中田吉雄
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中田 吉雄 なかた よしお | |
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生年月日 | 1906年10月30日 |
出生地 | 鳥取県八頭郡若桜町根安 |
没年月日 | 1985年5月1日(78歳没) |
出身校 | 京都帝国大学農学部 |
前職 |
東亜研究所勤務 若桜町農業会専務理事 |
所属政党 | 日本社会党 |
称号 |
正四位 勲二等瑞宝章 |
配偶者 | 妻・中田正子 |
選挙区 | 鳥取県選挙区 |
当選回数 | 3 |
在任期間 | 1950年6月 - 1965年6月 |
在任期間 | 1947年5月 - |
中田 吉雄(なかた よしお、明治39年(1906年)10月30日 - 昭和60年(1985年)5月1日)は日本の政治家。参議院議員(3期、日本社会党)。
妻は日本初の女性弁護士で、鳥取県弁護士会長、日本弁護士連合会理事などを歴任した中田正子[1]。
経歴
[編集]1933年京都帝国大学農学部農林経済学科卒[4]。1938年東亜研究所勤務、1945年若桜町農業会専務理事(以降農業関係の役職を歴任)、1947年4月鳥取県議会議員当選、1947年5月鳥取県議会議長[4]。
1950年6月参議院議員(第2、3、5回通常選挙当選)、1954年参議院地方行政委員長、1955年日本社会党参議院副会長(1959年6月の第5回通常選挙では39票差で当選[4]。次点者(宮崎正雄)より当選無効訴訟を提起、広島高裁松江支部での当選無効判決を経て1961年12月最高裁が高裁への差戻判決、1963年3月中田の勝訴判決確定)[4]。
1965年6月参議院議員引退[4]。1974年5月全国中小商工業団体連合会常任理事[4]。1976年秋の叙勲で勲二等瑞宝章受章[5]。1985年5月1日死去[4]。死没日をもって正四位に叙される[6]。
脚注
[編集]- ^ 中田正子さんが死去 日本初の女性弁護士
- ^ 鳥取市歴史博物館若桜町巡回展
- ^ 『第二十一版 人事興信録 下』ナ四六
- ^ 『官報』第14949号7頁 昭和51年11月5日号
- ^ 『官報』第17476号9-10頁 昭和60年5月15日号
外部リンク
[編集]議会 | ||
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先代 内村清次 |
参議院地方行政委員長 1954年 - 1955年 |
次代 小笠原二三男 |