法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

「共産党アレルギー」の由来を質問するツイートに対して、シベリア抑留に対する社会党議員の答弁をリプライする謎


自分と同世代のオタクでも共産党アレルギーって凄いあるなって思うし、でも自分の人生の中で共産党に何かされたっていう覚えが全く無いから、どういうルートでそうなってくんだろうなって。

「Lhasa@AtTheBlackLodge」氏の上記ツイートに対して、さまざまな回答がよせられている。


たとえば「つーじ@rei2rei_666」氏は社会党があったころの左翼と比べて、劣化していると回答した。


それは共産党または、左翼が劣化したから。社会党があった頃の左翼はまだ良かったが。今なんて労働者の疎外感も感じれないバカの集まりに過ぎない。

もちろん「Lhasa@AtTheBlackLodge」氏が疑問視するように、その理由ならば自民党などが先に強いアレルギーを生むだろう。


でも自民や維新よりよっぽど非正規や失業者やホームレスへの支援を訴えてません?


それでも「つーじ@rei2rei_666」氏はまだ政党の区別はできている。
かつての社会党左派の一質疑をもちだす「さしみぃ@shinamonpenguin」氏のリプライは、共産党アレルギーの理由としては不合理だ。


シベリア抑留で左翼議員のやったこと

共産党というか、左翼の連中は平気で嘘をつくから大嫌いです


右翼もしょっちゅう嘘ついてますよね。

嘘をつくことが理由なら右翼にもアレルギーが生まれるはずだと「Lhasa@AtTheBlackLodge」氏は返して、社会党と共産党の混同にはふれなかった。
しかし、そもそも「さしみぃ@shinamonpenguin」氏のもちだした逸話は、「平気で嘘をつく」という話ではない。


スクリーンショットされているのは、Wikipediaの「シベリア抑留」の下記のくだりだ。
シベリア抑留 - Wikipedia

1955年(昭和30年)に当時ソ連と親しい関係にあった社会党左派の国会議員らによる収容所の視察が行われた。視察は全てソ連側が準備したもので、「ソ連は抑留者を人道的に扱っている」と宣伝するためのものであったが、調理場の鍋にあったカーシャを味見した戸叶里子衆議院議員は思わず「こんな臭い粥を、毎日食べておられるのですか」と漏らしたという。

過酷な状況で強制労働をさせられていた収容者らは決死の覚悟で収容所の現状を伝えたが、その訴えも虚しく視察団は託された手紙を握り潰し、記者会見や国会での報告で「"戦犯"たちの待遇は決して悪くはないという印象を受けた。一日八時間労働で日曜は休日となっている。食料は一日米三百グラムとパンが配給されており、肉、野菜、魚などの副食物も適当に配給されているようで、栄養の点は気が配られているようだった[54]」などと虚偽の説明を行った。

元収容者らが帰国後に新聞へ投書したことから虚偽が発覚し、視察団団長の野溝勝らは海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会で追及を受けている[53][55]。

山本七平賞を受けた稲垣武氏の著作に依拠しているようだが、実際はシベリア抑留の視察は超党派でおこなわれた。
そこでハバロフスクの収容所が、おそらくは旧ソ連側の思惑もふくめて、さまざまな経緯で社会党の一団だけが視察できたかたちとなった。


シベリア抑留者のおかれた厳しい環境と、それを帰国させるための努力は超党派でとりくむべき問題と考えられていた。
たとえば1955年12月、社会党左派の菊川孝夫が、抑留者の早期の帰還をもとめる質疑を当時に首相だった鳩山一郎に対しておこなっている。
国会会議録検索システム

現在の日ソ交渉の進渉状態を眺めまして、私どもの胸に最も迫るものを覚えますのは、何と言っても、すでに十回目の冬をシベリアの酷寒の抑留所で迎えるところの同胞の身の上についてであります。万一平和条約の交渉がこれ以上おくれるような場合には、とりあえず、両国間の暫定協定でも締結しまして、そうして戦争状態の終結を宣言し、即時戦犯及び抑留者の帰国を実現するとともに、これと並行して外交使節の交換を行い、引き続いて平和条約の締結その他の懸案の解決をはかられたらいかがかと考えるのでありまするが、総理のお考えを承わりたいと思います。

1956年3月には、社会党右派の山下義信が日本赤十字をとおした実態調査をおこなうことを質疑で提案している。
国会会議録検索システム

最近ハバロフスクの収容所の状態につきまして、政府はどういうふうな実情調査をなさろうとするお考えでありまするか、あるいはまた政府みずから調査する方法がなけらねば、日赤をして調査団を組織し、これを派遣し等の方法でもおとりになりまして、すみやかに実情を明らかにして、事態を明白にし、国民の不安、あるいはその関心に対して真相を明白にするというお考えがありますかどうか、また関連いたしまして、収容者の慰問等につきまして、政府はいかなる方針をおとりになるお考えでありますか。

Wikipediaに記載されている野溝勝の答弁は、前後した1956年2月におこなわれた。追及したのは自由民主党の臼井荘一だが、野溝勝が野菜不足を新聞に語っていたことも言及されている。
国会会議録検索システム

野溝氏談として、「戦犯の生活として、カロリーは科学的に計算されているという事で、皆んな元気そうな顔付であるのにホットした。顔付は、普通人並でラーゲルとしては普通といってよいだろう。」こう言いながら、最後のところで、やはりあなたの印象としても、あるいは聞いたところによっても、御不安があるのでしょう。「ソ連人一般の悩みでもあるが、冬に生野菜が欠乏するのをかこっていた。食堂、調理とも清潔で、ここには罐詰等も配給があり集合所にも使われていた。」こういうふうに矛盾するお話もあるが、大体どこにおいてもそう言われておる。


「ソ連人一般の悩みでもある」という説明は、日本が徴用工に対して用いる論理を思わせるが、まったく根拠のない相対化というわけでもない。
2006年に、シベリア抑留者が日本に対して強制労働の対価を要求したことがあり*1、rna氏がシベリア抑留者が日本を追求する理由をまとめていた。
シベリア抑留者について(3) : 虐待の記憶 - rna fragments

ソ連将校による配給食料のピンハネもあった。栄養失調による死者が出ているのを知りつつであるから「死んでも構わない」の範疇の悪意と言えるだろう。しかし、これがソ連への一方的な憎しみにはなりにくい事情もあった。

ただでさえ捕虜の状況は困難だったのに、食料が供給不足になる場合や、その質が日本人の伝統的な食事にふさわしくない劣悪なものである場合が増えた。飢餓*1にみまわれていたソヴィエト国家で捕虜によい食事を期待するのは難しかった。しかし、捕虜が受け取った配給量は普通のソヴィエト市民のそれより多かったのである。

rna氏の『スターリンの捕虜たち シベリア抑留』からの引用によれば、ソ連だけでなく日本の将校もピンハネすることで、抑留者の怒りの矛先がソ連に集中しなかったという。
その他の証言をてらしあわせても、たしかに抑留者はひどいあつかいを受けたが、良くも悪くもソ連の兵士と同じくらいで、日本の捕虜収容所と違って意図的な虐待などは少なかったようだ。
さらに日ソ共同宣言で抑留者の請求権が放棄されたことにより、帰国後も抑留者の怒りはソ連一国に集中せず、先述したように日本政府への批判という動きとして返ってきた。
シベリア抑留と帰還事業において、左翼だけを嫌う合理的な理由があるとは思えない。抑留者からして、その全員が左翼だけを嫌っているわけではない。

*1:こちらのコメント欄も参照。 apeman.hatenablog.com