2009年 04月 06日
自分を知り、それを周りに伝えるということ
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障害者の中でも生きやすいのは”視覚障害者”だといわれている。目が見えないというのは、当然不便ではあるのだが”周りから見て障害者だとわかる”ことがそうさせているという。(因みに最もなりたくないのも視覚障害者のようです)
ツインバスケットボール(上写真)には、上肢の障害度合いによって 1)低いゴールにショートできる。2)低いゴールに3.6m以上離れた距離からシュートできる。3)低いゴールは使えず、高いゴールにしかシュートできない」という3つのルールがある。上肢に障害を持つ方でも参加できるよう工夫されたもののようだが、こうした3つのシュート条件が異なるプレーヤーが混在して進められるゲームだ。
確実な得点パターンは最も障害が重いプレーヤーにパスして、至近距離から低いゴールを狙うこと。よって低いゴール付近のポジション取りは、ゲームを有利に進める上でとても重要で、シューターとゴールとの位置関係をいかに的確に、早く把握できるかがカギとなる。結果「個人技よりもチームワーク」「スピードよりも頭脳プレイ」が主たるゲーム運びとなる。
車椅子の方が行うバスケットボールには高いゴールだけのもあるが、個人技が多く、ボールの行ったり来たりでゲーム展開が単調になりがちだという。数多くの試合を見てきた公式審判も「ツインバスケットの方が見ていて面白い」という。まあ個人技も、見ていて気持ちいいが、ツインバスケットボールの、プレーヤー全員が満遍なく活躍し、チームが一体となってゲームが進行する様子は見ていて心地いい。
このようにツインバスケットボールは、障害の度合いに応じたルールがあるのが特徴だが、これには、そもそも自分の障害を的確に伝えておく必要がある。実際は第三者によって審査されるということだが、この自分の障害を”確定”させ”公開”することは、一般的に考えれば、あまり積極的に行われる類いのものではない。軽度障害の方の中には、その障害を隠しているケースがあるときく。周りに余計な心配をかけたくないということもあるだろうし、また日本のステレオタイプな”弱者たる障害者”という視線を避けたいということもあるのだろう。
冒頭の”視覚障害者が生きやすい”ということ。それは自ら発する事なく、白杖を持っていれば一目で視覚障害者であることが伝わるということのようだ。ステレオタイプな障害者イメージはつきまとうが、周囲の人間には、サポートを必要とすること、そしてどのような不便さがあるのかということが即時に伝わる。一方、聴覚障害者は外見から障害があることがわからない。結果、耳が聞こえないのに関わらず口頭で伝えられたりなど適切なサポートを受けられない。
障害者にはある種の開き直りが必要だという。その障害を受け入れ 、周囲に公開し、さらにそれを笑い飛ばせるくらいになればようやくポジティブに生きられるのだという。これはひょっとしたら身体的な障害を持つ方に限らず、すべての方に当てはまることではないだろうか。自分自身の性格、好み、思考などを的確に把握し、周りに伝える事ができたのであれば、自分が何を必要としているか、また相手が何を必要としているかがわかりあえるはずだ。ダイバーシティーマネジメントなど年齢・性別・障害の有無・人種・民族・文化・キャリアなどを背景にした多様な価値観と,それを有する多様な人材を,企業経営に活かす取り組みがさけばれているが、これを実現するためには、まず自分自身の特性の理解、そして、その周りへの発信から始められるものではないだろうか。そうしてこそ、互いが助け合えるあるべき共生社会が見えてくるのだと思う。
それぞれの特性に応じたルールが設定されたツインバスケット。ゲームの中だけにとどめておくのはもったいない。
by isoamu
| 2009-04-06 21:20
| 福祉