところがサトウは復帰すると三太郎で同じシチュエーションの続編を描き、それを受けた園山もまたやり返したので、朝刊と夕刊のどっちに、どっちの作者がどっちの作品を描いているのか、混乱し兼ねない状態が暫く続いた事がある。

1980年6月、大平正芳首相が在職のまま病死したときには、それまで風刺してきた罰として作者が閻魔大王から「地獄行き」の指定券を受け取る作品が掲載された。

1982年10月21日、後述のドラマ(堺正章主演版)の放送開始に伴い、タイアップ的な漫画を掲載。漫画では三太郎役の堺を見て小太郎が「こういうパパがいいな」と言い、続いてサワ役の千石規子を見てビワ子が「やさしそうなおかあさんネ」と言い、最後はビワ子役の丘みつ子を三太郎が見つめるという内容だった[13]

1985年8月13日付は日本航空123便墜落事故により休載。

1989年1月8日付朝刊は昭和天皇崩御されたことで特別紙面となり、小説などの連載記事が休載されたが、フジ三太郎は通常通り掲載。内容は、この日から施行された元号平成』の由来である「内平らかに外成る」(史記)と「地平らかに天成る」(書経)を三太郎が漫画で解説した。

1991年3月31日付朝刊で、三太郎が「(連載26年経過して)表面上だけ若作りのままもう半年続けます」と事実上の最終回告知。もっとも、それ以前にエイプリルフールネタとして最終回ネタをやったことがあった。

同年9月30日付朝刊で最終回。カラー特集が組まれ[14]、登場人物がミュージカルばりに「上を向いて歩こう」を歌った。連載終了はサトウ自らの意志によるものだった[3]。8,168回という当時としては毎日新聞連載・加藤芳郎作の『まっぴら君』に次ぐ異例の回数の記録を打ち立てた。また、同日夕刊の『ペエスケ』では三太郎と平助が酌を交わし、別れを惜しんだ。このとき居酒屋の親父が平助に「あんたも終わるときはあんなふうにしなよ」といっている。しかし、『ペエスケ』の作者の園山は翌1992年に病に倒れ、1993年1月に逝去したため、結果として『ペエスケ』は連載休止のまま連載終了・絶筆となる。

テレビドラマ

[編集]

両作品とも、関西地区では朝日新聞系の放送局・朝日放送(ABC)で放映された(1968年当時はいわゆる腸捻転ネットの時代)。

1968年版

[編集]

TBS系列にて1968年10月6日から1969年9月28日まで放映。全39話。モノクロ作品。放送時間は毎週日曜日21:00 - 21:30[15]。三太郎役は坂本九。妻ビワ子役は宮本信子(第1話 - 第26話)、三好美智子(第27話 - 最終話)が演じた。野球中継による番組休止があったため、全38話ながらほぼ一年間放映された。2004年にエムスリイエンタテイメント株式会社より全39話が収録されたDVD-BOX (5枚組DVD) が発売され、初めてソフト化されている。

当初、サトウはアニメと同様にドラマ化も断るつもりだった。しかしサトウが企画を持ち込んだ伊丹十三と主演の坂本九のファンであったため了承した[3]

キャスト

[編集]

スタッフ

[編集]
  • 原作:サトウサンペイ
  • プロデューサー:吉田善平
  • 脚本:野上龍雄、露峰裕子、加瀬高之、馬場当山中恒、下飯坂菊馬、大川久男、瀬川昌治 ほか
  • 監督:杉江敏男、若林幹、上野英隆、瀬川昌治、真船禎
  • 助監督:上野英隆、乙武英樹 ほか
  • 制作担当:小坂井郁也
  • 音楽:宮崎尚志
  • 撮影技術:中溝勇雄、溝口正敏
  • 照明:岡庭正隆
  • 録音:泉田正雄、坂田通俊
  • 編集:神谷信武
  • 現像:TBS映画社
  • 美術:朝生治男、馬場周一
  • 舞台装置:美建興業
  • 制作:国際放映、TBS
  • 主題歌:『三太郎ソング』 歌:坂本九 (作詞:サトウサンペイ 作曲:宮崎尚志)

サブタイトル

[編集]
話数 放送日 サブタイトル ゲスト
1 1968年10月6日 サンマ苦いか・・・ コント55号萩本欽一坂上二郎)、十朱久雄関千恵子
2 10月13日 ラッシュは楽し 北あけみ加地健太郎
3 10月20日 二人はともだち 柳家小さん柳沢真一
4 10月27日 くたばれ3000万円 左卜全田崎潤
5 11月3日 ママの誕生日 コント0番地車だん吉岩がん太)、
野際陽子水垣洋子山本正明田崎潤
6 11月10日 明日の朝のおみおつけ
7 11月17日 可愛い下宿人 江美早苗
8 11月24日 俺はついてるぜ 愛京子
9 12月1日 男心は男でなけりゃ 井上昭文
10 12月8日 東京には空気がない ジェリー伊藤
11 12月15日 強くなろうぜ、男の子 渡辺文雄五月晴子進千賀子
12 12月22日 踊る一万円札
13 12月29日 替え玉作戦 桜井啓子岡村文子
14 1969年1月5日 一フジ二タカ三なすび コント55号
15 1月12日 こんにちはビワ子さん! 矢野間啓治
16 1月19日 となりはとなり 草野大吾
17 1月26日 意地で行こうぜ! 柳家小さん
18 2月2日 危険信号 藤村有弘
19 2月9日 美人に御用心 八代万智子
20 2月16日 天下泰平 蓮川くみ
21 2月23日 男の争い 長谷川明男大山のぶ代
22 3月2日 逃げろや逃げろ 上田吉二郎
23 3月9日 春が来た、何処に来た? 土田早苗小坂一也池田駿介
24 3月16日 仰げば尊し 鈴木ヤスシ河野秋武三島ゆり子金光満樹
25 3月23日 競馬と夫婦たち
26 3月30日 小さな、しあわせ 清水まゆみ
27 4月6日 頑張れ、張り切れ、ゴマするな! 名古屋章 、水垣洋子
28 4月13日 あゝOL無用論 曽我町子柳生博
29 5月4日 怪談・鯉のぼりの季節 平凡太郎
30 5月18日 サボテン山に進路をとれ 北川めぐみ
31 6月1日 旅は道づれ 三角八郎
32 6月15日 サラリーマン(秘)哀歌 北あけみ
33 6月29日 知らぬは亭主ばかりなり 長山藍子
34 7月13日 今晩おひま? コント0番地 、三島ゆり子
35 8月10日 真夏のハプニング 夏純子親桜子
36 8月17日 私の詩集 谷口香海野かつを根岸明美
37 9月14日 真夏の夜の夢 笠置シヅ子杉狂児
38 9月28日 ジンマシン異聞 南弘子

放送局(1968年版)

[編集]

※ 時間帯明記なしは 日曜 21:00 - 21:30に放送。

1982年版

[編集]

テレビ朝日系列(フルネット局および当時フジテレビ系列・テレビ朝日系列のクロスネット局だった秋田テレビ)にて1982年10月21日から1983年1月27日まで放映。全14話。放送時間は毎週木曜日21:00 - 21:54。テレビ朝日とABCの共同制作。三太郎役は堺正章が、妻のビワ子役は丘みつ子が演じた。毎回、パンチラ娘として南裕子が出演した[32]

キャスト

[編集]

スタッフ

[編集]
  • 原作:サトウサンペイ
  • プロデューサー:古屋克征
  • 脚本:田村隆
  • 演出:河野和平、岩城利明、大熊邦也
  • 撮影:山岸桂一
  • 主題歌:堺正章「空­飛ぶクジラ」(作詞:松本隆/作曲:大瀧詠一/編曲:難波弘之)

サブタイトル

[編集]
話数 放送日 サブタイトル 演出 ゲスト
1 1982年10月21日 衝撃! 女子大生レイプ旋風 河野和平 中原理恵
2 10月28日 衝撃! 喪服の未亡人異常接近 小柳ルミ子
3 11月4日 衝撃! 成り金夫人札束騒動 岩城利明 小林幸子
4 11月11日 衝撃! 謎のキスマーク怪事件 松本伊代
5 11月18日 衝撃! 恐怖のアフリカ決死行 大熊邦也 研ナオコ
6 11月25日 衝撃! 恐るべき少年放火魔! 河野和平 松田聖子
7 12月2日 衝撃! 押し売り笑殺ムコ探し 岩城利明 和田アキ子
8 12月9日 衝撃! 珍事件見合い騒動 河野和平 石川ひとみ
9 12月16日 衝撃! 夫婦危機! 師走泥試合 岩城利明 高田みづえ辻沢杏子
10 12月23日 衝撃! 謎のサンタ、イブ騒動 河野和平 柏原芳恵
11 1983年1月6日 衝撃! 晴れ着魔出没正月騒動 岩城利明 高見知佳奈良富士子
12 1月13日 衝撃! 奇! 宝のツボ破壊事件 河野和平 白石奈緒美
13 1月20日 衝撃! 苦悩の(秘)瞬間転職情報 岩城利明
14 1月27日 衝撃! 感涙の(秘)事件連続! 河野和平

放送局(1982年版)

[編集]

※ 時間帯明記なしは 木曜 21:00 - 21:54に放送。

キャラクター広告

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e 真実一郎『あのサラリーマン漫画をもう一度』第2回「ユーモアとウィットと風刺~『フジ三太郎』と4コマ漫画の時代(ページ2)ハーバービジネスオンライン、2017年4月2日
  2. ^ 例えば、ロッキード事件判決の際の田中角栄(1983年10月12日掲載分)、1983年11月に訪日した当時アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガン(1983年11月6日掲載分)等
  3. ^ a b c d e 真実一郎『あのサラリーマン漫画をもう一度』第2回「ユーモアとウィットと風刺~『フジ三太郎』と4コマ漫画の時代(ページ3)ハーバービジネスオンライン、2017年4月2日
  4. ^ サトウのブログ「ジーの思い出し笑い・対訳「フジ三太郎」の成り立ちより
  5. ^ フジ三太郎とサトウサンペイ”. J-CASTニュース. 2017年12月19日閲覧。
  6. ^ この年の1月10日に東京都世田谷区で、現職の警察官が制服での勤務中に一人暮らしの女子大生を暴行・殺害した事件(制服警官女子大生殺人事件)が起きている。
  7. ^ 「明日から登場 フジ三太郎」、朝日新聞1965年3月31日夕刊(東京本社版)、12頁
  8. ^ 現在もサトウの自画像は明らかに三太郎そのままの姿になっている。
  9. ^ 小太郎、タマ子と対照的に成長している。特に娘は80年代後半から当時の流行を扱う話で頻繁に登場。
  10. ^ ロボット掃除機のルンバが登場したのは、本作の連載終了から10年以上後のことである。
  11. ^ 後者が『サザエさん』姉妹社版第64巻・朝日新聞社版第42巻、前者が『おたからサザエさん』6巻に収録されている。
  12. ^ 雫石事故では自衛隊機のパイロットはパラシュートで脱出して無事だったが、全日空機の乗員・乗客162人全員が死亡した。
  13. ^ 『朝日新聞 縮刷版』朝日新聞社、P.805頁。 
  14. ^ 一部地域及び国際衛星版ではモノクロで掲載された。
  15. ^ 第30話、第31話の白浜温泉ロケ編のみカラーで放送された
  16. ^ 北海道新聞』(縮刷版) 1968年(昭和43年)10月 - 1969年(昭和44年)9月、テレビ欄。
  17. ^ 岩手日報』1968年12月各日朝刊テレビ欄
  18. ^ 秋田魁新報』1968年12月各日朝刊テレビ欄
  19. ^ 福島民報』1970年2月16日 - 10月26日付朝刊テレビ欄。
  20. ^ a b 『福島民報』1968年10月6日 - 1969年9月28日付朝刊テレビ欄。
  21. ^ 『福島民報』1968年10月6日 - 1969年4月6日付朝刊テレビ欄。
  22. ^ 信濃毎日新聞』1968年12月各日朝刊テレビ欄
  23. ^ a b 北日本新聞』1968年10月6日付朝刊、テレビ欄。
  24. ^ 静岡新聞』1968年12月各日朝刊テレビ欄
  25. ^ 京都新聞』1968年12月各日朝刊テレビ欄
  26. ^ 島根新聞』1968年12月各日朝刊テレビ欄
  27. ^ a b 山陽新聞』1968年12月各日朝刊テレビ欄
  28. ^ a b 熊本日日新聞』1968年12月各日朝刊テレビ欄
  29. ^ 愛媛新聞』1968年12月各日朝刊テレビ欄
  30. ^ a b 宮崎日日新聞』1968年12月各日朝刊テレビ欄
  31. ^ 沖縄タイムス』1968年12月各日朝刊テレビ欄
  32. ^ 「ニュース・スポット」『映画情報』第48巻第1号、国際情報社、1983年1月1日、71頁、NDLJP:2343787/71 
  33. ^ 『福島民報』1982年12月7日付朝刊12面 「出番 中村れい子」。
  34. ^ 『北海道新聞』1982年12月各日朝刊テレビ欄
  35. ^ 『秋田魁新報』1982年12月各日朝刊テレビ欄
  36. ^ a b 『福島民報』1982年10月21日 - 1983年1月27日付朝刊テレビ欄。
  37. ^ 新潟日報』1982年12月各日朝刊テレビ欄
  38. ^ a b 山梨日日新聞』1982年12月各日朝刊テレビ欄
  39. ^ 中日新聞』1982年12月各日朝刊テレビ欄
  40. ^ 『京都新聞』1982年12月各日朝刊テレビ欄
  41. ^ a b 『山陽新聞』1982年12月各日朝刊テレビ欄
  42. ^ 『熊本日日新聞』1982年12月各日朝刊テレビ欄

外部リンク

[編集]
TBS 日曜21時台前半枠
前番組 番組名 次番組
フジ三太郎(1968年版)
テレビ朝日 木曜21時台
フジ三太郎(1982年版)