コンテンツにスキップ

ドン・エイリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ドン・エイリー
Don Airey
ディープ・パープル - ドイツ・ハンブルク公演 (2017年3月)
基本情報
出生名 Donald Airey
生誕 (1948-06-21) 1948年6月21日(76歳)
出身地 イングランドの旗 イングランド
サンダーランド
ジャンル ハードロック
ヘヴィ・メタル
担当楽器 キーボード
活動期間 1974年 - 現在
共同作業者 ディープ・パープル
レインボー
オジー・オズボーン
ブラック・サバス
エレクトリック・ライト・オーケストラ
ゲイリー・ムーア
ジューダス・プリースト

ドン・エイリー英語: Donald Smith "Don" Airey1948年6月21日 - )は、イギリスタインアンドウィア州サンダーランド出身のミュージシャン

作曲編曲の他、キーボードを担当。数多くのバンドやプロジェクトに参加している。熱心なサンダーランドAFCのサポーター。エアエイ、エイレイなど呼び方がある。身長180cm。

略歴

[編集]
駆使している鍵盤機材 (2013年)

幼い頃からクラシックピアノを学び、ノッティンガム大学を経て英国王立ノーザン音楽大学で学位を取得卒業する。1972年にプロフェッショナルな音楽活動を開始し、コージー・パウエルズ・ハマーの「Na Na Na」(1974年)でレコーディング・デビューする。

1976年から1978年にかけて、ゲイリー・ムーアらと共にジャズ・ロック・バンド、コロシアムIIで活動。セッション・プレイヤーとしても活動しブラック・サバスのアルバム『ネヴァー・セイ・ダイ』(1978年)の録音に参加した後、1979年リッチー・ブラックモアのグループ、レインボーに加入。『ダウン・トゥ・アース』(1979年)、『アイ・サレンダー』(1981年)のアルバム2枚の録音を残す。収録曲「Difficult To Cure」はベートーヴェンの「交響曲第9番」をアレンジした曲でグループのカラーに貢献した。しかし、コージー・パウエルの後任のドラマー、ボビー・ロンディネリとはウマが合わず、やがて方向性の違いから、『アイ・サレンダー』のアルバム・ツアー終了後に脱退した。

脱退後、オジー・オズボーンとゲイリー・ムーアのレコーディングやツアー・メンバーとしてキャリアを成す。1987年にはジェスロ・タルの公式メンバーとなり、ヨーロッパ及びアメリカ・ツアーに参加するが、1988年1月には脱退してソロ・アルバム『K2—栄光と悲劇の物語—』の制作に入る[1]。1980年代からはほぼスタジオ・ミュージシャン、編曲者として主にハード・ロック/ヘヴィメタルのアーティストのレコーディングで活躍。1997年ユーロビジョン・ソング・コンテストの英国代表であるカトリーナ・アンド・ザ・ウェイヴスEBU 1997出展作品Love Shine a Lightの編曲とオーケストラ指揮を担当、英国に優勝をもたらしている。

仕事が散発的になっていた時代を経て、ウリ・ジョン・ロートのライブやレコーディングに参加。その後、2002年にはディープ・パープルジョン・ロードの後任として加入し、活動を続けている[2]

トリヴィア

[編集]

1982年3月19日、ランディ・ローズが飛行機事故による墜落死したこの日、奇しくもドンはセスナに乗る順番がランディより先だった為間一髪墜落死を免れた。

ディスコグラフィ

[編集]

ソロ・アルバム

[編集]

コロシアムII

[編集]
  • 『ストレンジ・ニュー・フレッシュ』 - Strange New Flesh (1976年)
  • 『エレクトリック・サヴェイジ』 - Electric Savage (1977年)
  • 『ウォーダンス』 - War Dance (1977年)

コージー・パウエル

[編集]

レインボー

[編集]

マイケル・シェンカー

[編集]

オジー・オズボーン

[編集]

ゲイリー・ムーア

[編集]

ウリ・ジョン・ロート

[編集]
  • 『トランセンデンタル・スカイ・ギター〜天上の至楽』 - Transcendental Sky Guitar (2000年)
  • 『レジェンズ・オブ・ロック〜ライヴ・アット・キャッスル・ドニントン』 - Legends of Rock Live at Castle Donington (2002年)
  • メタモルフォシス〜天界の旅』 - Metamorphosis (2003年)

ディープ・パープル

[編集]

その他の参加作品

[編集]
「A TOUCH OF EVIL」にキーボードで参加。体調不良でレコーディングに参加出来なかった同バンドのベーシストであるイアン・ヒルの替わりに、全ての曲をミニモーグによるシンセベースで演奏した。なお、クレジットには表記されておらず、この事実が明らかになったのは、発売から30年後の2020年である[3]
  • グラハム・ボネット: 『ヒア・カムズ・ザ・ナイト』 - Here Comes the Night (1994年)
  • リヴィング・ラウド: 『リヴィング・ラウド』 - Living Loud (2003年)

関連項目

[編集]

脚注

[編集]

外部リンク

[編集]