物申さない勇気

何かに対して批判が殺到して中止になる、なんて事が今年何件あっただろうか。

そうした炎上騒ぎに対して、なぜ様々な配慮もなくそれを企画してしまったのか、それが実際に世にでるまでにチェックが入るような仕組みはなかったのか、と思うことが多いのは確かだ。

ただ、それをこぞって批判し、中止に追い込むというのはやりすぎなんじゃないだろうか。

実際、多くの人にとってはそれはニュースにならなければ知りえなかったことだし、自分の身の回りには関係のないことだ。

それなのに、「正しさ」を盾に他人を攻撃する。正論ではあるので、議論には勝てるだろう。でも、現実世界には正論が通じないことが多くあるのは誰もが知ってることだろう。

困るのは、間違った行為を批判することを批判すると、間違った行為を肯定していると取られてしまうことだ。そうではなくて、間違っているとは思いつつも、許容範囲なんじゃないかと言っているだけなんだけど。

正しいか、正しくないかの議論をしても針の筵になるだけ。「たいしたことない」ことを表明するには、そのことに言及しないことくらいしかない。

誰もが何かにつけて評論をしたくなるこんな時代だからこそ、ちょっとくらい間違った行いを見ても「物申さない」勇気が必要なんじゃないかな。