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エイジア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エイジア
USA.ノーウォーク公演(2006年9月)
基本情報
出身地 イングランドの旗 イングランド
ジャンル
活動期間
レーベル
公式サイト Original Asia | The Official Asia Web Site
メンバー
旧メンバー 別記参照

エイジアAsia)は、イングランド出身のプログレッシブ・ロックバンド。プログレッシブ・ロックの分野などから多くのアーティスト達が参加してきた「スーパーグループ」の一面を持ち、その活動は35年以上に及ぶ。

概要

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バンドのロゴ

1982年デビュー。メンバー全員が、既に世界的なキャリア/知名度を得ていたミュージシャンであったため、デビューの時点からスーパーグループとして注目された。「プログレッシブ・ロックのエッセンスをポップスとして鏤めた3分半の楽曲」というスタイルに沿ったファースト・アルバム『詠時感〜時へのロマン』は数か月後には全米No.1を9週キープ[注釈 1]、全世界で1500万枚のセールスを達成して、このスタイルを確立させた。同アルバムからシングルカットされた「Heat Of the Moment」は全米ロックチャート1位、全米ポップチャートでも4位となり、商業的にも成功を収めている。

アルバム・デビューの時点のメンバーは、ジョン・ウェットン(ボーカル、ベース/元キング・クリムゾンU.K.)、スティーヴ・ハウ(ギター、ボーカル/元イエス)、カール・パーマー(ドラム/元エマーソン・レイク・アンド・パーマー)、ジェフ・ダウンズ(キーボード/元バグルス、イエス)。幾多のメンバー・チェンジを繰り返したが、2007年にはオリジナル・メンバー4人での「初来日コンサート」が実現し、続く2008年にも来日を果たしている。

  • オリジナル・ラインナップ (2006年 USA.ノーウォーク公演のショット)

来歴

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スーパーグループ誕生(1981年 - 1983年)

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1970年代末から1980年代初頭、数々のプログレッシブ・ロック・バンドの解散と、若く才能あふれるミュージシャンの台頭が契機となり、エイジア結成のプランは流動的に動き始めた[注釈 2]

1980年、イエスからトレヴァー・ホーンクリス・スクワイアアラン・ホワイトが脱退し[注釈 3]、残されたハウとダウンズは解散を決定。マネージャーだったブライアン・レーンはウェットン[注釈 4]をハウに引き合わせて[注釈 5]新しいバンドの結成を企画した。ウェットンとハウは一緒に曲作りをして、デビュー・アルバムの約半分を書き上げた。当初はサイモン・フィリップスがドラマーを務めたが、その後パーマーに交代、キーボーディストにはキース・エマーソンの加入も企画されたが、結局はハウの紹介によりダウンズが加入。ここにオリジナル・メンバーが揃い[注釈 6]、アルバム制作の頃までにウェットンとダウンズという曲作りのチームが出来上がった。バンド名はレーンが提案したエイジア(Asia)に決定。イエス解散後に彼がマネージメントするバンドとして、ロジャー・ディーンのアートワークとバンド名のロゴも採用された。1982年3月8日、ディーンのイラストをジャケットに使ったファースト・アルバム『詠時感〜時へのロマン』とシングル「Heat of the Moment」が発表され、上記の商業的な成功を収めた。

1983年にはセカンド・アルバム『アルファ』を発表。全曲がウェットンとダウンズの作曲チームの楽曲で[注釈 7]、シングル「Don't Cry」が全米ポップチャート10位、全米ロックチャート1位となりアルバムも全米6位となる。しかし記録的ヒットを収めた前作の1/5ほどの売上に留まり、ツアーの観客動員数も減ってしまった。バンド内で軋轢が始まり、1983年の初来日ツアー前に、ウェットンはアルコール中毒になっていたという理由で解雇された。

レイクへの交代(1983年)

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ウェットンの後任には、元キング・クリムゾン、元エマーソン・レイク・アンド・パーマー(ELP)でボーカリスト兼ベーシストのグレッグ・レイクがパーマーとの縁で招集された。これによってメンバーは元ELPが2人、元イエスが2人になった。三重県志摩市ヤマハの合歓の郷で1か月に渡るリハーサルが行なわれた[注釈 8]

1983年12月6日から、日本公演を皮切りにワールド・ツアーが開始された。日本では4公演が開催され、同年12月7日の日本武道館での東京公演の模様をアメリカに衛星生中継するというMTVの企画『ASIA in ASIA』が行われた。この公演はアメリカの放送時間に合わせて日本では平日の昼間に行われ、演奏時間も短かったため入場料は安く設定された。テレビ神奈川(tvk)でも、同日14:00-14:54に特別番組「武道館から初の衛星生中継!ASIA in ASIA 独占生中継」として一部が同時生中継された[注釈 9]。レイクは歌詞を完全には覚えられなかったので、テレプロンプターのモニターに表示される歌詞を見ながら歌った。彼の声域はウェットンのそれより低いため、楽曲のキーを半音下げるなど苦労し、結果的にぎくしゃくとした演奏になってしまった[5]が、公演は無事に終了した。MTVの番組『ASIA in ASIA』は後に『エイジア・イン・エイジア/ライブ・イン・武道館』としてビデオ化され、ビデオテープ、レーザーディスクで市販された。

ウェットンの復帰と解散(1984年 - 1985年)

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1984年にはウェットンが復帰した。しかし彼とハウとの仲はうまくいかず、サード・アルバムのリハーサル中にハウが脱退。10か月以上の月日を後任のギタリストのオーディションを費やした後[5]、ウェットン主導の人事でマンディ・メイヤーを迎えた。彼等は25曲録音して10曲を厳選し、1985年にサード・アルバム『アストラ』を発表した。このアルバムは日本ではオリコン15位を記録するが、全米では67位、シングル「Go」は全米ロックチャート7位、全米ポップチャート46位にとどまり、前作までの巨大な成功とは程遠いものとなった。ウェットンは「なぜ急に売れなくなったのかわからない、あれだけの作品で売れなければ今後何を作ればいいんだ」と語り、失意の元、レーンから解雇された。さらにバンドの活動は凍結され、事実上の解散状態に陥った。

再始動〜ダウンズの主導期(1989年 - 2004年)

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2001年のライブ

1989年ゲフィン・レコードA&Rであったジョン・カロドナーが再結成を提案したが、当時ABWHに参加していたハウは参加できず、ウェットン、ダウンズ、パーマーの3人でA面5曲が過去のヒット曲、B面4曲が未発表曲という変則アルバム『ゼン・アンド・ナウ』を発表した。ギター・パートはスティーヴ・ルカサーTOTO)やスコット・ゴーハム(元シン・リジィ)らが演奏した。またドラム・パートにも、後日ジョン・ペイン英語版ジェフ・ダウンズ主導のエイジアに参加するマイケル・スタージスが演奏したものがある。ツアーのギタリストにはゲイリー・ムーアグレン・ヒューズの推薦を得たパット・スロールを迎えた。日本公演は成功に終わり[注釈 10]モスクワ公演からはライブ・アルバム『ライヴ・モスクワ09-X1-90』が発表された。しかしアメリカ・ツアーの日程が組めなかったことから、ウェットンは自分達にはもはや懐メロバンドとしての需要しかないと感じて、南米ツアーの後に脱退した[注釈 11]。同時期にスロールも脱退した。

ダウンズはジョン・ペインを加入させて活動を続けたが、もはやエイジアの活動というよりもダウンズのソロ・プロジェクトの色彩が強まって行った。ダウンズとペイン以外はゲスト・アーティストが多くなり、ツアーのメンバーの顔ぶれは非常に流動的になった[注釈 12]。ハウはアルバム『アクア』には参加したが、その後のツアーにはゲストとして参加するに留まり、再びエイジアから離れてイエスに戻った。ペインとダウンズの双頭体制の下で制作されたアルバム『サイレント・ネイション』(2004年)では、それまでジャケットのアートワークを手がけていたディーンを起用せず、最初と最後のアルファベットがAである単語[注釈 13]をアルバムのタイトルにする方式を放棄した。

オリジナル・ラインナップでの再結成〜ウェットンの死去(2005年 - 2017年)

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2000年代中ごろ、ウェットンとダウンズが偶然再会して共作アルバムのレコーディングをはじめ、2005年4月には"ウェットン/ダウンズ(Wetton/Downes)"名義でアルバム『アイコン(iCon)』を発表。このころから二人を中心にウェットン、ダウンズ、ハウ、パーマーのオリジナル・メンバーによる再結成に向けた話し合いが行われ、2006年4月にはダウンズがペインらとのパートナーシップを解消する旨を発表。同時にオリジナル・ラインナップでのアルバム制作とコンサート・ツアーを実施する方向であることも正式に発表された。なおウェットン/ダウンズは以後も2枚のスタジオアルバムを制作している。

一方、ペイン体制下で制作が予定されていたニュー・アルバム『ARCHITECT OF TIME』は中止になり、その楽曲は最終的に離脱したペインらが主導した別プロジェクトに使用された。(#エイジア・フィーチャリング・ジョン・ペインも参照)

スティーヴ・ハウ(左)とカール・パーマー(2006年9月10日)

ウェットン/ダウンズはその後も2006年にライブ・アルバム『アイコン・ライブ(iCon Live~Never In A million years)』、『ルビコン(iConII)』(2006年10月)をリリースした。2人はスティーヴ・クリスティ、ジョン・ミッチェルを加えたアイコン・バンドでのツアーと前述の再結成エイジアでのツアーを平行して行っており、アイコン・バンドが先に来日を果たしたが、再結成エイジアも2006年中に全英及び全米ツアーを終え、翌年3月にはオリジナル・メンバーでは初の日本公演を果たしている。2008年4月にオリジナル・メンバーによるスタジオ・アルバム『フェニックス』を発表。ジャケットのアートワークは再びディーンが担当した。2010年には同じ顔ぶれで『オメガ』を発表した。同時期に、ハウの参加しているイエスとジョイント・ツアーを行い、ハウが第一部のエイジアと第二部のイエスのどちらでも演奏した。

2010年7月にはロンドンで行われたイベント「ハイ・ヴォルテージ・フェスティヴァル」に出演。

2011年バグルスのマテリアルでもある当時の新作『フライ・フロム・ヒア』を収録していたイエスは、キーボードを担当していたオリヴァー・ウェイクマン解雇し[要出典]て、ダウンズを参加させた。その後のイエスのツアーと次回作にダウンズが参加し、エイジアとイエスの双方に籍を置くこととなる。

2012年には結成30周年記念アルバム『XXX〜ロマンへの回帰』をリリース。同年9月には30周年記念ジャパンツアーが開催された。

2013年1月、再度のハウの脱退、後任にサム・クールソンが参加することが発表され、メンバー・チェンジ後の初ライブが同年6月5日にイギリスのミルトン・キーンズに行なわれた。この編成にて録音されたアルバム『グラヴィタス〜荘厳なる刻(そうごんなるとき)』 [6] が2014年3月にリリースされている。

2016年12月、レイク死去。

2017年1月、ウェットン死去[7]。オリジナル・メンバーの再結集は不可能になった。

現在(2017年以降)

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ビリー・シャーウッドがウェットンの代役を務め、2017年3月から6月までジャーニーと、7月からはフォリナーとツアーを行った。ハウが復帰してのウェットン追悼公演が企画されて日程も決まったが、その後キャンセルされた。

2019年4月、イエスの「ザ・ロイヤル・アフェアー・ツアー」が発表され、同年6月と7月に行なわれるツアーにはエイジア他が参加することが明らかになった。メンバーはダウンズ、パーマー、シャーウッド、新メンバーのロン・“バンブルフット”・サール(ボーカル、ギター)。ハウがゲスト参加する。

2024年4月、ジェフ・ダウンズ(キーボード)、ハリー・ウィットリー(ボーカル、ベース)、ジョン・ミッチェル(ギター、イット・バイツ)、ヴァージル・ドナティ(ドラムス、プラネットX)による新ラインナップで新生エイジアとして再始動し、7月から北米ツアー『The Heat Of The Moment Tour』を行うことを発表した[8]

メンバー(エイジア)

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オリジナル・メンバー

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  • ジョン・ウェットン(John Wetton) - ボーカル、ベース(キング・クリムゾン、U.K.)
  • ジェフ・ダウンズ(Geoffrey Downes) - キーボード(バグルス、イエス)
  • スティーヴ・ハウ(Steve Howe) - ギター、ボーカル(イエス)
  • カール・パーマー(Carl Palmer) - ドラムス(エマーソン・レイク・アンド・パーマー)

現メンバー(2024年4月時点)

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旧メンバー (オリジナル・メンバーを含む)

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ゲスト

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メンバーの変遷

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ボーカル・ベース ギター キーボード ドラムス
1981 - 1983 ジョン・ウェットン スティーヴ・ハウ ジェフ・ダウンズ カール・パーマー
1983 - 1984 グレッグ・レイク スティーヴ・ハウ ジェフ・ダウンズ カール・パーマー
1984 ジョン・ウェットン スティーヴ・ハウ ジェフ・ダウンズ カール・パーマー
1984 - 1985 ジョン・ウェットン マンディ・メイヤー ジェフ・ダウンズ カール・パーマー
1985 - 1989 活動停止中
1989 ジョン・ウェットン パット・スロール ジェフ・ダウンズ
ジョン・ヤング
カール・パーマー
1989 - 1992 ジョン・ペイン ジェフ・ダウンズ
1992 - 1994 ジョン・ペイン アル・ピトレリ ジェフ・ダウンズ
1994 - 1996 ジョン・ペイン アジス・イブラヒム
エリオット・ランドール
ジェフ・ダウンズ
1996 - 2004 ジョン・ペイン ジェフ・ダウンズ
2004 - 2005 ジョン・ペイン ガスリー・ゴーヴァン ジェフ・ダウンズ クリス・スレイド
2005 - 2006 ジョン・ペイン ガスリー・ゴーヴァン ジェフ・ダウンズ ジェイ・シェレン
2006 - 2012 ジョン・ウェットン スティーヴ・ハウ ジェフ・ダウンズ カール・パーマー
2013 - 2017 ジョン・ウェットン サム・クールソン ジェフ・ダウンズ カール・パーマー
2017 - 2018 ビリー・シャーウッド サム・クールソン ジェフ・ダウンズ カール・パーマー
2019 - ビリー・シャーウッド ロン・サール ジェフ・ダウンズ カール・パーマー

ディスコグラフィ

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スタジオ・アルバム

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ライブ・アルバム

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  • ライヴ・モスクワ09-X1-90』 - Live in Moscow(1991年)
  • 『ライヴ・イン・ノッティンガム1990』 - Now - Live in Nottingham(1997年)
  • Live in Philadelphia(1997年)
  • 『ライヴ・イン・ジャパン92』 - Live in Osaka(1997年)
  • Live in Koln(1997年)
  • 『ライヴ・アット・ザ・タウン・カントリー・クラブ』 - Live at the Town & Country Club(1999年)
  • 『ライヴ・アコ-スティック』 - Live Acoustic(1999年)
  • Alive in Hallowed Halls(2001年)
  • Asia / Boston: Winning Combination(2001年)
  • Asia Enso Kai (Live in Tokyo)(2001年)
  • Alive in Hallowed Halls(2001年)
  • America: Live in the USA(2002年)
  • Quadra(2002年)
  • 『武道館’83』 - Live at Budokan(2002年)
  • Bedrock in Concert(2002年)
  • 『ドラゴン・アタック』 - Dragon Attack(2003年)
  • 『ライヴ・イン・バッファロー 1982・05・03』 - Live in Buffalo(2003年)
  • 『ライヴ・イン・マサチューセッツ 1983・08・19』 - Live in Massachusetts '83(2004年)
  • 『ライヴ・イン・ヒョウゴ 1990・09・24』 - Live in Hyogo(2004年)
  • Different Worlds Live(2005年)
  • Extended Versions(2007年)
  • ファンタジア〜ライヴ・イン・トーキョー』 - Fantasia: Live in Tokyo(2007年)
  • Asia - Live Around the World(2010年)
  • 『スピリット・オブ・ザ・ナイト~ザ・フェニックス・ツアー・ライヴ・イン・ケンブリッジ2009』 - Spirit of the Night - Live in Cambridge 09(2010年)
  • Live at the London Forum (The Omega Tour)(2011年)
  • 『レゾナンス-オメガ・ツアー~ライヴ・イン・バーゼル 2010』 - Resonance - The Omega Tour 2010(2012年)
  • 『ハイ・ヴォルテージ・ライヴ 2010』 - High Voltage - Live(2014年)
  • 『エイジア・ライヴ・イン・サンフランシスコ 2012』 - Axis XXX Live in San Francisco MMXII(2015年)
  • Live in America(2015年)
  • 『シンフォニア~ライヴ・イン・ブルガリア2013』 - Symfonia - Live in Bulgaria 2013(2017年)

コンピレーション・アルバム

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  • 『オーロラ』 - Aurora(1986年)※4曲入り、日本盤のみ
  • ゼン・アンド・ナウ』 - Then & Now(1990年)
  • Archiva Vol. 1(1996年)
  • Archiva Vol. 2(1996年)
  • Archives: Best of 1988–1997(1997年)
  • 『ザ・ベスト・オブ・エイジア~アンソロジー1982-1997~』 - Anthology - The Best of Asia 1982-1997(1997年)
  • 『アクシアムス~ヒストリー・オブ・エイジア』 - Axioms(1999年)
  • The Very Best of Asia: Heat of the Moment (1982–1990)(2000年)
  • The Collection(2000年)
  • The Best of Asia Live(2000?年)
  • 『アンソロジア』 - Anthologia – The 20th Anniversary – Geffen Years Collection (1982–1990)(2002年)
  • Classic Asia - Universal Masters Collection(2002年)
  • 20th Century Masters - The Millennium Collection: The Best of Asia(2003年)
  • History of Asia(2004年)
  • 『エイジア・ゴールド』 - Gold(2005年)
  • Definitive Collection(2006年)

シングル

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※日本盤シングルのみ

  • 「ヒート・オブ・ザ・モーメント」 - "Heat of the Moment"(1982年)
  • 「時へのロマン」 - "Only Time Will Tell"(1982年)
  • 「ドント・クライ」 - "Don't Cry"(1983年)
  • 「いつわりの微笑み」 - "The Smile Has Left Your Eyes"(1983年)
  • 「ザ・ヒート・ゴーズ・オン」 - "The Heat Goes On"(1983年)
  • 「ゴー」 - "Go"(1985年)

ボックスセット

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  • 『Official Live Bootlegs volume 1』(2021年) - 米・ニューヨーク州バッファロー公演(1982年5月)、米・マサチューセッツ州ウースター公演(1983年8月)、ブラジル・サンパウロ公演(2007年)、東京公演(2008年)、英・ロンドン公演(2010年)の模様をそれぞれ2枚のCDに収めた全CD10枚組のボックスセット[10]

映像作品

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DVD
VHS/LD
  • 『ライブ・イン・武道館/エイジア・イン・エイジア』 - ASIA IN ASIA
    1983年12月7日の日本武道館での東京公演が、アメリカのMTVによって衛星生中継された時のライブ映像(時差の関係でアメリカでは同年12月6日放送)。VHSビデオ・テープ及びレーザーディスクで発売された。解雇されたウェットンに代ってレイクがベースとボーカルを担当している。

日本公演

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  • 2014年 ASIA Live in Japan 2014
    • 6月17日 Zepp Nagoya
    • 6月18日 サンケイホールブリーゼ
    • 6月19日、20日 渋谷公会堂

エイジア・フィーチャリング・ジョン・ペイン

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  • エイジア
  • フィーチャリング・ジョン・ペイン
2011年のグループショット
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス
ジャンル
活動期間 2007年 -
レーベル
公式サイト 公式ウェブサイト
メンバー
  • ジョン・ペイン(ボーカルベース
  • ジェフレイ・コールマン(ギター
  • モニ・スカリア(ギター)
  • ジョン・フェデヴィッチ(ドラムス)
  • ジェイミー・ホスマー(キーボード
旧メンバー 別記参照

エイジア・フィーチャリング・ジョン・ペインAsia Featuring John Payne)は、アメリカ合衆国出身のプログレッシブ・ロックバンド

もうひとつのエイジア

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創設者ジョン・ペイン(B)2011年

1989年ジョン・ウェットンが脱退したエイジアはジェフ・ダウンズの主導体制になり、後任としてジョン・ペインを迎えての編成で活動していた。しかし2006年、ダウンズはオリジナル・ラインナップのバンド再興を企図。ペイン、ガスリー・ゴーヴァンジェイ・シェレンら現行のメンバーは解消され、離脱を余儀なくされてしまった。

その後3人は、日本のキーボーディスト・奥本亮スポックス・ビアード、元クリエイション)を加え、新ユニット「GPS (バンド名は3人のイニシャル)」を結成し、同年にアルバム『ウィンドウ・トウ・ザ・ソウル』を発表。エイジアの新作としてリリースするはずだったアルバム『Architect of Time』の楽曲を同アルバムに使用している。

2007年、ペインとゴーヴァンはプロモーションを兼ねて来日。その後エイジア・オリジナル・メンバーの合意を得て、「初期から現在までの全ての曲」を演奏するエイジアのトリビュートバンド「エイジア・フィーチャリング・ジョン・ペイン」を結成した。同年にライブ・アルバム『Extended Versions』(2012年、「Risen Sun」のタイトルで再発)を発表する。

2009年のツアーでは、ギタリストがミッチ・ペリー、キーボードがエリク・ノーランダーとなり、2012年にはギタリストがジェフレイ・コールマンに交代した。

2014年にカヴァー・アルバム『Recollections: A Tribute to British Prog』を発表[11]。またノーランダーに替わり、「GPS」の同僚だった奥本亮(Ryo Okumoto)が加入。

2018年になり、ペインとノーランダーが中心となってデュークス・オブ・ジ・オリエントDukes of the Orient)という新しい名前で同名アルバムがリリースされた。

メンバー(エイジア・フィーチャリング・ジョン・ペイン)

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現ラインナップ
  • ジョン・ペイン(John Payne) - ボーカル/ベース(2007年 - )
  • ジェフレイ・コールマン(Jeffrey Kollman) - ギター(2012年 - )
  • モニ・スカリア(Moni Scaria) - ギター(2012年 - )
  • ジョン・フェデヴィッチ(John Fedevich) - ドラムス(2017年 - )
  • ジェイミー・ホスマー(Jamie Hosmer) - キーボード(2017年 - )
旧メンバー
  • エリク・ノーランダー(Erik Norlander) - キーボード(2007年 - 2014年)
  • ガスリー・ゴーヴァン(Guthrie Govan) - ギター(2007年 - 2009年)
  • ミッチ・ペリー(Mitch Perry) - ギター(2009年 - 2011年)
  • ブルース・ボウイレット(Bruce Bouillet) - ギター(2011年 - 2012年)
  • ジェイ・シェレン(Jay Schellen) - ドラムス(2007年 - 2016年)
  • 奥本亮(Ryo Okumoto) - キーボード(2014年 - 2017年)

ディスコグラフィ(エイジア・フィーチャリング・ジョン・ペイン)

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ライブ・アルバム
  • Extended Versions / Scandinavia(2007年 / 2012年)
カヴァー・アルバム
  • Recollections: A Tribute to British Prog(2014年)

脚注

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注釈

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  1. ^ 1982年5月15日と22日付けで1位。その後3週間はポール・マッカートニーの『タッグ・オブ・ウォー』が1位となったが、6月19日付けで返り咲き、7月31日付けまで7週間1位を続けた(1982 Archive | Billboardを参照)。
  2. ^ リック・ウェイクマンのアルバム『罪なる舞踏』の2003年リマスター盤CDに収録されたライナーノーツによると、1980年頃にゲフィン・レコードから「リック・ウェイクマン、ジョン・ウェットン、カール・パーマー、トレヴァー・ラビンでバンドを結成して欲しいという打診があった。実現には至らなかったが、同ライナーノーツではこの構想が後にエイジアに繋がったとされている。しかし、この件についてはウェイクマン本人もブライアン・レーンも全面否定している。トレヴァー・ラビンによると、ラビンはキース・エマーソンとエイジアを結成するという案もあったようである。
  3. ^ ホワイトとスクワイアはジミー・ペイジとバンドを結成する為に脱退した。
  4. ^ 当時、ウェットンはレーンの秘書と結婚していた。
  5. ^ かつて、レーンはリック・ウェイクマンビル・ブルーフォード、ウェットンのスーパー・トリオを企画したがうまくいかなかった経験があり、その時からウェットンに協力的だった。
  6. ^ その他、結成メンバーの他に候補として挙ったアーティストは、ロイ・ウッド、アラン・ホワイト、トレヴァー・ラビンロバート・ベリーなど。
  7. ^ うち1曲はウェットンの単独作。初期の中心メンバーだったハウが作曲に参加した楽曲は無し。
  8. ^ ゲネプロヤマハリゾートつま恋(静岡県掛川市)で行う予定だった。しかし直前の11月22日、レクリエーション施設で発生したつま恋ガス爆発事故で14名が死亡するという大惨事が起きる。ゲネプロは名古屋港近くの施設に移動した。
  9. ^ 司会は(当時の)テレビ神奈川の番組「ファンキートマト」の植田芳暁。ゲストは白井貴子。生中継の公演の模様が14:05頃-14:38頃迄放送された。その後、ニューヨークでMTVでの生中継の模様を観ている日野皓正の国際電話でのインタビューもあった。番組終盤の 14:45頃-14:50頃にも武道館からの生中継の模様が放送された。この特別番組の直前に放送の番組「おしゃべりトマト」でも同出演者にてエイジアの紹介がされていた)。
  10. ^ この時、TBSの深夜のテレビ番組「三宅裕司のいかすバンド天国」にゲスト出演している。
  11. ^ ソロ契約を得たことも一因だった。
  12. ^ アルバム『アリーナ』のレコーディングには布袋寅泰が参加している。
  13. ^ バンド名(ASIA)と同様。

出典

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  1. ^ a b Boone, Brian (2011). I Love Rock 'n' Roll (Except When I Hate It). New York City: TarcherPerigee. p. 20. ISBN 978-1-101-51731-4 
  2. ^ Moser, John J. (2019年6月13日). “REVIEW: Yes, Asia and more make prog rock fresh again at Sands Bethlehem Event Center”. The Morning Call. Tribune Publishing. 2023年5月13日閲覧。
  3. ^ Ling, Dave (2023年2月24日). ““I really didn’t expect the scale of the success”: The story behind Asia's self-titled debut album”. Louder. Future Publishing Limited. 2023年5月13日閲覧。
  4. ^ Deggans, Eric (1998). “Asia”. In Graff, Gary; Durchholz, Daniel. MusicHound Rock: The Essential Album Guide. Detroit: Visible Ink Press. pp. 44-45. ISBN 978-1-578-59061-2 
  5. ^ a b MCAビクター『アストラ』(1992年)伊藤秀世によるライナーノーツより
  6. ^ (Gravitas)
  7. ^ エイジアのジョン・ウェットンが死去。享年67 - RO69
  8. ^ a b エイジアが新ラインナップで再始動 ジェフ・ダウンズ+ジョン・ミッチェル+ヴァージル・ドナティ+ハリー・ウィットリー”. amass.jp (2024年4月24日). 2024年5月2日閲覧。
  9. ^ 出典:ROCK STREAM =JOHN PAYNE - GUTHRIE GOVAN (GPS) SPECIAL INTERVIEW!!=(日本語)
  10. ^ エイジアの10CDボックスセット『The Official Live Bootlegs Volume 1』、11月発売”. MUSIC LIFE Club(株式会社シンコーミュージック・エンタテイメント). 2021年11月24日閲覧。
  11. ^ エイジア・フィーチャリング・ジョン・ペイン、英プログレ・バンドのカヴァー集『Recollections: A Tribute To British Prog』を発売 - amass

外部リンク

[編集]