三宅源之助
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三宅 源之助(みやけ げんのすけ、1874年(明治12年)2月16日[1] - 1930年(昭和5年)4月16日[2])は、日本の内務官僚。官選県知事。
経歴
[編集]香川県仲多度郡出身。三宅音四郎の三男として生まれる[3]。高等小学校を卒業し、小学校教員検定試験に合格して小学校教員となる[1]。1895年11月、弁護士試験に合格[2]。1897年12月、文官高等試験行政科試験に合格[4]。内務省に入省し内務属・北海道局兼県治局勤務となる[2]。
1898年8月、鹿児島県参事官に就任。以後、愛媛県参事官、同事務官・第三部長、鹿児島県事務官・第一部長、同兼第三部長、同内務部長、埼玉県理事官・内務部長、熊本県内務部長などを歴任[1][2]。
1914年4月、群馬県知事に就任。産米改良、県養蚕組合の設立、東毛湛水地方の排水工事、県会議事堂の新築などに尽力[3]。1917年9月、徳島県知事に転任。産米改良などに尽力した[1]。1919年4月に休職。1921年4月、休職満期となり退官した。1925年、財団法人浴風会(現社会福祉法人浴風会)が設立され常務理事に就任。死去するまで在任した[2]。