薄気味悪いと思わないほうがおかしい Google の個人化戦略

 Google の個人化戦略が着々と進行しているようです。Google 検索履歴が英語版ではすでに「Web History」に拡張され、「パーソナライズドホーム」が「iGoogle」の名称でリニューアルされました。

 それは昨年末に漏れ伝えられた Google の戦略の一端が具体化されたものと考えて間違いないようです。

 ⇒Google のトレンドは「シンプル」「統合」「個人化」

 特に「Web History」は、従来の Google の検索結果から辿ったサイトだけでなく、閲覧したすべてのサイトの履歴を保存できるという優れもの。私も実際に自分の history をさかのぼってみましたが、2006年の4月まで、自分がいつどんなサイトを訪問したかが一目瞭然でした。

 ちょっと記憶が定かではないですが、「2006年の4月」というのは、きっと私が Google のアカウントをとった日なんでしょう。それにしてもすごいというか恥ずかしいというか。

 確かに、ネットを個人の快適な道具化する一つの手段はデータの「個人化」かもしれません。ある個人が何を検索しているか、どういう情報を欲しがっているか、というデータを蓄積することによって、個人が本当に手に入れたがっている情報をより素早く提供することができるからです。

 そいういう意味では「個人化」は究極のサービスなのかもしれませんね。これをとことん突き詰めてゆくところにウェブサービスに未来が見えてくる、そんな言い方も可能かもしれません。

 だけど、ここにいたって「ちょっと待てよ」と言いたくなってくるのは私だけでしょうか。いまやあまりに私たちは Google に多くのことを頼っていないでしょうか。あまりに多くの個人情報を預けてはいないでしょうか。

 もちろんアカウント自体の匿名性が保証されている限り、リアルの個人に結びつかないからそんな心配はご無用、という意見のほうが多いかもしれません。

 しかしたとえ Google 上の個人が特定されないとしても、次の2点で問題が残ると考えます。

①Google は膨大な個人データを握って離さない。
 Google にとってはアカウントの実際の所有者が誰かなどということはどうでもいいことだと思います。でもそれが誰かのデータであることに間違いはありません。誰がいつどんな情報を求めているかという膨大な記録はまさに Google の財産であり、Google は私たちにアカウントを提供することでそうした個人データの収集を図っているといっていいでしょう。データは個人のものですが、それを一手に握り、所有し、再利用できる権限を持っているのは Google だけです。

②独占化しつつある Google にそこまで依存してよいのか。
 私たちが Google 以外の多くのサイトを利用しており、Google に預けている個人データはそのうちのごく一部だ、ということであれば問題は小さいと思います。しかし事態はどうも逆のようです。Google への依存度はますます高まっているのではないでしょうか。
 ネット上での私たちの行動や性向がこれほどまでに一企業に握られてしまうということの意味を私たちはもう少し真剣に考えなければならない時期に来ているのではないでしょうか。
 
Google 上での Search のトレンド