[東方] 儚月抄(REX版の単行本)がどうにもつまらない件について
別に完結したわけでもなく、単行本発売直後でもないこのタイミングで言うのもなんですが、今を逃すといつ書けるかわからないので書いておきます。
あきえだっしょーって、つまんないですよね。 私は未だに毎日のようにゲームの東方作品を遊び、雑多な設定の数々も大体把握しており、自分で二次創作SSを書いたこともあって、関連作品は当然のように全部抑えておく程度の、端から見ると立派な厨としか言いようのない東方オタ(笑)ですが、それでも秋★枝さんの儚月抄は楽しめません。全部が全部否定する気はありませんが、どう贔屓目に見ても、いち漫画ファンとしてこの作品を良作とは認められない。上巻の頃から疑問符を浮かべざるを得ない内容ではありましたが、中巻に至ってとうとう降参しました。今までお金を出してコミックスを買った漫画の中でも、ワースト3には入る酷さです。東方ファンでもなければとてもじゃないけどちゃんと読めない出来だと思います。 それで、この記事では儚月抄のつまらなさについて思うところを徒然書いてみたいと思います。ちなみに私は連載分や小説抄・うどんげっしょーはほとんど読んでいません。あくまで単品のコミックスについての話です。……といっても、全ての連載を相互補完しなければ全体像を語れない作品なので、語れる部分は限られてはくるのですが(本当は、単品で見た目完結する形式で出している以上、単品でも楽しめるようにしなければいけないんですけどね)。 そんなわけで、今回はそれでも語れる範囲に絞るということで、(ある意味私の専門分野でもある)バトルについて少しだけ考えてみます。他にもいろいろ思い当たる欠点はありますが、それは私の持っている情報量では語りきれないことだし、すでに的確に語っている人がネット上に大勢確認できるのでここでは触れません。 私は、儚月抄のバトルがつまらない理由のひとつに、東方独自の真剣にならない美学と漫画というメディア形態の齟齬が挙げられると思います。簡単に言うと、ゲームでなら「遊びの戦闘」がエンターテインメントになり得るのに対し、漫画では「遊びの戦闘」を描いてもエンターテインメントにならないのです。 ちょっと深入りしている東方ファンならみなさんご存知でしょうが、東方世界における戦闘は、全て「遊び」の範疇を出ない程度のものです。誰も真剣に何が何でも勝利しなければならないとは思っていません。これはそもそも「負けられない真剣勝負で弾幕なんて無駄弾を撃ちまくる戦闘をするのは絶対変だ、遊びでやってるならわかる」というところから来ている設定で、これ自体は至極もっともな意見です。そしてその発想を補強する形で幻想郷の存続に関する設定が後付けされ(求聞史紀参照)、元々神主が後腐れのない戦闘に美学を見出す人だったのもあって、すっかり「東方の戦闘=遊び」という公式が根付きました。 しかし、本来なら物語を語る上で「真剣になること」は非常に重要で有用な役割を果たします。何故なら、物語というものはヒトの心の変化を描写するものであって、そのためには登場人物が何か外部の存在に影響されなければならないからです。達観しているヒトは外からの影響を受けたりしません。未熟で未完成なキャラだからこそ、足りないものを補おうと影響を受けますし、その過程で真剣に何かと向き合いもします。そして読者はその必死で真剣な姿に共感するのです。特にバトルものでは「真剣さ」の及ぼす影響の度合いが顕著で、誰かが本気で戦わなければ、バトルものとして成立しないと言っても過言ではないほど深く関わってきます。互いに手加減しながらぽこぽこ殴り合ったところで、バトルとして全く面白くないのは良くわかりますよね? これは余談ですが、私が東方の二次創作を書く時に非常に困ったのがこの点でした。ギャグならともかく、シリアス寄りの物語を書くには、この「真剣になれない」という点があまりに大きな枷に感じられてしまったのです。キャラが真剣にならなければ面白くできない、でも真剣になったら東方じゃない。その対策として、「達観する前」の過去を舞台にした話にする、必死にならざるを得ない圧倒的弱者を主人公にする、いっそ東方の世界観を捨てる、そもそもシリアスを書かない等いろいろ考えましたが、つまりこれだけ「東方の」シリアスストーリー、特にバトルの絡む物語を書くのは難しいと思うのです。 では何故本家のシューティングゲームはそれでも成り立っているのかというと、それは「ゲームだから」、プレイヤーが物語に参加しているからだと考えます。つまり、ゲームの東方では登場人物ではなく、代わりにプレイヤーが真剣になっているのです。実際に画面の中で戦っているキャラクターは真剣ではないけれど、それを操作しているプレイヤーはこの上なく真剣に、必死になって、本気を出して戦っています。だから面白さが損なわれません。「プレイヤーの操作が作品要素の一部になる」ゲームというメディアの特徴を活かした、まさにゲームならではの回避策だと思います。 ですが、漫画というメディアにおいては、読者が作品内容に介在する余地はほとんどありません(せいぜい提示された情報をいかに解釈するかの手順の違いくらいでしょう)。作品を構成するのは紙面の中に詰められた情報だけで、我々読者は完全に蚊帳の外です。なので、誰かが真剣にならねばならないとするならば、その役は作中に登場するキャラクターに任せるしかありません。ですが東方では「真剣になってくれるキャラクター」がレギュラークラスの登場人物の中にはいない。ここにバトル漫画としての儚月抄の失敗の大きな要因があると私は見ます。シューティングゲームという能動的なメディアと同じ話の作り方をしても、それは漫画という受動的なメディアには全くそぐわないのです。 もちろん、これはバトルだけに限ったことではなくて、ストーリーラインやキャラクター造形についても言及できる話です。誰も真剣に行動していなければ、共感のしようがありません。ですが、バトルはそもそも「他者と競い合う」様子を示した――他者の存在に強く影響を受け、真剣になって向き合うことを前提とした展開であり、その意味において「バトルで誰も真剣になれない」ことは他と比べても格段に大きい、致命傷に等しい欠点として挙げられると思うのです。 以上、今回はバトル漫画の作り方の面から見た儚月抄の欠点について少し語ってみました。あえて絵の拙い部分には触れていませんが、それは製作者の責任というより、編集部の責任と考えたからです(要するに秋★枝さんの絵は元々バトル向きじゃないから、無理が出るのも当然であって、そこを叩くのは酷だよね、ということです)。まあ、そういうことを言い出すと、そもそも放っておいたら「香霖堂」や「三月精」みたいなゆるい話しか作らない神主に何故こんな企画を持ち込んだんだ、とかそんな話になっちゃうので、このあたりで止めておきます。私がここでやりたかったのは、責任論ではなくて、この漫画のバトルの何がダメかという点についての淡々としたダメ出しなので。
by hpsuke
| 2009-03-30 17:55
| 東方
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