ハルドル・ラクスネス
Halldór Laxness ハルドル・ラクスネス | |
---|---|
誕生 |
1902年4月23日 デンマーク領アイスランド レイキャビク |
死没 |
1998年2月8日 (95歳没) アイスランド レイキャビク |
国籍 | アイスランド |
主な受賞歴 | ノーベル文学賞(1955) |
ウィキポータル 文学 |
|
ハルドル・キリヤン・ラクスネス(Halldór Kiljan Laxness アイスランド語: [ˈhaltour ˈcʰɪljan ˈlaxsnɛs] ( 音声ファイル)[1]、1902年4月23日 – 1998年2月8日)は、20世紀を代表するアイスランドの作家。1955年にノーベル文学賞を受賞した。ハルドール・ラックスネスと表記する資料もある[注 1]。
生涯
[編集]レイキャヴィーク出身。著作には詩、新聞記事、戯曲、寄稿、短編小説に加えて15作の長編小説がある。高校を中退し[2]、17歳の時に最初の小説"Barn náttúrunnar"(「自然の子」、未訳[注 2])を刊行。
カトリックに帰依し、ルクセンブルクにあるベネディクト会の修道院で神学を2年間学んだ[2]。キリヤン(Kiljan)の名はアイルランドの聖キリアン(Killian)の名をアイスランド語化したもの[1]。初期の秀作、1927年の"Vefarinn mikli frá Kasmír"(「カシミール出身の偉大な織り手」、未訳[注 2])にはシュルレアリスムとマルセル・プルーストの影響が顕著である。
アメリカ旅行ではアプトン・シンクレアと友誼を結んだ。その後カトリシズムを捨てて共産主義に走る。『独立の民』(1934)や"Salka Valka (1934-35)" (「サルカ・ヴァルカ」、未訳[注 2])には社会への関心が反映されている。続く時期に書かれた歴史ものの大作"Íslandsklukkan (1943-1946)"(「アイスランドの鐘」、未訳[注 2])と"Heimsljós (1937)" (「世界の光」、未訳[注 2])はラクスネスの代表作である。
その後、ソ連訪問時にスターリニズムの誤りに気付き、共産主義を見捨てた。1960年の"Paradísarheimt"(「天国を求めて」、未訳[注 2])では再び精神性を取り扱った。
晩年はアルツハイマー病にかかり、1995年から98年の死まで老人ホームで過ごした。
邦訳作品
[編集]- "Sjálfstætt fólk (1934)"
- リーリャ 坂井松太郎訳「世界文学大系 現代小説集」筑摩書房、1965
- "Kristnihald undir Jökli (1968)"
- 『極北の秘教』渡辺洋美訳.工作舎,1979.3.
- 魚釣り行 谷口幸男訳. 現代北欧文学18人集 新潮社、1987
- "Atómstöðin (1948)"
- 『原爆基地』山室静訳 ノーベル賞文学全集 (主婦の友社) 1972
山室静『アイスランド』(紀伊国屋書店)には、ラクスネスの訪問記が収録されている。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b en:Halldór Laxness 14:55, , 14 September 2009
- ^ a b 『ノーベル賞文学全集 13』(主婦の友社、1972年)p123-133「人と作品(ソルステインソン著、山口琢磨訳)」