小松 一郎(こまつ いちろう、1951年3月8日 - 2014年6月23日)は、日本外交官

小松 一郎
こまつ いちろう
生年月日 1951年3月8日
出生地 日本の旗 兵庫県神戸市
没年月日 (2014-06-23) 2014年6月23日(63歳没)
死没地 日本の旗 東京都杉並区
出身校 一橋大学法学部中退
エクス=アン=プロヴァンス政治学院
前職フランス特命全権大使
現職 内閣法制局長官
内閣官房参与(在任中薨去)
称号 瑞宝大綬章
レジオンドヌール勲章コマンドゥール
正三位

内閣 第2次安倍内閣
在任期間 2013年8月8日 - 2014年5月16日

内閣 野田内閣
野田第1次改造内閣
野田第2次改造内閣
野田第3次改造内閣
第2次安倍内閣
在任期間 2011年 - 2013年
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長く国際法関係を担当し、外務省欧州局長、国際法局長、駐フランス特命全権大使内閣法制局長官を歴任。

フランス共和国レジオンドヌール勲章コマンドゥール[1]正三位瑞宝大綬章を受章[2]

略歴

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兵庫県出身。銀行員の父の仕事の関係で中学2年から神奈川県に移り[3]聖光学院中学校・高等学校に入学。外務公務員I種試験(=外交官採用試験)合格を機に一橋大学法学部を3年で中退、1972年外務省に入省。

松本純自由民主党衆議院議員、内閣府特命担当大臣)や武智健二(イー・アクセス株式会社執行役員副社長、元総務省自治行政局長)、大口清一(元国土交通審議官)は高校の同級生。武智健二とは高校時代成績トップを競った仲だが、東大紛争東京大学入試が中止になった世代にあたるため、小松は一橋大学に、武智は京都大学に進学した。

また武智が内閣法制局参事官を務めていた際は、条約課長を務めていた小松の作成する国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律案について審査を行った[4]

外務省では、希望通りフランス語研修に選ばれ、グルノーブル大学、エクス=アン=プロヴァンス政治学院留学を経て、在フランス日本国大使館に着任。

1982年フランソワ・ミッテラン大統領来日時には通訳を務めた。

長く国際法畑を歩み、条約局条約課課長補佐、条約局法規課長、条約局条約課長、条約局担当参事官、条約局審議官を経て、2005年から2008年まで、条約局から改組された国際法局長を務めた。

2006年6月に行われた大韓民国との排他的経済水域境界画定交渉に日本代表として参加。2007年には第1次安倍内閣で、日本国憲法第9条集団的自衛権の行使を禁ずるものではないと、従来の内閣法制局見解とは異なる解釈を示した安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会の立案実務を担当[5]。また、同年5月11日衆議院イラク復興支援特別委員会において、テロ対策特別措置法に関し、自衛隊インド洋派遣について「自衛権の行使として説明しなければならないものではない」と説明した。

2011年、駐フランス特命全権大使に就任。

2012年11月10日付で、ル・モンド紙に尖閣諸島の領有権が日本にあることを主張する一文を寄稿した[6]

また国際法的な観点から領有権を主張するフランス語のカラーの資料を作成し、各種会合や大学、メディア、国民議会フランス陸軍関係機関で説明を行った。同資料は、外務省により他のロマンス諸語にも翻訳され、ラテン系諸国での説明にも 用いられた[7]

2013年8月8日付で、駐フランス大使から内閣法制局長官に就任した[8]。就任時のインタビューで、集団的自衛権の行使を禁じているとの憲法解釈を積極的に見直す考えを明らかにした[9]

2014年1月23日通常国会の開会直前に体調不良を訴えて虎の門病院に入院。診断の結果、余命短い末期癌であることが発覚し、内閣法制次長横畠裕介が内閣法制局長官事務代理となった[10]

同年1月31日に見舞いに訪れた安倍晋三内閣総理大臣から進退につき尋ねられると、「自分の残りの人生をかけて、この責任をまっとうさせてください。」と長官続投の意思を伝え、1か月後の2月24日、公務に復帰した[11][12]。復帰後も週1回程度通院し、抗癌剤治療を続けた。

同年3月4日参議院予算委員会では、日本共産党小池晃参議院議員がイラク特措法テロ特措法の条文解釈について菅義偉内閣官房長官に質問したのに、率先して答弁に立ち、質問にないことについても答弁が及んだため「私が聞いたことにちゃんと答えてくださいね。後半だけ聞いたんですよ。憲法の番人なんだから、安倍政権の番犬みたいなことをしないでください。」[13]と言われた。これに対して、翌日の同委員会において、他党の議員からの質問に「…ところで、昨日の本委員会の御審議において、他の党の所属の委員ではございますが、御質問の中で安倍内閣の番犬という御発言がございました。私としてはこのような御指摘をお受けすることはできません。この委員の所属されている政党は日頃、国民の基本的人権を殊更重視しておられます。僣越でございますが、私は内閣法制局長官として、国家公務員にもプライバシーや名誉に関わるものを含め憲法上基本的人権が保障されているということを申し上げたいと思います。」と答弁した[14]

同年3月7日の参議院予算委員会終了後、国会内の廊下で、日本共産党の大門実紀史参議院議員から「『番犬』の表現は不適切だったが、反論するなら、うち(日本共産党)の質問の時にしてほしい」「あなたはそんなに偉いのか」と言われたため、「偉くはないが基本的人権はある」と言い返し、衆人環視のもと激しい口論となった[15][16]。この問題で野党側から釈明を求められ、3月11日に参議院予算委員会理事会で謝罪した。3月12日には大門の事務所で謝罪したが[17]、その場で大門が「お辞めになって療養すれば」と伝えたことに、「そういうことを言うべきではない」とさらに反論して、結局けんか別れとなった[18]

安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会からの報告書が出されたことを受け、2014年5月16日に体調不良を理由に内閣法制局長官を退任し、内閣官房参与となったが[19]、同年6月23日未明に東京都杉並区の自宅で死去し、同日夜に安倍晋三内閣総理大臣の弔問を受け「人生をかけた仕事ぶり」とされた[20][21][22][23]。63歳没。

同日付で正三位に叙し、瑞宝大綬章が授与された[2]

同年9月11日にはホテルオークラ東京で偲ぶ会(発起人代表:杉田和博内閣官房副長官(フランス大使館などでの同僚))が開催され、同僚や友人ら600人余りが出席した[24]。献花に訪れた安倍総理大臣は、「病院での語り口もおだやかで、静かな語り口でありました。私は私の人生の中で、小松さんほど強靱な精神を持った人を知りません。力と勇気をもらいました。」などと別れのあいさつを述べた[25]

人物

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国際法に詳しく、専門書の執筆も行う[26]

高校時代に同級生であった帝京大学医学部内科学講座教授の一色高明は、「社交性があるというより我が道を行くタイプ」と評す。

元外務省主任分析官の佐藤優は、「非常に優秀。うそをつかないし約束を守る。」とする一方、外務省の国際法畑の先輩である元外務事務次官の柳井俊二谷内正太郎のような政治的な立ち回りはしない人物とした。好きな女優は真木よう子[4]

経歴

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著作

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著書

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  • 『実践国際法』信山社 (2011-11-5)、第2版 (2015/6/25)
  • 『国際法実践論集』信山社(2015/6/25)

論文

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  • 「GATTの紛争処理手続と『一方的措置』」(国際法学会編『国際法学雑誌』89巻3・4号1990年)
  • 「国際司法裁判所の1990年選挙の結果について」(国際法学会編『国際法外交雑誌』1991年6月)
  • 「公海漁業の規制と国家管轄権」(『国家管轄権-国際法と国内法-(山本先生古希記念)』勁草書房・1998年)
  • 「欧州統合の進展と日本」(世界経済研究協会編『世界経済評論』48(12) (通号 592) 2004-12)
  • 「「中央アジア+日本」対中央アジア政策の新展開」(『外交フォーラム』17(12) (通号 197) 2004-12)
  • 「国際法の履行確保と国内裁判所におる国際法の適用-「米国POW訴訟」をめぐって-」(『国際法の多様化と法的処理』信山社・2006年)
  • 「日本外交と法の支配」(『外交フォーラム』21(7) (通号 240) 2008-07)
  • 「外交実務で『国際法を使う』ということ」(中央大学法学会編『法学新報』116(3・4) 2009-09)
  • 「紛争処理と外交実務」(「ジュリスト(1387)」有斐閣 2009-10-15)

追悼論文集

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同期

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脚注

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出典

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  1. ^ 小松一郎内閣法制局長官がレジオン・ドヌール勲章を受章”. 駐日フランス大使館 (2019年1月17日). 2021年6月20日閲覧。
  2. ^ a b c 平成26年7月28日付『官報』
  3. ^ 「(青春スクロール:聖光学院3)海外へ羽ばたく卒業生」朝日新聞2014年1月24日
  4. ^ a b 「特集ワイド:首相が「政治任用」小松一郎・内閣法制局長官 “ミスター国際法”って、どんな人物?」毎日新聞2013年09月10日
  5. ^ 「法制局長官に小松大使 集団的自衛権解釈見直し派」日本経済新聞2013/8/2
  6. ^ 駐仏日本大使が仏紙で反論”. MSN産経ニュース (2012年11月10日). 2012年11月22日閲覧。
  7. ^ 「小松前長官を「偲ぶ会」、11日に開催 仏大使時代には尖閣広報に尽力」MSN産経ニュース2014.9.10
  8. ^ 法制局長官に小松駐仏大使=集団的自衛権積極派[リンク切れ] 時事通信 2013年8月2日閲覧
  9. ^ 集団的自衛権解釈見直し、小松長官「積極参加」 読売新聞 2013-8-17配信
  10. ^ “小松法制局長官、24日登庁へ 検査入院から1カ月”. 産経新聞. (2014年1月18日). https://web.archive.org/web/20140218051304/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140218/plc14021807540003-n1.htm 2014年2月25日閲覧。 
  11. ^ “小松法制局長官、24日登庁へ 検査入院から1カ月”. 朝日新聞. (2014年2月24日). http://www.asahi.com/articles/ASG2S52BTG2SUTFK008.html 2014年2月25日閲覧。 
  12. ^ “歳川隆雄「ニュースの深層」集団的自衛権行使容認を4月中に閣議決定!? 公明押し切り安倍首相が「前のめり」になる理由”. 現代ビジネス. (2014年2月22日). https://gendai.media/articles/-/38451 2014年6月24日閲覧。 
  13. ^ 参議院 (2014年3月4日). “第186回国会・参議院予算委員会・第6号”. 国会会議録. https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=118615261X00620140304 2014年6月24日閲覧。 
  14. ^ 参議院 (2014年3月5日). “第186回国会・参議院予算委員会・第7号”. 国会会議録. https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=118615261X00720140305 2014年6月24日閲覧。 
  15. ^ “小松法制局長官 共産議員と口論 「番犬」批判めぐり”. 産経新聞. (2014年3月8日). https://web.archive.org/web/20140308003801/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140308/plc14030809190003-n1.htm 2014年3月26日閲覧。 
  16. ^ “小松法制局長官の激しすぎる 言動に囁かれる「薬の影響」”. 週刊文春. (2014年3月19日). http://shukan.bunshun.jp/articles/-/3784 2014年6月24日閲覧。 
  17. ^ “集団的自衛権:小松長官また波紋 法案「首相提出しない」”. 毎日新聞. (2014年3月12日). http://mainichi.jp/select/news/20140312k0000m010177000c.html 2014年3月26日閲覧。 
  18. ^ “首相肝いり起用、今リスク? 小松法制局長官 答弁など与党内からも批判”. 朝日新聞. (2014年3月13日). http://digital.asahi.com/articles/DA3S11026292.html 2014年6月24日閲覧。 
  19. ^ 内閣法制局長官に横畠氏 小松氏は内閣官房参与に 朝日新聞 2014年5月16日閲覧
  20. ^ 「「人生懸けた仕事ぶり」=安倍首相、故小松氏宅を弔問」時事通信2014/06/23
  21. ^ 「首相動静―6月23日」朝日新聞2014年6月23日
  22. ^ 小松前法制局長官が死去 47news 2014年6月23日
  23. ^ 「小松一郎内閣官房参与の逝去について」首相官邸平成26年6月23日(月)午後
  24. ^ 「安倍首相、安保法制整備へ決意=「種育て収穫する」-故小松氏しのぶ会」ウォール・ストリート・ジャーナル2014 年9月11日
  25. ^ [1]「安倍首相「力と勇気をもらいました」 故・小松一郎前内閣法制局長官を偲ぶ会 送る言葉全文」MSN産経ニュース2014.9.11
  26. ^ 「安倍首相、強烈な対中牽制人事! 法制局長官に集団的自衛権容認派」ZAKZAK2013.08.02
  27. ^ (日本語) 駐フランス日本国特命全権大使ご挨拶 経歴”. 在フランス日本国大使館. 2012年11月22日閲覧。
  28. ^ 「小松一郎内閣法制局長官がレジオン・ドヌール勲章を受章」在日本フランス大使館2013年12月16日

外部リンク

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公職
先代
山本庸幸
  内閣法制局長官
第65代:2013 - 2014
次代
横畠裕介